古舘伊知郎が伝授する、端的に面白く話せる「凝縮ワード」を使った会話術! ~はじめに~/『言葉は凝縮するほど、強くなる』①
公開日:2019/8/26
『報道ステーション』を12年やって戻ってきたバラエティの世界。一気呵成のしゃべりは、今のテレビに向いていなかった。そう気づいた古舘伊知郎が、短い持ち時間の中で、いかに気の利いたこと、面白いこと、鋭いことを端的に言えるかを今一度考えた、日常にもビジネスにも使えるワンフレーズ集。その一部を紹介します。
一点突破の「凝縮ワード」に思いを詰め込む会話術
「言葉を凝縮する」というテーマと、「しゃべりの総尺が長くなる」古館伊知郎は、最も対極にあると思われたかもしれません。
実際、この話は大事だなと思ったら止まらなくなります。
先日も、講演会の依頼があり、その打ち合わせの席で「イントロダクションと話す項目を教えてください」と言われ、気づいたら6時間もぶっ通しでしゃべってしまいました。
そんな失敗があるからこそ「凝縮した言葉を使う」ことの必要性も誰よりも痛感しています。
本書を開いたあなたは、少なからず「自分の話術をなんとかしたい」と思っていることでしょう。
「話している自分に緊張して、何を言いたかったか忘れてしまう」
「とにかく説明が下手で話が取っ散らかる」
「上手くオチがつけられない」
分かります。
なぜ分かるかと言えば、最近、僕も自分のしゃべりが受け入れられていないという痛切な思いを感じたからです。
2016年3月31日、僕は『報道ステーション』のメインキャスターを僕のわがままで辞め、12年ぶりにバラエティの世界に舞い戻りました。そこで痛感したのが、自分のしゃべりが時代と噛み合っていないということ。
「とにかく話が長い。勘弁して!」
「実況解説がくどい。お腹いっぱい」
「自己主張が強い」
そんな声が視聴者からチラホラ聞こえ、呆然としました。
12年の歳月を経て僕はバラエティの「浦島太郎状態」になっていたんです。
どうしてそんな流れになったのか。
もう少し詳しくお話ししましょう。
「報道番組の12年間」でマヒした感覚
くり返しますが、『報道ステーション』を辞めた理由は僕のわがままです。
キャスターに打診された当初は、
「スーツは着ない、もちろんネクタイも締めない。そんなざっくばらんな“普段着”感覚のニュース番組を作りたい」
という思いがありましたが、現実はそんなに甘くありませんでした。
たとえば、こんなフレーズを伝えることがありますよね。
「いわゆるこれが、事実上の解散宣言とみられています」
「これが、解散宣言です」とは言えないケースがあります。
なぜなら万が一、この情報が間違っていたら、当然ながら誤報となります。
もしも事件や事故のニュースで間違った情報を伝えたら、とんでもなく傷つく人が出てきます。名誉棄損で訴えられる可能性もあるでしょう。
だから、ニュース番組では、慎重に慎重を重ねて「いわゆる」「事実上の」「~とみられています」などと、二重、三重に言葉の損害保険をかけて伝えなければなりません。
ニュースを伝えるって、こういうことなんです。
僕は、局アナ時代から含めると40年以上しゃべる仕事をしてきましたが、報道番組に携わった12年間は、最もしゃべる“量”が少なかった。
それどころか、黙っていないといけないこともありました。
言っていいこと、言ってはいけないことの狭間で、まさに舌先のタイトロープ。
しゃべりたい衝動を抑え、一言一言慎重に進む、しゃべるボルダリング。
しゃべり手人生の中で、しゃべりを抑制するという今までにない経験ができたという点では、大変良い勉強をさせてもらいました。
でも、干支が一回りしたあたりで、もっと自分なりの「言葉」で、自分だからできる「しゃべり」で多くの人を楽しませたい――。そんな思いが募ってしまい、辞めさせてもらいました。
そしていざ、バラエティという“シャバ”に出てみたら……。
ありがたいことに、レギュラーも数本決まりました。
ところが……です。
「実況中継型」のしゃべりは、とうに廃れていた
僕が得意なものの一つに、局アナ時代から担当していたプロレスや、フリーランスになってから携わったF1、競輪などの実況中継です。
伝える対象者について知識を得て、目の前で展開する状況のどこを切り取るか即座に判断し、かつ、イメージを喚起できる言葉のチョイスを心がけていました。
