相棒は死刑囚であり姉の仇―― 危うすぎるコンビが猟奇殺人事件に挑む!

マンガ

公開日:2019/10/22

『黒白を弁ぜず』(窪谷純一/講談社)

 黒白(こくびゃく)を弁ぜずとは善悪の区別ができないこと。善である行為と罪との差は何かを考えさせるのが本作品である。

『黒白を弁ぜず』(窪谷純一/講談社)は、ふたりの男が犯罪に立ち向かうバディ(相棒)ものだ。ただ彼らは刑事と死刑囚なのだ。

 さらにその死刑囚・黒枝生(くろえだせい)は、刑事・白葉大地(しらはだいち)の姉を殺した張本人…。警視庁は特殊な連続殺人事件を解決するために、このおぞましくも危ういコンビを組ませるのだ。ネットでも話題のサイコサスペンス・コミックをレビューしていく。

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■姉を殺された刑事の相棒はその犯人の死刑囚

 東京・池袋で連続殺人事件が発生したところから物語は始まる。その殺害手口は全身の皮膚を剥がし、男性器を切断するという猟奇的なものだった。犠牲者が3人になったところで、警視庁は死刑囚、黒枝に捜査協力を依頼する。黒枝は犯罪心理学を学び、自身も7人の女性を殺害した猟奇殺人の犯人だった。

 その黒枝の監視役に命ぜられたのが刑事の白葉だ。ただ彼の姉は黒枝の手にかかった7人の被害者のひとりだった。白葉は自分の中から湧き出るどす黒い感情を押し殺しつつ、黒枝と行動を共にする。

 最初の事件の後、白葉は黒枝の過去について調べ始めた。それはまるで姉を殺した相手への複雑な感情を整理するかのように。わかったことは一部にカリスマとしてあがめられている黒枝の自伝書籍の内容が、事実と相違しているということだった。

 また黒枝は白葉の上司に尋ねる。警察はなぜ、自分の警護に、よりにもよって自分が殺した被害者の遺族をあてがうのか。特別な意図があるのか、と。

 警察は答えない。かわりに「善悪の境界」へと舵を切る。次々と起こる特殊な事件、それらは警察内で黒枝案件と呼ばれるようになる。殺人を犯した死刑囚とその被害者の弟という危ういコンビを猟奇的な犯罪の捜査に送り込む。

■その欲望は、白か、黒か。善か、悪か。

 白葉は姉の仇が隠している真実を知ろうとする。普段はクールだが、黒枝の軽口や挑発には当然のように感情を爆発させる。そんな中で本作のタイトルでありテーマである「黒白を弁ぜず」が語られる。

 黒枝は最初の事件の犯人を、「快楽殺人者ではない」と断定する。そして自分も快楽殺人者とは違うと続ける。

 そのとき白葉は怒りをぶつける。

何が違う
そうやって身勝手な欲望で他人の何かを……
命を奪って得た快楽だろうが

 別の場面で黒枝はこうも言う。

性衝動も復讐も人間の原始的な欲求だ
そこに違いなんて無い
そうでしょ?

だったら女を殺したい俺と
俺を殺したい大地くんの
何が違うの

 白葉はこれに答えられない。そしてふたりがたどりついた犯人、殺人者は、「自分は正しいことをしている」と主張するような人間だった。彼らは正義の名のもとに独善で命を裁いていた。

 利己的な欲望を満たすため、という意味では彼らと黒枝は同質である。そしてその欲望は、姉を殺された白葉の中にも復讐という名で存在していた。全ての人間の欲求・欲望が同じだとすれば、白葉の復讐心は善で、黒枝たちの殺人は悪と言い切れるのか。本作を読んでいくうちにだんだんわからなくなってくる…。

■黒枝と白葉の共闘の果てに待つ、残酷な真実とは。

 黒枝はほぼ素直に捜査へ協力しつつ、ときには白葉に自分を殺せばいいとうそぶき、ときにはその白葉の言葉を借りて、犯人を論破する。

 お前が善だと考えていることは悪と変わらない、黒枝は殺人犯たちにそう言い放つ。

 白葉はそんな男の過去にたどりつこうとする。その気になれば自らの手で復讐を遂げられる状況下で、自分を制しつつ。

 明らかになっていない黒枝が殺人を犯した真意。警視庁が犯人と被害者の弟を組ませることにした本当の理由。これらは残酷であっても目の逸らしようがないという“真実”だという。

 この危ういコンビの共闘の果てに何が待っているのか。ぜひその目で確かめてみて欲しい。

文=古林恭