「ご飯をつくること」で、私は回復できた。異色の料理本『cook』が教えてくれた、料理の意味【読書日記8冊目】

文芸・カルチャー

公開日:2019/9/30

2019年4月某日

 映画の試写会にお呼ばれして六本木に来た。六本木という街はどうも落ち着かない。建物すべてが大きくて、それもただ大きいだけではなくて、大きさを競うようにつくられているようで、眺めていると過呼吸を起こしかける。その日も例によって落ち着かず、ビルの一角にある鄙びた書店にふらりと入って、目について気になった本を片っ端からカゴに入れてレジに持っていったら8,000円近くになった。心が揺らぐと本を買ってしまうのは、自分の輪郭を確かめたいからじゃないかと自分なりに分析している。

 買ったのは、イ・ランさんの『悲しくてかっこいい人』(リトルモア)とチョ・ナムジュさんの『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)、坂口恭平さんの『cook』(晶文社)。韓国のフェミニズムが気になっているのはわかったけど、料理か――。私は、はてと首を傾げた。それでも、私の最近の関心事はそんな感じなのかとわかってホッとして、呼吸を整えて無事に試写会の会場に向かうことができた。

 試写会から帰ってきてベッドに横になり、買ってきた本をサイドテーブルにどんと置いてパラパラ読み始める。活字を読む元気はなくて、真っ先に手に取ったのが坂口恭平さんの『cook』だった。

『cook』は写真付き料理日記がメインで、巻末に料理にまつわるエッセイが収録されている。料理本といえば、材料やレシピが書かれているものだけれど、この本には作り方の記述がほとんどない。代わりに坂口さんの日々の思索が手書きで書かれている異色の一冊だ。

 元々は坂口さんご自身の鬱の治療の一環として、料理とその記録を始めた“実験”がそのまま本になってしまったのが本書。文字も手書きだし、書かれている内容も「アニサキスに気を付けてとお店の人に言われた」とか「最後におろししょうがを入れたらアラ不思議! 吉牛よりうまい牛丼に!」とか「とんかつにしようと思ったが、胃がさっぱりしたものを求めていたので、冷蔵庫にある材料で冷やし中華をつくった」といったものばかりで、その感情がみずみずしくて、まるで人の日記を無断で覗き見ているような決まりの悪い高揚感がクツクツと煮えてくる。なんでもないような他人の日常に触れると安心するのは、他人と自分の間に〔生活〕という共通項が見いだせるからだろうか。

 病気の経過も細かく書かれている。坂口さんの闘病がマラソンだとしたら、水を持って一緒に走らせてもらう伴走者になった気分で1ページ、1ページを緊張しながら手繰る。料理の腕はみるみる上がり、日によって元気になったり少し落ちたりまた上がったりという細かな経過を読ませてもらっていると、伴走していたはずのこちらの生きる力の底上げをしてもらえるような気持ちになる。坂口さんは本書の中で、料理は“治療”で、料理などの作業を継続して揺るぎない自分の価値を貯めていくことを“貯作業”と呼んでいるけれど、それがすっかり体現されているようだ。

 そんな風におもしろく読みながら、私はこの感覚に覚えがあることに気づいた。

 5年ほど前、体調を崩して新卒で入った会社を休職していた。玄関で靴を履こうとするとお尻が床にくっついてしまったように離れなくなり、電車に乗ろうとすると過呼吸になってしまう。会社に行けなくなった私は、知人に紹介された心療内科で勧められた食事療法を取り入れることになったのだった。

 食事療法といっても難しいものではなく、肉や魚、野菜を積極的に摂り、自分で火を入れるというもの。それでも、初診で「普段何を食べていますか」と聞かれて「スーパーのメンチカツと発泡酒です」と答え、お医者さんの鋭いまなざしを受けた私にとっては、その程度の自炊もハードルが高いものだった。加えて、待合室のそこかしこに「鉄分を摂れば精神が良くなる」といった内容の本が置かれているその病院について、正直なところ少し胡散臭く思っていたし、心の調子が悪いと言っているのに体へのアプローチを施されるのが、私の申し入れを聞き入れてもらえなかったような気がして、食事療法には抵抗感を覚えた。

 でも、いざ始めてみると、スーパーで食材を見て、選んで、買って、火を入れるという工程を毎日続けることは少しずつ私の自信になっていた。料理と呼べるほどの代物ではないけれど、つくったものを写真に撮ってFacebookにアップして反応がもらえるたびに少しだけ社会とつながれた気がした。いいねを集めたがるのは承認欲求の表れだと揶揄される。それでも、肯定感が干上がった当時の私にとっては、砂漠の中の一滴の水ほどに身体に染みた。食べていた食事の内容がよかったのかどうかはわからない。ただ、毎日料理をすると決めて続けたことは確実に私の味方になってくれたのだった。

 今でも体調が悪くなったり、原稿が手につかなくなったりするときは、食材を買い込んで火を入れる。立派な料理はできないので、火を入れるだけ。それでも、自分の手で何かをつくれるという自信がそのまま安心になって、毛布のように私を包んでくれる。

 すっかり忘れていたけれど、料理は立派なセラピーなのだった。そのことを『cook』が思い出させてくれた。

文=佐々木ののか バナー写真=Atsutomo Hino

【筆者プロフィール】
ささき・ののか
文筆家。「家族と性愛」をテーマとした、取材・エッセイなどの執筆をメインに映像の構成・ディレクションなどジャンルを越境した活動をしている。Twitter:@sasakinonoka