従来の価値観を揺るがす! 死んだ人間を食べながら、男女が受精相手を探す…『生命式』村田沙耶香インタビュー
公開日:2019/11/6
「死んだ人間を食べながら、男女が受精相手を探し、相手を見つけたら二人で式から退場してどこかで受精を行う」――生命式と呼ばれるこの儀式は、葬式に代わるものとして、国から推奨され、補助金も出る。
『殺人出産』『消滅世界』『地球星人』……従来の価値観を揺るがす小説を次々上梓してきた村田沙耶香さんだが、それらの執筆のきっかけとなったのが、人肉を食べるというタブーを扱った、この『生命式』である。
村田沙耶香
むらた・さやか●1979年、千葉県生まれ。2003年『授乳』で群像新人文学賞(小説部門・優秀作)を受賞。09年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞、13年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島由紀夫賞、16年『コンビニ人間』で芥川賞受賞。著作に『タダイマトビラ』『殺人出産』『消滅世界』『地球星人』など。
「さまざまな作家がフリーテーマで短編を書くという特集が組まれた『新潮』(2013年1月号)で発表した作品です。私にとって久しぶりに短編を書く機会だったので、せっかくだから今までやったことのないものを自由に書いてみようと、あらゆる固定観念を振り払って取り組みました。でも、仕上がった作品を読んで、“さすがにこれはボツだな、叱られるかもしれない”と。人肉を食べることはもとより、こんな儀式を勝手につくり、出席している人たちは故人の死を悼むわけでもなくみんなニコニコしている――。書き直しを覚悟して、締切よりもずいぶん早く送ったのですが、担当の方が『めちゃくちゃいいです!』と言って、『食べるシーン、もっと美味しそうにしましょう』と料理の本まで送ってくださった(笑)。それでホッとしたと同時に、“小説って本当に自由なんだ”と嬉しくなりました」
その自由の実感は、創作のターニングポイントになったという。
「それまで私が書いていたのは、既成概念の中で正しいとされる世界に追い詰められている主人公でした。けれど、その世界自体に“追い詰められるほど、正しいもの?”という疑いを抱いていて。それで自分の頭を実験してみたくなったんです。その気持ちは『生命式』を書いてからさらに強まり、もっと長いものでもやってみたいと『殺人出産』『消滅世界』へとつながっていきました。そこで得た、自分の中の新しい視点や執筆の手つきは、架空世界を舞台にしたものだけではなく、リアルを題材にしたものにも流れ込んでいった。あの手つきがあったからこそ、『コンビニ人間』も、ああいう作品になったのだと思います」
「本に収めたい」と願い続けてきた、モニュメントともいえる『生命式』を表題作にした作品集は、これまでいろいろな媒体で書いてきた短編を集め、その中から村田さん自身が選んだ12編が収められている。
「10年前の作品も、掌編と呼んだほうがいい短いものもありますが、自分の好奇心やテーマって、ずっと変わらない。同じものが流れているんだなと感じました」
本能や生理的という感覚がいちばん疑わしい
論理的には理解できる。けれど倫理観は揺れる。整然と構築された世界は、私たちの日常とよく似たパラレルワールド。
「そのセーター、人毛?」「結婚指輪なら、前歯を加工して作った指輪が一番いいのに」……その中の他愛ない会話にも価値観は揺さぶられる。
「表題作もそうですが、死んだ人間の身体を素材として活用する世界を描いた『素敵な素材』を書いていたら、自分にインストールされている常識というフィルターがどんどん破壊されていく感覚を覚えました」
作中の人々は人体こそが“ナチュラルで高価な素材”とありがたがるが、本能的に絶対受け付けないと感じた人も多いだろう。
