「いじめられるほうにも理由がある」は絶対に違う。 中川翔子が苦しんでいる子供たちに放つ「死ぬんじゃねーぞ!!」のメッセ―ジ

社会

更新日:2022/8/31

※文庫版『「死ぬんじゃねーぞ!!」いじめられている君はゼッタイ悪くない』が、2022年8月3日に発売されました。本記事は、単行本発売時のインタビューです。

 8月8日(木)に刊行された、タレントの中川翔子さんの著書『「死ぬんじゃねーぞ!!」いじめられている君はゼッタイ悪くない』(文藝春秋)。中学時代にいじめられて不登校になった経験をもとに、エッセイと漫画で綴る「学校に行きたくない、死にたい」と思う子供たちへの強いメッセージだ。刊行を記念して、タイトルにこめられた想いをうかがった。

■いじめに苦しんでいる子たちに、寄り添える本になるように

――似た経験をしたことのある人はもちろん、今まさに学校でつらい思いを抱えている子供たちに刺さる本だと思いました。反面、ご自身の体験を思い起こすのは大変だったと思うのですが、なぜこの本を書こうと思ったのですか?

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中川翔子(以下、中川) NHKの『#8月31日の夜に。』という番組に呼んでもらうことが多くて。それは夏休み最後の日、明日から始まる学校に行きたくなくて絶望する子供たちへ向けたものなんですけれど、番組を通じて、いじめや不登校に悩む今の10代の子たちの声をたくさん聞いていると、いじめって普遍的にずっとあるものなんだな、というのを痛感します。毎年新しく生徒が増えて、自殺者全体の数は減っているのにここ2年で10代の自殺者は増加している。SNSを使うなど、いじめの方法も多様化している現実に、ずっともやもやした気持ちを抱えていました。番組が放送される前後は、ハッシュタグをつけてたくさんの人が発信し、思いも共有されやすいんですが、どうしても流れていってしまうものなので、一度、ちゃんと形にしたいな……と思っていたところに、文藝春秋さんからお声がけいただいたんです。

――第一章ではまず、中川さんの中学時代について語られます。いじめられた、という体験をこれほど客観的に、距離をとりながら、かつ熱を帯びた文章で書くのはそうとう難しかったのでは、と思ったのですが。

中川 そんなふうに伝わっていたとしたら、嬉しいです。自分語りになって、エピソードの押し付けになってしまったら嫌だな、と思いながら書いていたので。私自身、そういう大人がいちばん嫌だったんですよ。中学時代、学校に行くのが嫌で苦しんでいたとき「私もいじめられていたけど、卒業したら楽になるから大丈夫!」って言った大人がいたんですよね。その人は善意だったと思うけど、私は「無責任なこと言うな」と腹が立ちました。私が明日も明後日も学校に行かなきゃいけないこの地獄を、結局何もわかってない! って。同じことはしたくない、だけどズレたことを言いたくもない……。そう思って、私だけの話ではなく、実際にいじめられた経験を持つ10代の2人と、「不登校新聞」の編集長へのインタビューを掲載することにしました。

――経験は違っても、同じようにつらい思いをしている人はたくさんいて、自分だけじゃないんだ、とほっとできる構成だったと思います。

中川 もっと壮絶ないじめを受けた人はたくさんいる、と言われたら確かにそうなんだけど、感受性って人それぞれだし、あの人より軽いいじめだからいいのか、っていうことでは絶対にないですから。私にとっては、靴箱をべこべこにへこまされて、ローファーを隠されたことが、心が壊れる大きな理由でした。今だったらくだらないと思えるかもしれない。自分を嫌う人とは仲良くしなきゃいい、気にするなって大人は簡単に言える。だけど当事者の子供たちは些細に見えることでも本当に傷ついて、どこにも行けなくなってしまう。そういうことを、体験談だけでなく、1日に1000件以上のいじめが発生しているとか、学校に行かなくてもいいというならどんな選択肢があるのかとか、客観的なデータも含めて紹介したいと思いました。インタビューに答えてくれた3人、とくに10代の2人にはとても感謝しています。

