アウシュヴィッツ収容所という地獄で見出した恋と希望――実話をもとにした抵抗の物語
更新日:2019/10/4
好きな仕事をみつけて成長したい。さまざまな経験を積んで、世界を見て回りたい。そしてなによりも、この人しかいないという人をみつけ、恋に落ち、ともに楽しい時間を過ごしたい……。
若者の誰もが胸に宿すささやかな望みを真っ黒に塗りつぶされ、「朝、目が覚めたなら、今日はいい日だ」と思うまでに追い詰められた人々がかつていた。ナチスによる民族浄化作戦で迫害された被害者たちだ。
第二次世界大戦、アドルフ・ヒトラーが率いるナチス政権は、彼らが思うところの「劣等民族」を次々に収容所に送り込み、殺していった。標的となったのはユダヤ人だけではない。非定住民族のロマやナチスにとっての敵国人、またヒトラーを厳しく批判した学者や言論人も含まれていた。要するに「気に入らない者」なら誰でも抹殺したのだ。
本書『アウシュヴィッツのタトゥー係』(ヘザー・モリス:著、金原瑞人・笹山裕子:訳/双葉社)の語り手であるラリは実在の人物である。1942年から1945年までの3年間、アウシュヴィッツとビルケナウを行き来しながら死と隣り合わせの毎日を過ごした。彼はスロヴァキア生まれのスロヴァキア育ち。ユダヤ教徒だとはいえ、自身のアイデンティティはむしろ「スロヴァキア人」だった。それでも、ナチスは彼を捕え、家畜運搬用の列車に詰め込み、ポーランドにあるアウシュヴィッツ収容所に送り込んだのだ。
収容所では収容された全員に何らかの仕事が与えられていた。力仕事から事務、さらに死体処理係まで、何の仕事に就くかは管理するドイツ軍人の胸三寸で決まる。そして、どんな仕事をするかで生存の可能性が大きく変わる。だから、ラリは、彼らに迎合するような態度を取ることにした。
だが、屈服したのでも同胞を裏切ったのでもない。
生き延びること。
何が何でも生きたまま収容所を出ることこそ、最大の抵抗になると考えたのだ。
幸いラリは人好きする性格で、何ヶ国語も話せる教養豊かな人物だった。そして、若いわりには世知に長けていた。比較的優遇されるタトゥー係の任に就くことができたのは幸運ばかりではなかったのだろう。
タトゥー係の仕事は、輸送されてくる人々の腕にナチスが与えた番号を刻むこと。収容者を家畜扱いし、名を奪うことで尊厳を踏みにじるのだ。こんなことを考え出し、実行に移すことができる人間の底知れない悪意には言葉もない。
人が遊びで銃殺されるような状況の中、ラリは立場を利用しながら少しでも他の収容者の役に立とうと奮闘する。そして、最悪の場所で初めての恋に出会うのだが……。
重い内容だ。だが、シンプルかつ行き届いた訳文のおかげでとても読みやすい。また、著者がラリから受けた「個人的な感傷は一切、話に持ち込んでほしくない」という注文に忠実であろうと努めた結果、映像ならばとても見ていられない酷い場面も抑えた筆致に留められている。地獄でも心を失わなかった人々のエピソードや、ラリの恋の顛末が救いになってもいる。
ラリの3年間は、現代を生きる私たちが必ず知るべき人類の負の記憶だ。同時に、決して生を諦めなかった男が「真の強さ」を問いかける記録でもある。
今、我が国も含めた世界各国で再び不寛容の大波が起ころうとしている。私たちは再び過ちを犯してしまうかもしれない。そんな時期だからこそ、本書が世界各国でベストセラーになっているという意味は大きい。
戦争のような極限状態でなくても、私たちは想像より簡単に被害者にも加害者にもなる。そして、どちらの立場になっても、夢見たはずの幸せな人生はあっさり破壊される。
「ひとりを救うことは、世界を救うこと」
ラリが遺した言葉の意味を、今こそしっかりと考えてみたい。
文=門賀美央子