反逆児か、それとも生真面目な職人か――ショーケンの“遺言”から見える素顔
公開日:2019/8/11
2019年3月26日、「ショーケン」こと、ミュージシャンで俳優の萩原健一が亡くなった。GIST(消化管間質腫瘍)という難病を2011年に発症して以降、仕事を続けながら療養生活を送っていたが、本人が病気を公表していなかったため、その訃報が非常に唐突に感じられたという人は多いだろう。ショーケンの死の10日ほど前に内田裕也も亡くなっていたため、ある種の「立て続け感」に寂寥感を覚えた人もいるかもしれない。
『ショーケン最終章』(萩原健一/講談社)は、死期を悟っていたという本人が「残された時間のなかで、自分の真実の声を書籍の形で残したい」という希望を編集部に伝え、2018年10月から死の直前である今年2月にかけて行われたインタビュー取材をもとにまとめられたものだ。
萩原健一は2008年にも『ショーケン』(講談社)という自伝本を出している。本書は、それ以後の再婚と闘病生活、およびNHKで放送された「鴨川食堂」「どこにもない国」「不惑のスクラム」といった近年のドラマ出演作を軸に、あらためて自身の半生を振り返るという構成だ。当人が「自分の芸能人生を振り返ると、俳優が7割で、歌手は3割ほどの割合になる」と語っているように、本書の記述の多くも俳優業について割かれている。
ちなみに、本書の表紙には病院の食堂で奥さんが撮った、何気ないピンナップが使われている。ショーケンの最期を看取ったこの奥さんは、彼にとっては4度目の結婚であった。だが、病気を抱えながら「いまこの環境でもっと仕事がしたいと思う。落ち着いて帰る場所があり、一心同体でサポートしてくれる妻がいる」と本書で語っているように、ショーケンにとっては最後の安住の地となったのだろう。そのためか、表紙の写真も自然ないい表情をしている。
ところで、ショーケンというと、多くの女性と浮名を流し、大麻不法所持や恐喝未遂容疑で逮捕されるといった過去の事件から、スキャンダラスなイメージをもつ人もいるかもしれない。また、それゆえに、世間の常識におもねらない反逆児、行儀の良い良識に逆らう不良、それでいて無防備で不器用な少年といったイメージをもたれ、熱狂的なファンも生んできた。
だが、本書を通してみると、俳優としてのショーケンは、意外なほどに生真面目で、職人気質だったように思われる。本書にも「栄養士とトレーナーをつけて毎日ストレッチし、一日おきに筋肉トレーニングとウォーキングを繰り返す。週三回は歩き、ほかの日は腹筋と背筋を千回ずつ行った」といった記述がそこかしこに顔を出すのだ。
また、ショーケンといえば一般にはキャリア前半の「太陽にほえろ!」のマカロニ刑事や「傷だらけの天使」のオサムの鮮烈な印象が強いかもしれない。だが実際には、自身のイメージが固定化することを嫌い、その後の作品では作品ごとに演技プランを毎回大きく変えて、一から役作りに取り組んできた。本書にも、『影武者』で参加した黒澤明監督の細部にまでこだわる完璧主義的な映画作りの手法を絶賛していたり、歴史上の人物を演じる際は徹底的に文献を読みこみ、ときには大学の先生を個人教授に雇って日本史を一から勉強するなど、随所にショーケンの生真面目な職人気質を示すエピソードが記されている。
多くの人がイメージするような“日本の大スター”は、石原裕次郎にしろ、高倉健にしろ、渥美清にしろ、当人が望んでいたかどうかは別にして、キャラクター・イメージが固定化されたことで国民的スターとなった。内田裕也ですら、晩年はどこか自分をキャラクター化して楽しんでいる風があった。しかし、ショーケンは徹底してその定着を避けてきた。そのため、彼は“カウンターカルチャーのヒーロー”として受けいれられたのだろう。その不安定さ、不定形さこそがショーケンという人物の魅力なのだ。
最後に余談だが、『アフリカの光』(監督・神代辰巳)と『いつかギラギラする日』(監督・深作欣二)でのショーケンが、個人的には一番印象深い。「まだ自分に飽きていない」と語り、新しい表現をし続けていたショーケンの最終章を、本書で見届けていただきたい。
文=奈落一騎/バーネット