とっさに上手に切り返す“ずらす力” /『言葉は凝縮するほど、強くなる』③
公開日:2019/8/28
『報道ステーション』を12年やって戻ってきたバラエティの世界。一気呵成のしゃべりは、今のテレビに向いていなかった。そう気づいた古舘伊知郎が、短い持ち時間の中で、いかに気の利いたこと、面白いこと、鋭いことを端的に言えるかを今一度考えた、日常にもビジネスにも使えるワンフレーズ集。その一部を紹介します。
「どうにもコメントできない!」そんなときは?
【NG WORD】 ……(何も言えない)
答えに窮するような質問や、何かしらの感想を求められたとき。「いいね」「おいしいね」「素敵だね」と肯定的に思えないとき。あなたは、どんな答え方をするのがいいと思いますか。
『くいしん坊! 万才』の初代レポーターは、名優の故・渡辺文雄さんが務めていました。1日に5日分撮るそうで、金曜日分を収録するときにはお腹がいっぱいになります。
たとえば、漁師町に行って5日分収録するとき、「魚が生臭いな」と感じることもあるわけです。
船乗りのことわざに、「板子一枚下は地獄」があります。のんびり海に浮かんでいるように見える船も、底にある一枚の板を外してしまえば沈みます。台風がきて転覆したら乗組員は死んでしまう。
常に危険と隣り合わせであることをたとえたものですが、それを乗り越えて、ようやく母なる港に戻った漁師さんがとってきた魚を「生臭い」「まずい」なんて仮に思っていても絶対に言えません。
かといって、「おいしい」とも言えない。ウソになるから。
そこで渡辺さんがひねり出したのが、一口、二口、三口と食べて、間を置いて……。
おいしいのか、まずいのか無表情の果てに、こう言うのです。
「いやぁ~。好きな人にはたまらんでしょうなぁ」
このとき、「いやぁ~」というどうでもいい方を強めに言います。
31ページでお伝えした松平定和アナウンサーの「外しの美学」、あれを使うんですね。聞く側は、「いやぁ~? って、おいしいの? まずいの? どっち?」と思いますよね。そこで引き寄せておいて、「好きな人にはたまらんでしょうなあ」とトーンを落として言う。
これ、「私の答えは保留します」ってことですよね。
私がどう感じたかは言ってない。「おいしいのか、まずいのか言いなさいよ」という視聴者の期待があり、漁師さんが取り囲んで感想を待っている。それに反して、自分の好みを一切言わないというのは、「私は、ここにいません」と表明しているのと同じですよ。
自分がおいしいか、まずいか明言を避けた時点で、実際には、「私はそんなにおいしいとは思っていません」と、実は自分なりの信号を出しているのです。
主語ずらしは、ごまかしがきく
「私は、ここにいません」を表明するのは、いわば、「主語ずらし」です。
これを私どもは『 千の風になって』話法と呼んでいます。
僕よりも先輩の方々は、常道の実況、冷静沈着な実況をしろと言われていました。テレビは視覚がメインだから、それは見ていれば分かるから、「ご覧の通りです」と謙虚な実況をしろと言われていたんですね。自分を出さない、自分を消すことが求められてきました。
これに関して僕が感動したのが、日本テレビの先輩アナウンサーです。
ずいぶん昔のことですが、夕暮れ時にサッカー中継をしていて、「ここ国立競技場から、ごきげんよう。さようなら」と真面目に言って終えたのです。「ごきげんよう。さようなら」は古いイメージがあると思いますが、当時は、このフレーズがスポーツ中継の締めの王道でした。
すると、終えたはずが、実は“2分間早く締めちゃった”ことが判明した。スタッフが、ストップウォッチをはかり間違えていたのです。
2分も余っている。どうしよう?