――中川さんが描き下ろした漫画が挿入されているのもよかったです。文字に慣れていない子も、漫画を読むだけでメッセージを受け取れるようになっていて。

中川 そのほうが読みやすいかな、と思ったんです。でも最初は、何から描いていいかわからなくて。とりあえず思いつくことを描いていたら、あれもこれもと浮かんできて、30ページくらい筆が止まらなくなりました。自分でもびっくりしましたが、それだけ私の中に、伝えたいことがあったということだと思います。そのあと文章を書き始めたんですが、絵だけでは言い足りないことを補完したり、文字だけだときつい表現になるものは絵にしたり、2つあわせて、私の言いたいことを詰め込みました。手探りだったからこそ、きれいにまとめるのではない、熱量のこもった本になったんじゃないかと思います。脳みその濃い部分を形にさせてもらえて、ようやく私も、もやもやしていたものが少しおさまったような気がします。

■落ち度があることと、いじめていいことは、絶対に違う

――いじめられている君はゼッタイ悪くない。この副題が、すごくいいなと思いました。

中川 それは本当に主張したいことなんです。よくいるじゃないですか。「いじめられるほうにも問題がある」とか「気にするほうが悪い」とか言いだす、変な大人。ほんと、意味がわからない。どう考えたって、いじめるほうが悪いのに。でもそんなふうに、加害者を守りがちな大人や先生がいると知っているからこそ、「それは違う」ということを声を大にして言いたかった。

――仮にその人に落ち度があったとしても、攻撃していい理由にはなりませんからね。理由があっても人を殺していいわけじゃないのと同じだと、私も思います。

中川 いじめは、人の心を壊し、殺しかねない行為ですからね。そもそも理由があるからいじめてもいいんだ、なんて言いだしたら、歯止めがきかなくなってしまう。世の中にいるたくさんの変わった人を、馬鹿にしたり攻撃したりしていい権利なんて誰にもないですよ。自分の好きなことを否定される筋合いもないって思いますが、わからない人にはわからないのがつらいところです。でも、子供が大人や先生にSOSを出すときというのは、追い詰められた末の最後の手段である可能性が高いから、お願いだからそういうときに突き放したり無視したりしないでほしいと思います。実際、私はローファーを隠されたのと同じくらい、先生の対応に傷つきましたから。

――これでは帰れないと先生に相談したら、ローファーはくれたものの「はやく靴代を払え」と請求された、という一件ですね。

中川 揉める原因は、もしかしたら私がつくったのかもしれない。でも、ローファーを隠すというのは窃盗じゃないですか。誰がやったのかもわかっているのに、どうして被害者の私に請求するんだろう、この先生はだめだ、と思いました。そういう、大人たちのちょっとした無神経さがとどめを刺すこともあると思うので、どうか、「隣(とな)る人」であってほしいと思います。

――本書に書かれていましたが、中川さんがドキュメンタリー映画で知ったという「隣(とな)る人」という言葉も、すごくいいなと思いました。

中川 ただ一緒の目線で笑って、楽しい話をしてくれる。それが「隣る人」です。根掘り葉掘り事情を聞かなくていいし、理解しようとも思わなくていいんですよ。ただあたりまえに、隣にさえいてくれたら。私の場合は、木村という友人がそれでした。私に話しかけたら自分も無視されるかもしれない、損することもあるはずなのに、気にせずずっと一緒にいてくれた。私の靴箱がボコボコになっているのも知っていたはずなのに、それにも触れず。嬉しかったです。彼女のような勇気を持つ人が、ひとりでもいてくれたらきっと、追い詰められて死んでしまう子供の数も減るはずなので、この本もそんな「隣れる」存在だといいなあと思っています。

――触れずに、というのが嬉しいですよね。いじめられている自分を誰も自覚したくないし、恥ずかしいから知られたくない。

中川 そうですね。私が学校に行きたくないと言いだしたとき、親は「義務教育なんだから行かなきゃだめだ」とか「高校くらいはちゃんと」とか言って、ものすごく喧嘩をしました。でも、それは私が、どれほどつらい思いをしているかをちゃんと話していなかったから。私はその後、通信制高校に進むという選択ができたけれど、親と対立したままわかってもらえず、家にも居場所がなくなってしまう子もきっといるから……。頭ごなしに責めたり聞き流したりせず、周りの大人には、子供のSOSを見逃さないでほしいです。