アイルトン・セナを「音速の貴公子」と呼んだり、レースの途中でリタイアしたマシンを引き上げる様子を「カジキマグロ状態」とたとえるなどして、より分かりやすく、より面白く視聴者に伝えようとしました。
1988年から始めた「トーキングブルース」というマイク一本の舞台では2時間半ぶっちぎりのしゃべりのみ。
僕は5時間でも6時間でも平気でしゃべれます。2時間半では話し足りないくらいなのですが、このトークライブを「面白い」と言って足を運んできださるお客様はたくさんいました。
真面目なテーマを面白おかしく、よくしゃべる。ペラペラしゃべる。このスタイルは舞台では受け入れられる。
人の話を受け入れてくれた時代は確かにあったと思うのですが、しかし、最近のテレビバラエティに戻ってみたら、12年前とはすっかり様変わりしていました。
今のバラエティ番組は、ひな壇が作られ、そこに何十人ものタレントさんや芸人さんがずらりと並んで座ることが多いです。
これが何を意味するかというと、「短い持ち時間の中で、いかに面白いこと、気の利いたこと、鋭いことが言えるか」が勝負になるということです。
MCも同様です。
活躍する芸人さんを筆頭に、短いセンテンスでツッコミとオチまでつけられるMCが優秀とされ、そういう人が視聴者に受け入れられ、ゆえにテレビ局に重宝されていました。
考えてみたら当然ですよね。
普段の私たちの日常会話の中ですら、効率化が求められているのです。
ちょっとでもダラダラしゃべれば一般人でも、
「その話、取れ高なくない?」
と言われてしまう時代。
気がつけばバーッと湯水のようにしゃべる私の癖はおそらく浮いていたのでしょう。
「今どきのバラエティ番組の作り方に慣れるまで、試行錯誤しよう」と思っていたのですが、それを待たずして打ち切りになった番組もありました。
長い! 長い! 俺の話は長過ぎる!
普段はなるべくこらえているのですが、窃盗癖みたいなものなのでしょうか。こらえて、こらえて、あるとき爆発しちゃう。収録中、アドレナリンが出てくると、しゃべりが止められなくなってしまうのです。
ある日のこと、
「あのしゃべりのシーンは、なんで全面カットされちゃったのかな?」
と放送を見ながらボヤいたとき、間髪入れずに「当たり前です」と言い切った男がいました。
放送作家の樋口卓治です。
彼は、僕が『F1グランプリ』(1989年~1944年 フジテレビ系)の実況を始めた頃に事務所に入ってきた後輩で、今も『人名探究バラエティー日本人のおなまえっ!』を始め、数々の番組で構成作家として参加してくれるなど、最も信頼の置けるブレーンの一人です。
樋口は、続けてこう言いました。
「古館さんの話は長いんですよ。この前だって……」
僕は、『古館トーキングヒストリー』という番組をやっています。これは歴史×ドラマ×実況という変わった番組なんです。
これまで『忠臣蔵』『本能寺の変』が放送されて好評を博し、第三弾として幕末最大の謎『坂本龍馬暗殺』に迫る番組を作っていました。
その最中の出来事です。
坂本龍馬の妻・おりょう役が橋本マナミさんで、事件のカギを握る大事な入浴シーンの撮影がありました。
その撮影待ちの間に、私は湯船の傍にポツンと立っていました。
間が持たなくなり、「魅力的ですね」と私が繋いだら、
「(お風呂に)一緒に入ります?」
と返してくれたのです。
そのとき僕はとっさに気の利いたことが言えず、
「いやいやもう、傍にいるだけで充分で……。そもそもこんな直径60㎝ほどの湯船の中に私が二人目として入るなんて、とてもじゃないけど……」
とダラダラ話したのです。
すると、現場にいた樋口が僕の背後に近づいてきて、こう言うのです。
「古館さん、ダメですよ」
「何がだよ?」
「もっと簡潔に面白く話さないと」
「いいじゃないか、カメラが回ってるわけじゃないんだから。」
「こういうときは、『一緒にお風呂? とんでもない。代わりにちょっとだけお湯飲んでもいいですか?』って茶目っ気たっぷりに言ったら、笑いがドカンときて編集点ができて、次に行けるじゃないですか!」
なるほど、確かに……。
内心、樋口の言うことが面白いと思いつつも、すぐには認められない。
「『お湯飲む』なんて、気持ち悪がられたらどうするんだよ」
「その時は『蕎麦屋行って、シメで蕎麦湯飲むじゃないですか』って愛嬌良く言うんですよ」
その後も、「長くしゃべったって相手は聞いてくれない時代なんですよ!」と樋口の短いセンテンスのお説教が続き、僕は木端微塵になり図星だなと思ったのです。
一点突破の凝縮ワードに思いを詰め込むことならできる!