「それこそが疑わしいと思っているんです。本能や生理的という感覚って、もともと自分の中に宿っているものだとされているけど、本当にそうなのかなって。環境や周囲の反応によって、知らず知らずのうちに植え付けられたものではないのかと。もしそうだとしたら、その感覚を信じていることのほうが怖い。“これは本能だから”と言ってしまうと、そこで思考停止してしまうけれど、私はその仕組みや正体にまで行きつきたいと思っているんです」
〈食べる〉をテーマにした作品も、そこへのアプローチだ。
「『街を食べる』という作品で主題としたのは “食べることができるか、できないか”。これは私にとってすごく大きな問題なんです。『素晴らしい食卓』という作品を書いているとき、登場人物が『食べることは相手の世界を信じること』と言いだしたんですが、“あ、本当だ”と。身体に摂取していいかどうかを決めるのは、生物的直感のようなものだと思い込んでいたけれど、それだっていつのまにかダウンロードされていた周囲の文化や情報ゆえの判断で、信じるか信じないか、つまり食べるか食べないかも決めている部分もあっただろうなって」
すべての物語は接続している疑問を深化させながら
小学生の女の子が隠れておじさんを“飼う”『ポチ』、人ではない“物”との奇妙な三角関係を描いた『かぜのこいびと』など、どこかファンタジックな物語が折々に挟まった作品集は、本というよりいろいろな曲調の音楽が収録されたアルバムのよう。読者の記憶の中に棲み続けていくであろう登場人物たちもいる。たとえば、70代の芳子と菊枝だ。
「『夏の夜の口付け』という掌編で、自分がまだ生きていない年齢を生きている人たちを書こうとして出てきた二人です。忘れられなくて、設定は少し変わりましたが、『二人家族』でも彼女たちのことを書いた。2編とも本当に短い物語ですが、大好きな二人をこの本に保存できてよかった」
“私たちの快楽は私たちのもの”という言葉が響いてくる『魔法のからだ』の、中学2年生の瑠璃と誌穂もそうだ。
「セクシャルなことって、公園に落ちているエロ雑誌や深夜テレビなどから、いつしか刷り込まれてしまう。けれど、自分で発見していくエロスもきっとある。この物語では、健全にセックスを知っていく少女たちを書きたかった。私にとって、エロスとは自分を追い詰めるものでもあったんです。母が古い人で、“見初められる”という言葉をよく口にしていて、女性が備えるべき性愛とは、処女性があって、可愛らしくて、男の人が喜ぶべきものだと。そういう仕組みの呪縛から離れられなかった。そこから解放されたのは、山田詠美さんの書くエロスに出会ってから。自分の身体は自分のもので、自分の意志でセックスをしていいんだと気付いたんです。そうした経験から、私自身がかかっていたその呪いから解放された女の子たちを書いておきたかった」
“宇宙人の目で人間を見たいという願望が、子供の頃から連続している”という、その願望の骨頂で描いた『パズル』、“自分には性格がない”と気付いた主人公の顛末が、ブラックなユーモアに包まれながら、自分にも反射してくる『孵化』――。
この一冊が示すのは、小説表現の豊かさ。そして現代とは異なる倫理観を持つ、この世界の人々が皆、蓄えているのは、生き延びたいという力強い思いだ。
「私の想像の中には、“縄文時代の自分”がいて、この村長が“生き延びるぞ、人類を絶滅させないぞ”と言っている(笑)。いろいろな小説を書いてきたつもりだったけれど、この短編集を編んであらためて感じたのは、今書いているものに至るまで、私はずーっと長い物語を書き続けていたのだということ。すべての物語は接続していたんです。私の執筆の原動力である、“何かを問う、自分に問う”という、その問いかけをどんどん深化させながら。きっと、その物語はこれからも続いていくと思います」
取材・文=河村道子 写真=冨永智子
(あらすじ)
葬式のかわりに、死んだ人間を食し受精行為を行うという、新たな儀式を描いた表題作、人間の身体を素材として再利用する社会を描いた『素敵な素材』など、著者自身がセレクトした12編は、今ある価値観や倫理観への疑問を投げかける。現代社会の抱える問題、人々がそこで感じる生きづらさを吸い取って広がる村田ワールドをすみずみまで堪能できる、意識革命的な短編集。