愛と芸術のために生きるノルヴィア人の文化に困惑/“二つ折りの恋文が”『5分間SF』⑤
公開日:2019/8/17
その名の通り、1話5分で読めるSFショートショート。思わずあっと驚く結末と、そしてじわりと心に余韻を残すお話が詰まっています。今回は収録されている16のお話のうち、3つを連載で紹介します。
二つ折りの恋文が① ~ノルヴィア人が愛を伝えるロマンティックな方法とは?~
ノルヴィアは亜熱帯の惑星だ。
だから飛行昆虫も多い。
先ほどから、何かの虫が、カチンという音を立てて、寄宿舎の出窓のガラスにぶつかってきている。カチン……不規則な間を置いて……またカチン。
その単調な音は、僕のいら立ちを募らせていた。実を言うと、今朝も食欲がなくて、素晴らしくうまい地場産のパンを半分かじっただけだ。体調のせいではなく、気持ちの問題だった。二日ほど前から、僕には気がかりなことがあったのだ。
アイシャのことだ。どういうわけか彼女は、日に三度は送っているモブコムのメッセージに応答してくれなくなった。大学で会って会釈しても、顔をそむけてしまうし、授業の時も、わざと僕から遠い席に座る。
僕にとっては、不可解な態度だった。
三日前の夜には、仲良くデートして、何時間も語り合ったのに。別れ際には、ちょっと恥ずかしそうに、小さな鉢植えの花までプレゼントしてくれたのに。その晩僕は有頂天で眠りについた。ノルヴィア王立大学に入学した時から気になっていたアイシャと、やっと親しくなれたのだから。ところが翌日から、奈落の底に突き落とされてしまった。彼女は、掌を返したように冷たくなった。僕にはわけがわからなかった。一体彼女に何があったのだろう? 僕が何か、気に障ることでも口にしてしまったのだろうか?
そうだとしてもおかしくはない。僕は地球からの留学生で、ノルヴィアの風俗習慣にうといところがある。ノルヴィア人は、同じホモ・サピエンスながら、三百年前に植民が始まって以来、この星で独自の文化を築いてきた。美しいけれど、僕たち地球人から見ると、いささか風変わりな文化を。
僕は何をしたのだろうか。アイシャを怒らせるような何を。
デスクに肘をついていくら頭を捻っても、答えは見つからなかった。
全く、ノルヴィア人ときたら! なんてわかりにくい連中なんだ。
わからない。シンプルな衝動に基づく連中の振る舞いは、僕を困惑させるばかりだ。
たった今、ワノフがしていることも、僕には理解できなかった。
この古い寄宿舎で、たまたま僕と同室になったワノフは、陽だまりの中でノルヴィア特有の低いベンチに腰かけ、膝の上に虫かごを置いている。虫かごは、細くて強靭なトリレスの茎で編んだもので、スライド式の蓋がついている。
ワノフは、鼻歌を歌いながら、虫かごの中のシロハチョウを虐めていた。
一匹ずつ蓋からつまみ出しては、スタイラスのようなもので羽根をつついているのだ。ひとしきりつつき終わると虫かごに戻し、また別の蝶を引っ張り出す。彼がやっていることは、その繰り返しだ。
わけのわからないワノフの繰り返し行動を眺めていると、僕の気はますます滅入ってきた。
ようやく慣れて来たノルヴィアの習慣に従って、僕は声をかけた。
「友よ」
僕の声は、いささか尖っていたと思う。
「一体何をやっているのか、尋ねてもかまわないだろうか」
ワノフは、鼻歌を止めて顔を上げた。
「友よ。かまうわけがないだろう?」
ワノフのアイスブルーの瞳は、楽しそうにきらめいている。多くのノルヴィア人がそうだが、彼はいつも、人生が楽しくて仕方がないという態度を崩さない。ノルヴィア人は、全ての美しいもの、あらゆるうまい料理、種類を問わずアルコール性の飲み物、そして恋に目がないのだ。全く彼らは、人生を楽しむコツを心得ている。金や地位のためではなく、愛と芸術のために生きるのが彼らの基準だ。
いささかまどろっこしいノルヴィア流の会話開始プロトコルが完了したので、僕は正式に質問を発した。
「友よ、さっきから、一体何をやってるんだい?」
ワノフは、微笑みを浮かべて答えた。