話が長い以外に、僕にはもう一つ悪癖があります。
ある場合では、「俺が、俺が」というトークになりがちです。
それは僕の持ち味なのですが、あくまで「相手に聞いていただくトーク」を前提に踏まえなければダメです。
相手とコミュニケーションを図る中で、
「がんばってるのに、話を聞いてもらえない」
という経験をした人はいると思いますが、相手が何を求めているか考えず、自分ファーストのエピソードトークをくり広げて、結果ペラペラとしゃべってしまうということはないでしょうか。
極論するとペラペラしゃべってもいいのです。
相手ファーストであることが大前提なのです。
そのうえで、ダラダラと話さず、相手とのコミュニケーションが成立したと思ったあたりでパッと引き上げ、渾身の一言に言葉を凝縮できれば最高です。
その一言は、ユーモアにあふれているのかもしれない。
その一言は、哀愁を感じるのかもしれない。
その一言は、励ましやエールが潜んでいるのかもしれない。
そのときどきで使う一言は変わるでしょうが、渾身の一言は、必ず相手に伝わります。僕はそう信じています。
一点突破の凝縮ワードは、人の心に刺さる。響く。
自分のことばかりベラベラしゃべるのは、もうやめだ!
そんなことは、読者の方は百も承知ですね。
でも、もっともっと相手の思いに寄り添い、自分の真意を渾身の一言に凝縮して伝えていくことならできると思っています。
たとえは悪いですけど、覚せい剤で捕まった人が一番共感できるのは、実際に覚せい剤をやっていて更生した人の話だと言いますよね。
僕の言う凝縮ワードはそれなのです。
さんざんしゃべり過ぎて反省くり返してきました。そんな僕が言うのですから、反面教師にはしていただけるのではないかと思っています。
視聴者により分かりやすく、より面白く伝える言葉はないか、考え続けた40年超でした。
若かりし頃は、山手線に乗って何周もして、流れる風景を眺めながら脳内実況中継をしてトレーニングしました。読者の会話の中でもすぐに使えるものだと思っています。
窓の外にある住宅街や新緑、道ゆく人などについてどんな言葉をチョイスしたら一番響くのか、伝わるのかいつも考えていました。
言葉を煮詰め続けた僕だからこそ、本書の「凝縮ワード」は、読者の会話の中でもすぐに使えるものになったのではないかと思います。
本書は、そんな僕なりの会話術の集大成なのです。
古舘伊知郎
立教大学を卒業後、1977(昭和52)年、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。「古舘節」と形容されたプロレス実況は絶大な人気を誇り、フリーとなった後、F1などでもムーブメントを巻き起こし「実況=古舘」のイメージを確立する。一方、3年連続で「NHK紅白歌合戦」の司会を務めるなど、司会者としても異彩を放ち、NHK+民法全局でレギュラー番組の看板を担った。その後、テレビ朝日「報道ステーション」で12年間キャスターを務め、現在、再び自由なしゃべり手となる。