女性の脳は「論理的ではなく感情的」というのは科学がついたウソだった?
公開日:2019/11/20
理路整然としない怪しげな考え方を「非科学的」と呼ぶことがあります。裏を返せばこの態度は、「科学的な考え方は信頼できる」と“信じられている”ことを示しているといえます。この「信仰」は、社会的にインパクトが大きな事故があったときにも垣間見ることができます。
例えば、原子力発電所の事故があったとき。製造会社や大学の研究者、医療事故があれば大学病院の医師などに意見が求められます。重要な判断を下さなければならない局面では、専門家の意見に頼ることが一般的ともいえます。そして、このような専門家は科学的な思考のトレーニングを受けた人たちで、多くの人たちが科学への信頼感をもとにして、科学者と呼ばれる科学の専門家に頼るのです。
実際に、多くの問題が科学によって解決されています。現代的な生活は科学者たちによって実現されてきたともいえるでしょう。いまや生活必需品になったスマートフォンから火星探査などの夢が広がる航空宇宙産業まで、人類史上稀に見る発展を支えたのは科学であり、科学者たちでした。
ところが、ある分野ではこの信頼性に欠けがあるのでは…という意見があり、アメリカの女性ジャーナリストによる、『科学の女性差別とたたかう:脳科学から人類の進化史まで』(アンジェラ・サイニー:著、東郷えりか:訳/作品社)にはその詳細が述べられています。科学研究者としてのバックグラウンドを持つ著者は、自らの研究生活時代に感じた科学の世界への違和感について「科学的に」検証しています。
本書を読むと男女には本質的な違いがあると考えている人たちが相当数存在し、「社会的に異なる扱いをすることは当然である」との考え方が蔓延していることがわかります。一時期日本のメディアを賑わせた医学系大学の女性受験者に対する差別的待遇などは、記憶に新しいところではないでしょうか。そして、このような非合理的な考え方を主導してきたのが、合理的で平等な判断を期待されているはずの科学者たちだったと著者は鋭い語り口で斬り込んでいくのです。
本書で取り上げられる、女性を異物と考える「信仰」の例はさまざまです。共通するのは、多くの研究分野の男性科学者が「女性は男性より生物学的に劣っている」ことを当然と考えているということ。そして、本書で紹介されている性差を証明するような研究論文と、その数の多さには驚いてしまいます。最新の科学的な研究からは、男女の生物としての本質的な性差はなく、かえって女性のほうが優れた面があることが明らかになってきています。にもかかわらず、この差別的状況はそれほど改善していないようなのです。
このような思い込みが起こる原因の1つは、研究者に男性が多いからであると著者は指摘します。大学の学部では多くの女性が学んでいますが、大学院や研究職になるとその数は激減します。これは、女性が子どもを産んで育てる性であるとの社会の共通認識があり、研究者としてのキャリア形成を始める時期に出産・育児が重なりがちなため、女性が離脱しやすいことのあらわれだというのです。さらに、そのような女性の社会的な役割については、幼児教育段階から「刷り込み」が始まっていることも本書で触れられています。親が幼児に接する態度の中に、無意識に男女の性差を助長する行為が見られるというのです。
本書を読み進めると、男女の性差は生物学的なものではなく、幼年期から社会的に刷り込まれてきたものであることがわかります。そして、その考え方を社会的に承認してきたのが科学であり、科学者だったという事実。しかしながら、本書を記した著者の目的は、驚愕すべき事実の暴露にあるわけではありません。
もし、本当に男女に性差があるのであれば、科学的に理解すべきだというのが彼女の主張の根幹です。客観的事実があるのなら、それを認めることが男女の理解を深める第一歩だからです。問題は、原著のタイトルにもなっているように、女性のほうが劣っている(inferior)という偏見を以て、男女の性差の大きさを主張する行為なのです。本書によって、なんとなくイメージしてきた男女の違いが社会的に作られてきたものであることに気づく人が増えるはず。そうすれば、女性の社会進出を阻む強固な壁に風穴をあけることができるかもしれません。
文=sakurakopon