■違う道を選択することは「逃げ」ではない

――本書では、ご自身の経験もふまえ、定時制高校など、学校に行けなくなった場合の選択肢を提示しているのも、今苦しんでいる子たちの希望になりますね。

中川 居場所のある学校づくりにとりくむ学校も増えてきているみたいですし、フリースクールもあるし、今の学校に通えなくなったからといってそれですべてが終わりではありません。最近、発信しやすい時代になってきたからこそたくさんの人が「逃げてもいい」とか「学校に行かなくてもいい」とか言うじゃないですか。でもそういう言葉って、受け取り方を間違えると怖いな、と思っていて。まず「逃げる」というのがおかしいと思うんです。それって、攻撃されたほうが負けみたいな印象を受けるじゃないですか。海外だと、いじめたほうが転校させられるケースも多いのに、どうして追い詰められて居場所をなくした子が別の道を選ぶことを「逃げ」って表現するんだろう、って。

――中川さんがインタビューしたちはるさんも言っていましたね。「逃げるのではなく、違う道を選択した」だけなのだと。

中川 素敵な考え方ですよね。苦しんでいる子たちの多くは、学校に行きたくない、しんどい、でも行かなきゃ、本当は行きたい、でも行くと心が死んでしまう、どうしよう、どうしよう、って悩んでいるんです。学校に通わなければ、進学や就職ができなくなって、未来が閉ざされるような気もしてしまう。でも、その焦りは裏返してみれば、自分の人生を自分でなんとかしたいという意志の表れだから。ただ面倒だから行きたくないというのとは、違いますよね?

――そうですね。行きたいからこそ、苦しい。

中川 学校は、勉強以外にも学べることがたくさんあるし、やっぱり必要な場ではあると思うんです。「行きたくないから行かない」は私も違うと思う。だけど、未来をどうにかして切り開きたいのに今の場所では無理だ、と思うなら、そこに固執する必要はないし人生が終わるなんて考えなくていい。私も定時制に通い始めたばかりのころはいじめの傷を引きずっていたけど、中学時代は絶対に仲良くならなかったギャルの子が「すごく絵がうまいじゃん!」って褒めてくれて、私も、浜崎あゆみさんの曲とか彼女のハマっていたものを知っていって、少しずつ世界が広がっていった。ああ、世の中にはいい人もたくさんいるのかもしれない、って思えただけで心が楽になりました。そこから大学に行った子もいれば、仕事という居場所を見つけて輝きはじめた子もいる。普通なんてないんだ、ってことを知れた場所でもあります。だから、定時制高校やフリースクールを、居場所を見つけるための正しい選択として提示したかったんです。

――死にたいと思うほど追い詰められるのは、明日の自分が見えないからだと思います。だけどこの本が、「もしかしたらこういう未来もあるかもしれない」と思わせてくれることで、少しでも子供たちの暗闇にあたたかな光を差し込んでくれるのではないでしょうか。

中川 そうありたい、と思って書きました。つらいときは未来なんて想像する余裕もなくて、現実逃避のためにだらだらとゲームをしたり絵を描いたりしてやりすごしてしまう。私もそうだったから、わかります。でも、そういう無意味に見えることですら役に立つことはきっとある。学校の外で同じ趣味の人に出会えたり、私の場合は仕事の役にも立ったけど、この仕事をしていなくても、ああよかった、って思えただろうな、と30代になってようやく気付きました。壮大なオールオッケーがくる瞬間って、生きていればきっと、あるんです。だから、死ぬことと攻撃すること以外だったら何をしてもいいから、生き延びていてほしい。そんな子たちに、大人になるって希望がありそうだ、と思えるような背中を私も見せていきたいです。なかなか理想にはたどりつけないし、だめだめだけど、でも、楽しく生きている姿を見せることはできるから。

――最後に……10代の2人へのインタビューで中川さん自身が聞いていたことですが、いじめはなくなると思いますか?

中川 なくならないですね。動物も弱いものいじめをするし、本能としての攻撃性はきっと備えているんだと思います。でも人間には理性があるから、なにか気に喰わないことがあったときに抑える、ということはできるはず。抑えきれない人、止めない大人、加害者を守ろうとする風潮……いじめを助長する周囲が変わることはきっとできるはずだし、ゼロにはできなくてもいじめを減らすことはできるはずだ、と思います。私の友人のように、自分もターゲットになる怖さはきっとあるだろうけど、いじめに加担しない勇気を持つとか。悪口がまわってきても、自分のところで止めるとか。そうすれば、ひとりでも死んでしまう子を守れるんじゃないかと思います。だから私も、いじめるほうがよっぽど愚かでくだらないんだってことを、直接届かなかったとしても、発信し続けていきたい。みんなに、死なないでほしいから。この本が、苦しんでいる人たちの心の傷を、少しでも癒すものであってくれたらいいなと思います。

取材・文=立花もも 撮影=花村謙太朗