「二つ折りの恋文が、花の番地を探している」
ノルヴィア人の大学生について、もう一つ付け加えておくことがあるのを忘れていた。連中は、何かを引用する機会があれば、けっして逃さない。引用だけで、十五分もの会話を成立させることもあって、時としてうんざりさせられる。
全くもって、ノルヴィア人ときたら。
ワノフは、悪戯っぽく肩を竦めてから、つけ加えた。
「友よ、比較文学専攻の君なら当然知っているよね。お国の詩人、ルナールの『博物誌』だよ」
ノルヴィア人だって、もとは地球人植民者なのだが、彼らには、地球直系のものをひっくるめて「お国の」という形容詞の下に押し込める傾向がある。自分たちはもはや独自の種族だという矜持があるのだ。
僕は、不機嫌なまま答えた。
「読んだことはある。あまり感心しなかったけどね」
ワノフは、大げさに両手を広げた。
「忘れてたよ。君が、朴念仁の合理主義者だってことをね。僕はルナールを気に入ったよ。お国の文学の中では、まずまず美しい部類に属するんじゃないかな」
朴念仁の僕としては、我慢できなかった。つい皮肉な口調で応じてしまう。
「で、それで説明のつもり?」
ワノフは、きれいなアイスブルーの瞳をぐるりと回してみせた。
「説明だって! 説明するより先に感じるべきだって、君には何度言ったらわかってもらえるんだろう。まあいいか、朴念仁の合理主義者のとんがった地球人留学生の友よ。花の番地を探している二つ折りの恋文が何を意味するかってことぐらいは知ってるよね」
僕は短く答えた。
「蝶」
ワノフは、膝の上の虫かごをちょっと持ち上げた。
「まさにその通り。これ。僕たちは、ルナールの寸詩を地で行ってるってわけさ」
彼は、ベンチから立ち上がって、僕のデスクに近寄った。シロハチョウを近くで眺められるように、虫かごを差し出してくれる。
僕は仕方なく、かごの中の十匹余りの蝶を見た。
半分ほどの蝶の羽根に、赤い斑点が見えた。全て右の羽根の内側だ。
「こうするんだ」
ワノフは、虫かごの蓋から左手の指を突っ込んで、一匹の蝶をつまみ出した。羽根を挟まれた蝶は、観念したようにおとなしくなる。ワノフは、左手で器用に羽根をめくると、右手のスタイラスを動かした。
白い鱗粉が円形に掻き取られて、赤い地色の斑点が浮かび上がる。斑点を『描いた』蝶を、彼はかごの中に戻した。
「友よ、この丸の意味がわかるかい?」
僕は頷いた。
ノルヴィアの円は、地球のハートマークに当たる。恋多き種族である彼らは、短い人生の中でより多く、より効率的に描くことができるように、心臓のシンボルをさらに簡略化してしまったのだ。
「こいつらにハートを書き入れて、あとでまとめて放す。それこそ、僕がやろうとしていることさ、友よ」
僕は、いささか興味をひかれた。気鬱でないときの僕は、この星の習慣について見聞を広めることが好きだ。
「すると、どうなる?」
「決まってるじゃないか。前工程の株分けは仕込みが済んでいる。だからシロハチョウは、花たちのもとへ僕の気持ちを届けてくれるのさ」
「花たち?」
ワノフは、指を折って数え始めた。
「論理学専攻の愛らしい赤毛のニーナ、おおらかな女神のような工学科のワーニャ、黄金の髪とトパーズの瞳の法学士ラヴィア、鋼鉄のハートを持つ陸上部のカルロ。えーと、それから誰だったっけかな……」
もう言ったかな? この星の若者の例にもれず、ワノフは恋多き男なのだ。ちなみに、陸上部のカルロは、筋骨隆々たる男性だ。ワノフは、僕とは違って、偏狭なヘテロセクシャルじゃない。
草上仁
1959年生まれ。1981年ハヤカワ・SFコンテスト佳作入賞。短篇『割れた甲冑』をSFマガジン1982年8月号に発表してデビュー。1989年に『くらげの日』、1997年に『ダイエットの方程式』で星雲賞日本短編部門受賞。1997年『東京開化えれきのからくり』でSFマガジン読者賞受賞。近年もSFマガジンに続々と作品を発表している。
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