『虐待父がようやく死んだ』――誰か助けて。でも私の親がおかしいことと、愛されていないことには、誰も気づかないで
更新日:2020/5/8
〈誰か助けて。でも私の親がおかしいことと、私があの人たちに愛されていないことには、どうか誰も、気づかないで。〉――あらいぴろよさんのコミックエッセイ『虐待父がようやく死んだ』(竹書房)の冒頭に書かれたこの文章を読んで、まず、胸がつまった。それは、苦しんでいる多くの子供たちの心の叫びだと思ったからだ。渦中にいる子供たちは「気づいてほしい」と「気づかれたくない」の狭間で揺れ動いている。
著者のあらいさんは〈実家を出るまでは自分の力ではどうしようもないことの連続で〉〈嫌なことがあると「私は悪くない」って自分を慰めてきた〉と本書で語っている。家では理不尽に怒鳴りちらし、流血沙汰の暴力をふるう父が、一方的に悪いことは身に染みてわかっていた。けれど外では、PTA会長をつとめ、誰に対しても親切で“いい人”な父が信頼されている。祖母(父の母)による嘘で母の名誉は貶められ、あらいさんも“躾のなってないおかしな子”として扱われる。そこで気づかされることのひとつが「いい子にしているなら暴力をふるわれるはずがない」という世間の“常識”なのではないだろうか。
本書に父の暴力を肯定する描写はひとつもなく、徹底的に理不尽なものとして描かれているが、自分を責めた日がなかったはずはないと思う。冒頭の文章と、次の独白からは、あらいさんの抱いてきた葛藤と、生き抜いてきた日々がうかがい知れる。
あの両親でなきゃ私は確かに生まれていない …自分で自分自身の存在を否定するようで口に出すのが怖かったけど… 普通の家で普通のお父さんと普通のお母さんと暮らしてみたかったね…