すると彼は、5秒間ぐらい時間をあけたあと、ケロッとこう言ったのです。
「再び、国立競技場です」
続けてこう言いました。
「まだ試合の余韻冷めやらぬ、ここ国立競技場。スタンドは多くの方々が信濃町、あるいは千駄ヶ谷方面に流れて行かれるのでしょうか。戦い済んで日が暮れて、なんとも言えない風情がここに漂っております。解説の〇〇さん、すごい試合でしたね」
と2分間つないで、またこう言うのです。
「ここ国立競技場から、ごきげんよう。さようなら」
テレビを見ていた人は、「え? さっきも、さようならって言ったよね?」と思うかもしれませんが、そんなの関係ありません。
しれっと再登場して、何ごともなかったように解説して、何食わぬ顔で去っていく。まるでさっきとは別人が話しているように……自分を消す。まさに「私はここにいません」。
人間、苦しいときは自分をなくしていい。
先ほどの渡辺文雄さんにしても、この先輩アナウンサーにしても、彼らを見ていて僕はそういう教訓を勝手に得ました。
「独特ですね」は間で勝負
この「主語ずらし」ですが、普段の生活でも私たちはわりとよく使っています。
たとえば、感想を求められて肯定できないとき、「主語ずらし」を使うとうまくその場を切り抜けられることがあります。
先日、僕は、知り合い夫婦の住む新築の家に遊びに行きました。
なかなかの豪邸で、玄関の観音開きの重厚な扉を開けると、すーっと気が通るような感じがするんですよ。今、思えば、群馬県館林市で、風が強くてすごい寒い日だったから、単に風が入ってきただけなんですけど。
立派な家なので、『渡辺篤史の建もの探訪』並みに褒めちぎりながら部屋を見て行ったら、一か所、内装の一部で個人的には、「あまり好きじゃないな」と思うところがあったんです。
すると、まさにその箇所について、「ここはどう?」と聞かれたのです。
インテリアデザイナーでもない自分が「良くないね」と言うのは身勝手な気がしたし、かといって、「良いね」は、良いと思っていないから言えない。
そこで僕が言ったのは、
「二人のうちどっちかは、かなり気に入ったんでしょう?」
これも完全な「主語ずらし」で、僕は自分が良いと思っているのか、悪いと思っているのかは一切言っていません。でも、たぶん、言わない時点で、「あまり良いと思っていない」ことは伝わっています。
すると旦那さんの方が、「けっこう派手だと思わない?」とさらに突っ込むので、「うーん」と一呼吸置いたあと、「それは人によるよね」で逃げました。
これは僕の推測ですが、おそらく夫婦も、深層心理ではあんまり気に入っていないから、第三者にそれを証明してもらいたい。もっと言えば「罵倒してもらいたい」といういやらしさを含んでいるんですよ。そうときたら、こちらも含み返しです。
「好きじゃない」というニュアンスは打ち出して良いと思うんです。
でも、「良くない」ってはっきり言うのは角が立つから、「どっちかは、かなり気に入ったんでしょう?」「人によるよね」と、二重、三重に逃げればいいと思います。
こういうときの逃げ方で、「独特ですね」もありです。
「独特ですね」を使う場合は、相手から、「どう思う?」と聞かれたら、
間をおいて、さらに、間をおいて、さらに、“三間”ぐらい置いてから、ゆっくりと見て、ニコッと笑って、
「……独特ですね」
と言えば、必ず誰かが笑います。
【POINT】 「主語ずらし」で難局を切り抜ける
古舘伊知郎
立教大学を卒業後、1977(昭和52)年、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。「古舘節」と形容されたプロレス実況は絶大な人気を誇り、フリーとなった後、F1などでもムーブメントを巻き起こし「実況=古舘」のイメージを確立する。一方、3年連続で「NHK紅白歌合戦」の司会を務めるなど、司会者としても異彩を放ち、NHK+民法全局でレギュラー番組の看板を担った。その後、テレビ朝日「報道ステーション」で12年間キャスターを務め、現在、再び自由なしゃべり手となる。