新渡戸稲造の「野球批判」が大きな波紋に! 各界の知識人たちがこぞって発表した野球害毒論とは?/『奇書の世界史』③
公開日:2019/10/13
これは良書か、悪書か。時代の流れで変わる、価値観の正解。ロマン、希望、洗脳、欺瞞、愛憎、殺戮―1冊の書物をめぐる人間ドラマの数々!
『野球と其害毒』は、1911年8月29日から9月19日まで、「東京朝日新聞(※1)」紙上で全22回にわたって掲載された連載コラムです。連載の趣旨は、そのタイトルが示すとおりです。アメリカよりもたらされ、日本で熱狂的ブームとなっていた「野球」に対する批判をまとめたものです。連載の第1回目には、『武士道』の作者で、当時の第一高等学校(※2)校長、“5000円札だった人”こと新渡戸稲造(※3)を迎えたことで巷間に大きな論争を巻き起こしました。
各界の知識人たちがこぞって「野球批判」
新渡戸のほかにも、旧陸軍大将にして当時の学習院長の乃木希典(※4)や、東京大学医科整形医局長の金子魁一(※5)など錚々たる顔ぶれです。
彼らはいずれも、昨今若人たちが熱狂する「野球」なる遊戯が、社会や若者にとっていかに悪影響となりうるかをそれぞれの立場から論じています。各回の小見出しだけをかいつまんでみても、
「巾着切り(スリ、泥棒)の遊戯」第一高校校長 新渡戸稲造
「野球の弊害四ヶ条」府立第一中学校校長 川田正澂
「全校生の学力減退」攻玉社講師 広田金吾
「弊害百出」山梨県都留中学校校長 寺尾熊三
「徴兵に合格せぬ」順天中学校校長 松見文平
「選手悉く不良少年」曹洞宗第一中学校校長 田中道光
「必要ならざる運動」学習院長 乃木希典
このように、非常に強い言葉で批判を浴びせています。何より連載第1回目の新渡戸稲造の談話は世間に大きな波紋を起こしました。というのも当時、新渡戸が校長を務める第一高等学校は、自校内に野球部を持つうえ、早稲田、慶応と並ぶ強豪校として名高かったからです。
この話題は東京朝日新聞だけにとどまらず、東京日日新聞社(※6)を筆頭とする「野球擁護論者」たちとともに、大きな論争を巻き起こしました。
では、それぞれの展開する「野球害毒論」を順に見ていきましょう。
教育上、発育上、よろしくない
まずは新渡戸稲造の談話からです。新渡戸が展開した野球批判はおおよそ次のようなものでした。
●野球は賤技なり剛勇の気なし。
●相手を常にペテンにかけよう、計略に陥れよう、塁を盗もうなど、眼を四方八面に配り神経を鋭くしてやる遊びである。
●ゆえに米人には適するが英人やドイツ人には決して出来ない。
●英国の国技たる蹴球(フットボール)(※7)のように鼻が曲がっても顎骨が歪んでもボールに嚙り付いているような勇剛な遊びは米人には出来ない。
●日本の野球選手は礼儀を知らない。過日の軽井沢で行われた外国人との試合において不調法な野次を飛ばして試合が中止になったという。
●海外では「スポーツマンライク」と言って非常に礼儀正しいことであるが、これを日本語に訳して「運動家らしい」と言うとなんというか礼儀も知らぬ破落漢(ごろつき)の様に聞こえるのも日本の運動家の品性下劣から来ている。
野球批判をしたいのか、お国批判をしたいのかよく分からない内容です。
ちなみに「外国人に野次を飛ばして怒らせた」というのは、まったく逆の構図で、向こうから野次を飛ばしてきたのだ、と当時試合に参加した選手から反論が上がりました。
「野球の弊害四ヶ条」と題して、府立第一中学校長の川田正澂が述べたのは次のような論です。
●第1に学生の大切な時間を浪費させる。
●第2に疲労の結果勉強を怠る。
●第3に慰労会などの名目で牛肉屋、西洋料理店などに上がって堕落の方へと近づいて行く。
●第4に体育としても野球は不完全なもので、主に右手で球を投げ、右手に力を入れて球を打つがゆえに右手ばかりが発達してしまう。
そして数ある野球害毒論のなかでも、ひときわ強い語調で野球を批判しているのが、順天中学校長の松見文平(※8)です。
●野球の問題を訴える人々は、野球に一分の利がありつつも害の方が多いという論調のようだが私は根本から野球其物を攻撃したい。
●野球は成長期にやらせると、学生の体格を目茶目茶に壊してしまう、学生の運動としては最も悪いものだ。
●野球選手が勉強ができないというのは熱中のあまり勉学を怠るためと言われているがそうではなく、掌へ強い振動を受けるためにその振動が腕から脳に伝わって脳の作用を遅鈍にする。
●また野球をやりすぎれば、右手右肩だけが発達し、指は曲がったり根元ばかりが太くなり指を併せることができなくなり、結果的には徴兵に合格しなくなってしまう。
掌に衝撃を受けると脳に悪影響が出る、というのはなかなかに突飛な理論です。
また、「徴兵に合格できない」ということが当時の人々にとってどれほど大きな影響をもたらしたかは、現代の視点からは想像しがたいものです。たとえば、戦後最大の大量殺人事件とされる「津山三十人殺し」の犯人の動機のひとつは、「丙種合格(※9)を理由に周囲から距離を置かれたため」であると言われています。
元選手までもが批判した?
