どうして過去の私的な体験を書かねばならないのか。『レズ風俗』著者・永田カビさんが、書くことは生きることだと教えてくれた【読書日記11冊目】

文芸・カルチャー

公開日:2019/11/11

2019年7月某日

 青い小さな箱の中で、黙々と文字を書く。大阪は谷町六丁目の「ことばを食べるカフェ みずうみ」という、壁一面真っ青なスペースで展示をすることにした。でも仕事にかまけて全く準備ができず、展示当日の今日になって準備をしているというわけ。だから、展示と銘打つには恥ずかしいクオリティだけれど、何回も失敗して恥をかけばいいのだと開き直った。冷房のリモコンを見つけられず、じんわり汗をかく。暑いし、焦っている。もうすぐオープンの13時。

 ただし、焦っているのは今日に限ったことではない。今月は展示のほかにもお洋服づくりも進めていて、本業の執筆も1カ月で60本承った。周りの人たちに「最近楽しそうだね」「イキイキしているね」「やりたいことをやれていていいね」と言われるし、楽しくはあるのだけど先行きが本当に不安だ。理由はわかっている。気づかないフリをしている。

 13時になっても人は来ず、「みずうみ」のオーナーさんと一緒におしゃべりをしているうちに人がパラパラと来てくれた。4人座ればぎゅうぎゅうというくらいの小さなスペースに、人が入れ替わり立ち替わり来てくれて胸がいっぱいになる。普段、ものを書いていても、どんな方が読んでいるかはわからない。

 16時くらいになるとお客さんが一回りして新しい人たちでいっぱいになった。どうして来てくれたのかなどを聞いて回っていると、さらに女性がひとり入ってきた。きれいな人だった。全身に透明な皮膚を1枚纏っているような雰囲気のあるその人にすっかり見惚れてしまい、「あの、これは佐々木ののかの展示ですけど、合ってますか?」と思わず聞いてしまった。その人は頷いて「今日は佐々木さんにお礼を言いたくて来たんです。でもうまく話せない気がして手紙も書いてきました」と言い、お土産と一緒に封筒を手渡してくれた。一言一言を噛み締めるような話し方で、とても誠実な方なのだなと思った。

 私の活動に賛同してくれて、これまで、「お礼を言いたくて」と言って会いに来てくださる方はいた。でも、お手紙をいただいた回数はそう多くない。しかも、見惚れるほどきれいな人にいきなり手紙を渡されるなんて、と私はのぼせ上がりそうな気持ちを抑えてお手紙とお土産を受け取った。そして、必死に照れ隠ししながら「手紙なんてもらうの初めてかもしれないです。お姉さんお名前は何ておっしゃるんですか?」などと言いながら、封筒の裏に目をやった。

 そこには、「永田カビ」と書いてあった。

 息が止まって身体が硬直し、脳だけがフル稼働してLTEランプがピコピコ点滅する。

「永田カビ レズ風俗 マンガ家?」

 頭の中に浮かんだキーワードを恐る恐る呟く。

「あの、間違ってたら申し訳ないんですけど、『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』のマンガ家さんです、か……?」

 私の絞り出すような声を察するように、お姉さんは笑って小さく頷いた。「目の前にいるきれいな人が永田カビで、しかも私にお手紙をくれた」という事実がしばらく受け止められず、私は永田さんがいる間ほとんど目を合わせることもお話しすることもできなかった。私は臆病な自分自身をジクジク呪いながらも、いただいたお手紙を読むのを楽しみに展示を終え、大阪は西成のゲストハウスでドキドキしながら封を開いた。

 これは永田さんからいただいた大事なお手紙の話なので、詳しくは私の胸の中だけに留めておきたいのだけど、私が2018年1月にnoteで公開した『五体満足なのに、不自由な身体』を読んでくださったこと、そのときに「エッセイってこんなにカッコいいんだ」と思ってくださったこと、それがきっかけでまたエッセイを描き始めることができたことなどが、便箋の端から端まで敷き詰められたお心遣いとともに書かれていた。私は全身の力が抜けてしまって、ベッドのうえで液体になってポロポロと泣いた。まるでひた隠ししていた私の背中側にそっと後ろ手を添えてくれるような手紙だった。

