今までの筋トレ思考は心身のバランスを崩す? 鍛えるべきは「しなやかさ」
公開日:2019/9/18
『脱・筋トレ思考』(平尾剛/ミシマ社)は、一言でいうと、筋トレに関する本ではない。体の機能を論理的にも感覚的にも熟知している元ラグビー日本代表の著者が、“柔軟な姿勢を身につけるための考え方”を説いた、いわば心のトレーニングについての本だ。本書では、一般的な意味合いよりももう少し抽象的に「筋トレ」という言葉が使われている。
“勝利、カネ、ランキング上位といった、目に見えてわかりやすい目的を掲げ、それに向けてシンプルな方法で解決を図る考え方を、本書では「筋トレ主義」と呼ぶ。”
筋トレによって筋肉がつき、努力の結晶であるかのような自分の筋肉をさらに磨き上げたいと思い、筋トレをまた繰り返す――これが筋トレの基本的なモチベーションだ。つまり、筋トレには意図が伴い、その意図通りに筋肉がついたところを私たちは目で確認することができる。この「わかりやすさ」が、筋トレの“落とし穴”であると著者は主張する。
意図して「つけた筋肉」に対して、自然と「ついた筋肉」というのもある。たとえば、引っ越し業者のスタッフが細身にもかかわらず軽々と重いものを持ち上げるのを見たことがある人は多いだろう。彼らは引っ越し作業のための筋肉が日々の仕事の中で自ずとついたのであって、おそらくそうした筋肉をつけたいと思って日々過ごしているわけではない。
また、ラグビーをしたことがない人でも予想がつくように、筋トレをすればすなわちラグビーのプレーがうまくなるわけではない。臨機応変な判断や、微細な感覚の積み重ねがラグビーに必要な体の動きを決めていく。だが、そうした感覚的な事柄は、プレーヤーが指導者になったとき、あるいはプレーヤーがインタビューなどに答えるときにはなかなか言葉にならないという。元々文学を好んでいたという著者はその「伝わらなさ」を、言葉や表現の模索を通して乗り越えようと試みてきた。その結果発見したキーワードが「連動」だ。
たとえば、クライマーは手・腕を重点的にトレーニングすることが必要だと考えるだろう。しかし、実は手と足と体幹を「連動」させることが重要で、手だけに頼るのではなく、手・腕以外の部位に力を逃がすことがプロ中のプロといえる技術なのだそうだ。
著者はこの筋肉や運動に関する考え方を、社会や人の心を考える際の「視点」に応用させる。働き方でいえば、自分の肩書の仕事だけに専念するのではなく、俯瞰してまわりを見渡してみること。何か大きなチャレンジをするときの心持ちでいえば、支えてくれる人への感謝の気持ちや、目標が実現したときのイメージによって目先の不安を克服すること。
局所的ではなく、「連動」が織りなす複雑さについて、私たちはじっくり見つめる必要があるというのが著者の一貫した主張だ。
そのスタンスの理想形を示すキーワードが「しなやかさ」だ。ラグビーで敵からのタックルを華麗にかわしたり、タックルを受けてもその衝撃を吸収したりするような「しなやかさ」は、心身にも強さをもたらすという。
“「うまく立ちゆかない場面」に遭遇しても、怯まず、焦らず、自信を失わずに、たとえそれを乗り越えるための手立てがすぐ見つからなくても、辛抱強く、腰を据えて取り組むことができる、人としての強さを備えているのが「しなやかなからだ」だ。”
社会のいろいろなところに筋トレ主義的な傾向は存在している。本書の「しなやかな文章」を読んで、「脱・筋トレ思考」のトレーニングを行えば、きっと視野が広がり、自分がこれから取るべき進路を察知できるようになるはずだ。
文=神保慶政