「気にしすぎてクヨクヨ…。その気持ち、うまく説明できますか?」/『気にしすぎる自分がラクになる本』①

健康・美容

公開日:2019/9/24

ちょっとしたことでクヨクヨしてしまう…。人から言われた一言を気にしすぎてしまう…。「小さなことを気にしすぎてしまい、生きづらさを感じる人」が、ラクに生きるにはどうすればいいのか――。「気にしすぎる自分」とうまくつきあう方法を、多方面から心の問題に取り組む精神科医が具体的に伝えます。

『気にしすぎる自分がラクになる本』(長沼睦雄/青春出版社)

まずは「気にしすぎてクヨクヨ」の正体を知ろう

 小さなことが気になってクヨクヨ悩むのは、非常につらいことです。

 ですが、このつらい経験は自分の内面をみつめるための、またとないチャンスともいえます。自分の中で渦巻いている怒りや悲痛な叫びに耳を傾けることで、自分という人間の本当の姿を知ることができるからです。

 何かを忘れられず悩み、困っているあなたは、「そんなこといわれても、苦しいこの状況を成長のチャンスなんて思えないよ……」 と、思われるかもしれませんが、これは私が長年の診療経験から得た実感です。「気にしすぎてクヨクヨすること」は、人をひとまわりも、ふたまわりも成長させる、少々苦い良薬なのです。まさに良薬は口に苦し、ですね。

 薬は効果もあるいっぽうで、怖いのが副作用です。「クヨクヨ」の正しい使用法を学ぶためにも、まずはクヨクヨの正体について知っておきたいものです。

 というわけで、この章では「気にしすぎによって起きるクヨクヨ」の正体をじっくりと解明していきます。

 私は精神科の医者として毎日、患者さんを診ているので、もしかすると、少し極端な話が出てくる可能性があります。でも程度の差こそあれ、すべての人の中に、形は違っても、同様の症状や性向、偏りなどがあるはずです。

 ご自分の心の中と照らし合わせながら読み進めていただければ、きっと何らかのヒントや助けになると思います。

 新しい情報にも出合えるはずですので、期待してくださいね。

 では、始めます!

不安とうつうつとした心が「クヨクヨ」の正体だった

 小さなことを気にしすぎて、クヨクヨ思い悩んでしまう。

 このとき心はどんな状態にあるか、しっかりと認識、理解できているでしょうか。

 自分が悩まされている心の動きなのに、このとき心がどうなっているのかを考えることは少ないように思います。たしかに、気にしすぎてクヨクヨ思い悩んでいるときは、そのクヨクヨを生み出す悩みのタネばかりに目がいって、自分の心の動きを俯瞰して考えることはむずかしいものですよね。

 そこでまずは、「気にしすぎて、クヨクヨする」という心のありかたを考えましょう。

 小さなことが気になって仕方なく、それによってクヨクヨしているときは、思考は停滞して、視野も狭まって、物事を客観視できず、同じひとつの考えのまわりを堂々めぐりしている状態です。グルグルと同じことを考えつづける、「グルグル思考」といってもいいかもしれません。

 このような心のありかたは「うつうつとした気持ち」と「不安」に支配されている不安とうつうつとした心が「クヨクヨ」の正体だった状態であると考えられます。

 もちろんうつといっても、うつ病になっているというわけではありません。心の中がうつうつと重い感情に支配されていることを指します。それでは、重い感情が生まれてしまうのは、なぜなのでしょうか。

 それは、心の中に飛びこんできた刺激や情報が処理できていないからです。つまり、ここでのうつは、これらが処理できていない状態、いってみれば「心の便秘」になっているようなものです。

 人は、生きている中で、さまざまな刺激や情報を無意識にとりこんでいます。

 多くの人は、それを自分の中で処理して、友人に話したり、怒りに変えて発散するなど、何らかの形でアウトプットしているのですが、クヨクヨ思い悩むのがクセになってしまっている人は、それがうまくできません。

 心の処理機能がうまく働かず、身のまわりのいろいろな出来事や情報、もしくは小さな頃から抱えていた心の傷が心の中でわだかまっていて、それらの整理と処理をどうすればいいのかわからないまま悶々としているのです。これが心をうつうつした気持ちに支配されている状態です。

 それでは、もういっぽうの心の動き、不安に支配されている状態とは、いったいどのような状態でしょうか。

 うつが、たくさんの刺激や情報を処理できない状態だとしたら、不安に支配されている状態とは、目隠しをされ、必要な情報が入ってこない中で、目にみえない何かに怖がっているようなものです。

 当然ですが、目隠しをされたままでは、まわりの状況がわかりません。

 そのため、だれがいつどこで、自分に対して何をするか、そういったこともわからないし、そもそも、そのだれかがいるのかどうかさえも定かでなかったりします。だから、対処のしようがなく、ただ、「どうしよう、どうしよう」とうろたえてしまうのです。

 ちなみに、恐怖を感じるときには、この「目隠し」がありません。目隠しがなくて恐れる対象がみえるからこそわき上がる感情が、恐怖なのです。

長沼睦雄
十勝むつみのクリニック院長。北海道大学医学部卒業。HSC/HSP、発達障害、発達性トラウマ、愛着障害などの診断治療に専念し、脳と心と体と魂を統合的に診る医療を目指している