野球の弊害を訴えたのは教育者だけではありません。9月5日、「旧選手の懺悔」という表題で野球を糾弾したのは、河野安通志(※10)という人物です。かつて早稲田大学で剛腕を振るい、早慶戦第1試合から中止となる第9試合までを先発で完投した名選手でした。
河野の発言の要旨は次のとおりです。
●選手が練習のために学業をなまけ落第する。
●私も早稲田などに入らず商業高校にでも入っていればよかった。
●日本野球の悪習として、選手が華美な服を好むというものがある。
●海外遠征などでアメリカにかぶれ、向こうの妙な格好を日本に伝播してしまったことは懺悔せずにはいられない。
●試合において入場料を取るなどという行為は中止すべきと思う。
かつてのスター選手が語った「懺悔」に、世間は大きく動揺しました。
ところが、この意見に異議を唱える1人の男が現れました。それは河野安通志、本人だったのです。
「旧選手の懺悔」から3日後の9月8日、東京日日新聞に「野球に対する余の意見」という記事が掲載されます。そのなかで河野は、怒りとともにおおよそ次のように述べました。
●東京朝日新聞に掲載された自分の「懺悔」は事実ではない。
●自分が記者の名倉聞一にインタビューを受けたが、掲載されたようなことは一切言っていない。
●選手の服が華美というのはたしかにそう思わなくもない。
●しかし、入場料については当然の措置だ。きょうび演奏会も演説会も入場料を取る。
●これは名誉の問題であり、以上の文を「野球と其害毒」と同ページ、同サイズの活字で8日までに掲載してほしい。されない場合は即刻法的な手続きに出る。
河野の抗議を受けた東京朝日新聞は、その2日後の9月10日、紙上に河野の「反論文」を掲載しました。
本人の希望どおり、同ページ、同サイズの活字での掲載ですが、せめてもの反抗か、他の記事と比べて行間が狭く、ルビ(ふりがな)もなく若干読みづらい構成になっています。
また「反論文」の前置きには、記者による1文も載せられています。そこには、「河野氏曰く、いろいろなしがらみがあってああ言わざるを得なかった。申し訳ないがこの文章を載せてくれと頼みこまれたので載せる」という、新聞社側の言い訳めいた内容が記されています。
ちなみに河野は、のちに日就社(現在の読売新聞)の主催した「野球問題演説会」にて、「我が腕を見よ」と言い、野球による発育弊害論への反論を自身の腕で証明しています。
どちらの新聞が噓を言っているのかは、現代では分かりかねます。しかし、河野はのちに日本初のプロ野球リーグを創設するメンバーの1人となることから、少なくとも野球選手であったことに後悔はしていないと推察します。
害毒論が生まれた、よんどころない理由
『野球と其害毒』は、今日の野球を基準としてみればあまりにも強引な批判と言えます。しかし、当時の「野球」というスポーツが置かれた状況を鑑みると、たしかに「害毒論」が生まれる下地はありました。
日本に野球が伝わったのは、1872年、来日した米国人ホーレス・ウィルソン(※11)が当時の第一大学区第一番中学(※12)で教えたことがきっかけとされています。その後、「打球おにごっこ」という名で全国的に広まりました。
ちなみに現在の「野球」という名称は、第一高等学校野球部員の中馬庚(※13)が部誌のなかで用いたのが始まりとされています。(※14)
第一高等学校野球部は、国内における野球発祥の場所というだけあり、各大学の追随を許さない強さを誇っていました。
しかし無敵の牙城を崩したのが、早稲田大学、慶応大学の2校です。1904年に早稲田大学が第一高等学校を破ると、早慶戦の時代へと突入します。
早稲田大学教授の安部磯雄が率いる早稲田大学野球部は、アメリカへ遠征を行いました。バントやスライディング、ワインドアップ投法(※15)など、これまで見たことのない本場の技術を日本に持ち込んだことで、大学野球のレベルは飛躍的に向上したのです。球場を駆け回る選手たちに、観客も夢中になりました。
また、安部が持ち帰ったのは野球の技術だけにとどまりませんでした。
「本場の応援法」は、各校ごとに応援団を結成し、カレッジソングを熱唱。カレッジフラッグを振り回し、時には相手チームに野次を浴びせるというものです。これは、瞬く間に各大学に広がりました。そして、重要な試合の前には相手校へ脅迫まがいの不審電話まで相次いだのです。応援のしかたが明らかに異常な方向へエスカレートしていったことで、早慶戦が「状況不穏のため」という理由で無期限休止となることもありました。
また、有力チームの選手たちにファンがつき、さらには追いかける人も現れるなど、さながら人気アイドルのような様相を呈し始めます。
そして選手のなかには、海外で半端に覚えた嚙み煙草を口に含み、茶色い唾を吐く者。試合に勝てば、チームのファンたちの金で飲み屋を渡り歩く者などが現れました。野球を取り巻く状況に、当時の父兄らが眉をひそませたのも十分うなずけます。
「さわやか」なイメージは、害毒論のおかげか?
