朝ドラ「なつぞら」主人公のモデル・奥山玲子さんを解き明かす3つの証言
公開日:2019/9/23
現在放送されている、NHK連続テレビ小説の記念すべき100作目にあたる『なつぞら』。雄大な自然に囲まれた北海道の十勝で育てられた戦災孤児・なつが、アニメーターとして活躍する半生を追う本作は、いよいよ物語も佳境を迎えようとしています。
そして、ドラマの人気と共に注目を集めているのが、本作でアニメーションの時代考証を担当しているアニメーター・小田部羊一さんと、その亡き妻でドラマ主人公のモデルとされている、国内で女性アニメーターの草分けとして活躍していた奥山玲子さんです。
『漫画映画漂流記 おしどりアニメーター奥山玲子と小田部羊一』(小田部羊一、藤田健次/講談社)は、小田部さんや親しかった第三者の証言を交えながら、奥山さんの実像をひもとく1冊。本書を手にとれば、今月まもなく最終回を迎える『なつぞら』の魅力にもよりいっそう迫ることができるはずです。
■スタッフには分け隔てなく「ボーナス出たからご馳走食べに行こう!」
東映動画(現・東映アニメーション)でさまざまな作品にたずさわった奥山さんの生涯は、ときに葛藤を抱えながらも、アニメーターとして生きる決意をした『なつぞら』の主人公・なつのイメージと重なります。東映動画時代から奥山さんと親友だったという山下恭子さんは、当時の思い出を述べています。
ふたりの友情はどうして育まれたのか。その理由は「楽しかったから」に尽きると、山下さんはいいます。本書からは奥山さんの気前のよさもうかがえますが、それを表すお話のひとつが、山下さんの語るエピソードです。
日本のアニメーション業界が黎明期だった当時。社員採用と契約採用のスタッフが机を並べて同じ仕事をしている環境下では、待遇の違いによる不満がただよっていたそうです。そこでまっさきに声を上げたのが、奥山さんでした。
ある日、奥山さんはそこにいたスタッフへ分け隔てなく「ボーナス出たからみんなでご馳走食べに行こう!」と提案しました。向かったのは、新宿のロシア料理店。めったに食べられないボルシチやピロシキに舌鼓を打ちつつ、不満をぶつけ合った当時の記憶を山下さんは「今でもあの味は忘れられません」と回想します。
■制作現場では常に「ファッショナブルで目立つ」人物だった
奥山さんが単独名義として国内初の女性作画監督を務めたのが、1975年公開の映画『アンデルセン童話 にんぎょ姫』でした。同作で監督を務めた演出家・勝間田具治さんは、アニメーターとしての一面を述べています。
奥山さんの印象を「屈託なくいろいろと話すし、おかしいところはちゃんと突っ込んでくる」と語る勝間田さん。現場では「とにかく美人で、コスチュームをいつも変えてくる」と当時のエピソードを明かしつつ、とにかく「ファッショナブルで目立つ」人物だったと振り返ります。
かたや仕事への姿勢は「男性っぽかった印象が消えない」とのこと。制作の場面では「ポンポンとお互いに仕事上のキャッチボールをしていた感じだから、ケンカみたいなのも一度もなかった」と衝突はなかったそう。女性の社会進出が今ほど当たり前ではなかったはずの時代に、凛として生きていた奥山さんの実像が垣間見えるエピソードです。
■「自然と認めるほかになかった」と強く信頼していた小田部さん
アニメーターとしても信頼し合うパートナーだった小田部さんと奥山さんは、1963年に結婚。業界でも“おしどり夫婦”といわれたふたりの生活について、本書では小田部さん本人の証言も掲載されています。
なれそめは社交ダンスで、友人宅で踊っている最中「ふと僕の方から手を握っちゃったんだよね(笑)」と照れながら明かす小田部さん。とはいえ、共働きの生活では大変な場面もあり、子どもが小学生の頃には「僕が徹夜仕事を終えて、朝、仕事から帰ってきて朝食を食べさせるとか、奥山が会社で遅くまで残業してもなんとかその日のうちに帰ってくる」といった時間のやりくりに悩む機会もあったといいます。
一方で、仕事と生活の両面において「奥山の意志の強さとか見てるから自然と認めるほかになかった」と、特別なアドバイスをした記憶はないと語る小田部さん。どれほど大変であろうと、妻に「育児が大変だから仕事を辞めてくれ」という気持ちが浮かんだことはないそう。たがいの間に強い信頼関係があったことが伝わってきます。
さて、本書ではこのほかにもさまざまな証言にもとづくエピソードが収録されており、奥山さんの生涯に迫るのはもちろん、黎明期であった日本のアニメーション業界の内実にも触れることができます。朝ドラをきっかけに広く知られることになったひとりの女性の生きざまは、きっとあなたの背中を押してくれるはずです。
文=青山悠