 派手な活動は目立つかもしれないけど、実のところ本当に書きたいものが書けていない。こんなことは絶対に、誰にも言いたくないけど書けていない。先月まで『五体満足なのに、不自由な身体』をベースにした私小説を出す話があった。でも、ノンフィクションとして出すことに気が引けて、自ら「フィクションとして書かせてください」と小説を書いてみたら担当編集者から「あなたらしくない」と言われてしまった。そして「何か遠慮してるんじゃないですか?」と言われて息が止まりそうになる。その日の打ち合わせは肩がガチガチになって、それから3日ほど肩が上がらなくなってしまった。先方を責めているのではない。あまりにも、図星すぎた。

 家族にも、誰にも、書くなとは言われていない。むしろ母親なんか「気にせずどんどん書いてね」と言っているくらいだ。だけど、あのnoteを公開して以降、対面で、オンラインで、いろいろな方からお言葉をいただく機会が増えた。その多くは「あんなに自分のことを赤裸々に書くなんて」というもので、それは賞賛の文脈でも批判の文脈でもそうだった。他の人が自分の体験をエッセイに書いても内容や文章の良し悪しについて触れてもらえるのに、どうして私は“さらけ出すこと”にばかり注目が集まってしまうんだろう、と思うと寂しかった。「過激なことを書いて承認欲求を満たしたいだけだろう」という声もあった。過激ともなんとも思っていなかったからびっくりした。書かずにはいられないだけだった。

 日記として自分の中に秘めておけばいいという意見もあったけれど、「汚いものは見せるな」と言われているみたいだなと思った。自分のために書いているものの、最低限「見られるかたち」にはしているつもりだった。小説にすればよかったのにという声もあった。でも、それでも結局「つくりもの」として世に出ることになるから嫌だった。

 自分の過去を、見てきたものを、存在しないものとして出すなら意味がなかった。

 でも、「小説にすればいい」という意見をいつまでも気にしていたのは、私自身がエッセイよりも小説のほうがどこか“上”だと思っていたからだ。どうしてかわからないけれど、エッセイよりも小説のほうがカッコいい気がする。もちろん著名なエッセイストさんともなれば話は別。でも、私なんて無名。自分の作品を大事には思っていると同時に、自分を生きる恥だとも思っていた。バカにされたくなくて、胸を張っていたくて小説を書きたいと言って、書いて、出した。でも、いいものが書けなかった。本当のことを書いているのにつくりもののように書こうとするとぎこちなくなる。そのことは自分でもわかっていた。結局その話は一旦ナシにしてもらった。いつでも待っていますと言ってもらったけれど、書ける気がしなかった。文章が書けなかったら、私に何が残るんだろうと思ったら絶望した。

 そういう焦りから、文章を拡張したいなどといろんなものに手を出している節もあった。もちろんそればかりではないけれど、そうしていないと摩擦で焼け死にそうだった。お洋服をつくってくれている会社の代表さんに「服をつくらせてもらっているのはたくさんの人に文章を届けるためなんです」と話したときに「そうなんですね! 僕はてっきり文章に飽きちゃったのかなって思ってましたよ~」と朗らかに言われ、喉のずっと奥のほうでヒッと小さく音がするのを確かに聞いた。でも、そんなことは誰にも、本当に誰にも言えなかった。

 だからこそ、永田さんの手紙はお守りで宝物になった。その日はいただいた手紙を何度も何度も読み返し、そのたびにまたたびを嗅いだ猫のように興奮しては溶けた。それからというもの、私は心が折れそうなときに永田さんの手紙を読み返した。

 そして、お目にかかってから3カ月後の2019年10月末、1冊の本が手元に届く。それが永田カビさんの最新作『現実逃避してたらボロボロになった話』(イースト・プレス)だ。