そんななか、当時国内唯一の全国紙であった東京朝日新聞社は、大阪で急激に発行部数を増やす新聞社がついに東京へ進出するという噂を耳にします。そして1911年、大阪毎日新聞は東京日日新聞を買収し、国内2番目の全国紙へと躍り出ます。
ちなみに、東京朝日新聞が「野球と其害毒」を連載したのは、東京日日新聞の買収と同じ年です。これは、大阪の脅威に対抗するために、当時良くも悪くも衆目を集めていた「野球」を記事として利用したのではないか、という見方もあります。
しかし、すでに圧倒的な人気を誇る野球の批判記事を好んで読もうという人は少なく、「野球擁護論者」たちに完全にやり込められてしまう形となりました。一方、大阪に拠点を置く大阪朝日新聞は、東京での連載終了後に、野球の好意的な記事を徐々に増やしていきました。そして4年後の1915年、「国内野球を正しい方向へ導くため」として、全国中等学校野球大会(※16)を主催するに至ったのです。
当時の大阪朝日新聞社説には次のようにあります。
攻防の備え整然として、一糸乱れず、腕力脚力の全運動に加うるに、作戦計画に知能を絞り、間一髪の機知を要すると共に、最も慎重なる警戒を要し、しかも加うるに協力的努力を養わしむるものは、吾人ベースボール競技をもってその最なるものと為す
大阪朝日新聞(1915年8月18日付)より引用
*
──以上が、「野球と其害毒」に関する紹介です。
理性や感情が入り乱れる野球批判の論調を見ると、2000年代に話題となった「ゲーム脳」(※17)などといった各種「害毒論」が思い出されます。
野球にしろ、ゲームにしろ、世の中に突然現れたものは、人々への影響力が強ければ強いほど「善い・悪い」だけでなく、「快・不快」の議論にも晒されるものです。
「良い影響を与えるかどうか」だけでなく、「私が気に入るか」という基準は、世の中では個人の判断軸として必ず存在します。しかし一方で、善悪の基準を掘り下げてみると、根っこにあったのは快・不快の話だったということはよくあり、そこがまた面白いところでもあります。
現在の高校野球にある「さわやかな」イメージも、もとをたどれば「害毒論」に対するアンチテーゼとして大阪朝日新聞が作り上げたものです。そう考えれば、そもそも「害毒論」がなければ、現在の野球はもっとアングラな雰囲気のスポーツになっていたかもしれません。
対論が存在するというのは、その題材をさらなる高みへ導くための大切な要素であると言えるでしょう。
※1
現在の朝日新聞。
※2
現在の東京大学教養学部。
※3
にとべ いなぞう(1862年9月1日〜1933年10月15日)。日本の教育者・思想家。農業経済学・農学の研究も行った。
※4
のぎ まれすけ(1849年11月11日〜1912年9月13日)。日本の陸軍大将。教育者。
※5
かねこ かいいち(1883年2月5日〜1953年8月19日)。日本の整形外科学者。東京女子医学専門学校(現東京女子医科大学)教授。
※6
現在の毎日新聞。
※7
ここではラグビーを指す。
※8
まつみ ぶんぺい(1861年7月15日〜1943年3月29日)。
※9
甲種、乙種合格が入営の基準となり、丙種は国民兵役であった。
※10
こうの あつし(1884年3月11日〜1946年1月12日)。アマチュア野球選手(投手)。日本初のプロ野球チーム創設者。
※11
Horace Wilson(1843年2月10日〜1927年3月4日)。
※12
東京大学の前身のひとつ。
※13
ちゅうまん かなえ/ちゅうま かのえ(1870年3月10日〜1932年3月21日)。日本の教育者、元野球選手。
※14
正岡子規が幼名の「升(のぼる)」をもじって、雅号として用いた「野球(のぼーる)」とした説もあるが、いわゆるベースボールとの関連はない。
※15
ピッチャーが投球前に、ボールを持った両手を頭上まで振りかぶること。
※16
現在の全国高等学校野球選手権大会。
※17
テレビゲーム、パソコン、携帯電話などの電子機器を操作すると、人間の脳に悪影響をおよぼすとする説。現在は、様々な分野から否定されている。
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