コンプレックスからの美容整形! 1mmでも可愛くなりたいと願ってきた有村藍里の現在地点は?
公開日:2019/10/19
グラビアやモデル、バラエティ、そして舞台などで活躍している、タレントの有村藍里。彼女のことを、フジテレビで放送されたドキュメンタリー番組「ザ・ノンフィクション」で知った人も多いのではないだろうか。
しかし、等身大の彼女、そして彼女が考えていることを私たちはどれほど知っているだろう。本人の独白により構成された書籍『1mmでも可愛くなりたい。』(有村藍里/扶桑社)には、ありのままをさらけ出した彼女の内面がていねいに綴られている。
■芸名“新井ゆうこ”を授かり自分の居場所を見つける
兵庫県伊丹市に生まれ、4人家族の長女として育った有村藍里。ゲームやアニメが好きだった少女は、高校時代に芸能界の門を叩いた。「今までとは違う自分になりたい」と思った彼女は、16歳で大阪の芸能事務所へ入り撮影モデルとしての仕事をスタートした。
当時は、平日は学校へ通いながら放課後にパン屋のアルバイトをこなし、毎週土日は大阪へ通い撮影モデルをするような日々。しかし、慌ただしい毎日の中でも「ここは私の居場所」だと思える場所ができたと感じ「不思議と大変さやつらさは感じていませんでした」と明かす。
もうひとつ、大きな変化だったのは事務所の社長から「新井ゆうこ」という芸名を授かったこと。最初は「正直あまり気に入りませんでした」としつつも、次第にモデル仲間たちから「ゆうこやん」のあだ名で呼ばれるようになり、彼女の中には「内向的な『藍里』」と「ちょっと社交的な『ゆうこ』」が生まれ、日常生活でも「次第に二人が近づきあっている気がしました」と回想する。
■スポーツ新聞が報じた“有村架純の姉”という記事で追い込まれる
高校を卒業後、モデルとして東京への進出を果たした有村藍里。2014年には書店やレンタル事業を手がける大手企業・TSUTAYAのイメージガールを決める「TSUTAYAプリンセス」のキャンペーンでグランプリを獲得するなど、彼女の人生は順風満帆かにみえた。
しかし、転機が不意に訪れた。2015年5月、あるスポーツ新聞が突然「有村架純の姉がグラビアアイドルをやっている」とスクープを報じたのだ。
記事には、彼女が参加していた撮影会でファンに向けてポーズを撮っていた写真が無断で掲載されていた。それ以降、自宅で「新井ゆうこ」と芸名を検索すると、上がってくるのは「有村架純の姉」と題されたまとめサイトや掲示板の情報ばかり。ときには「売名のために妹を利用している。恥を知れ」という心ない言葉を浴びせられた彼女は、自宅で引きこもるようになってしまった。
そして当時、もうひとつ恐怖をおぼえたのは「家族に嫌われるかもしれない」ということ。自分自身は仕事に対して「誇りをもっていました」とするも、私さえいなければこんな形で妹も取り上げられることもなかった…と悩んだ彼女は、芸能活動をやめるかどうかを考えるほど追い込まれた。
■逃げ道を断ちたい…本名で芸能活動を再スタート
苦悩した日々を乗り越え、2016年12月に彼女は「新井ゆうこ」という芸名に別れを告げて事務所から独立を決意。本名の「有村藍里」を名乗り、キャリアを再スタートさせた。
本名を名乗るには「覚悟も必要でした」と明かす彼女。芸名には、プライベートな人生と仕事を切り離せるメリットもある。しかし、「逃げ道があるときっと私は逃げてしまう」という一心から、「これからの人生におけるすべての行動を死ぬまで背負っていく」意志を胸に秘め、生まれ変わる決心をした。
その後、彼女はもうひとつの決断をした。自分を「ブスだ」と公言しながらテレビにも出演していたが、内心では「自分の性格が嫌いだったのに、今度は自分の見た目も嫌いになってきて、さらにもっと自分のことが嫌いになる」という悪循環に陥っていた。そんなある日、ふと「可愛くなりたい」という思いから、美容整形をしようと決心した。
手術の前日には自分の日記にこう綴っていた。「ほんとにするべきなのかなってずっと考えてる」「怖くて怖くてたまらない。涙が止まらない。手が震える。怖い」。しかし、コンプレックスだったという“口元”を整形したことで、今では「人目を気にせず、自然と笑えるようになった」と明かしている。
さて、本稿で紹介したエピソードは本書、そして彼女のごく一部。実際には、彼女自身の言葉でたくさんの思いが綴られている。ここに描かれているのは、“有村藍里”自身の生きざま。人それぞれにはさまざまな歴史があるが、本書を読めばきっと彼女に寄り添ってあげたいと思うはずだ。
文=カネコシュウヘイ