 このマンガは、永田さんがアルコール性急性膵炎と脂肪肝で入院するところから始まる。試し読みにも描いてあるけれど、永田さんがアルコール性急性膵炎になるまでの経緯を見ると、他人事ではなかった。眠れなくなったとき、描けなくなったとき、正気でいたくなくて酒を飲んでしまう。それは夕方から、あるいは早朝、起きがけに。お酒に頼りきりの時期はそのくらい飲んでいた。自分では危機感が薄かったけれど、その延長線上には入院があったのかと思うと背筋が凍った。身近なあるあるが親しみやすいタッチで描かれているからこそ、自分事として読み進めてしまうのは私だけではないだろう。

 その後も、永田さんの入院生活の描写は続く。“病人ビギナー”としての発見や驚きが解像度高く描かれていて面白く拝読した。アルコールや煙草が原因での病気は特に「自己責任」などと冷たい視線を向けられがちだけれど、当事者としての葛藤がきめ細やかに描かれていて、当事者は救われる思いがするだろうし、この病気になったことがない私のような人たちと当事者の間に存在する裂け目を縫っている。徐々に病状が回復し、できることが増えていく描写には「生きている」がみずみずしく鏤められていた。

 もちろんギャグも痛快で、マンガを読んでお腹を抱えて笑うなんてことは小学生以来だったし、何度か涙まで引き出された。お気に入りの箇所が何個かあるのだけど、ネタバレになってしまうので、いろんな人に読んでもらって早く語り合いたい。

 入院生活のエピソードの間には、創作する永田さんの苦悩も挟み込まれる。それは本の構成上差し挟んだというよりは、永田さんの人生にあって自然なものなのだと感じた。描きたいのにいろいろな事情に阻まれて描けずに苦しむ永田さんに、私は自分を投影してしまった。投影されるのは実のところあまり得意ではないから、自分が投影することにも罪悪感がある。でも、自分に近しい(と勝手ながら感じる)境遇の人がいるのだと知ることは、孤島からはるか遠くに上がっている狼煙を見つけたときのような希望がある。そんな気持ちにさせてもらえたのは、本当に久しぶりだった。

 歯を食いしばりながらページを手繰っていく。この人に元気になってほしい。また描けるようになってほしい。それは大上段からの希望というよりは、もはや身勝手にも自分事だった。本当に勝手ながらリング上でボロボロになって戦う永田さんのセコンドのような気分で、K.Oされかけたら私もリングに上がるぞというくらいの気持ちで、語りかけても届かない本に向かって念を送った。まだ見ぬ読み手の多くも、きっとそんな気持ちで永田さんのファイトを読み進めるだろうと思う。でも、それは「どういう体験をしたか」という“素材”の話でなしに、永田カビさんという作家の独自の視点であり、筆の力だ。当たり前のことだが、アルコール性急性膵炎と脂肪肝になったすべての人が同じように作品を描けるわけではない。そのことは希望になるとともに、書き手としての私を焚きつけた。

 火花散る祈りと滾る創作意欲を両輪で走らせながら読み進めた作品の終盤、見覚えのあるアイキャッチ画像の絵が目に留まり、私はいよいよ崩れるように泣いてしまった。

 作品のクライマックスまでを読み終え、いてもたってもいられなくなってベッドから起き上がってパソコンに向かう。

 折れかけた背骨を1本、鉄のような芯が貫いたのがわかる。この本は闘病する人、創作をする人、一生懸命に生きるすべての人へのバトンだ。

 ダサかろうが叩かれようが書き続けたい。そんな気持ちで、夜半から朝までを駆け抜けた。

文=佐々木ののか バナー写真=Atsutomo Hino

【筆者プロフィール】
ささき・ののか
文筆家。「家族と性愛」をテーマとした、取材・エッセイなどの執筆をメインに映像の構成・ディレクションなどジャンルを越境した活動をしている。Twitter:@sasakinonoka