「耳がきこえん?そりゃ猫だよ猫。」『江戸秘伝! 病は家から』②

文芸・カルチャー

公開日:2019/11/23

 窓のない部屋に住むとうつ病に!? 小石が癌の原因に!? 医者が治せない病に悩む市井の人々は、なぜ江戸商人・六角斎のもとを訪ねるのか。その孫の我雅院(ガビーン)が謎に迫る江戸ロマン小説! バナーイラスト=日高トモキチ

【第二病】耳がきこえん?そりゃ猫だよ猫。(市井の“町医者”六角斎の見立て)

 前回は、自身で体験した奇妙な出来事(目の病と窓に打った釘のこと)でしたが、いよいよ今回から祖父・六角斎の家で実際に私が見聞きした事例のあれこれをお話して参りましょう。

 何処からともなく人づてに、六角斎宅を訪ね来る方々の引きも切らぬ事。週末になると、座敷には常に訪客が見受けられ、知らず知らずの内にそうした話のやり取りが記憶に残ることとなったのです。

 当時の六角斎宅を想像して頂けるとしたら、サザエさんの家(但し登場人物達がまだ下駄を履いて描かれている時代の)、もしくは小津映画での家(白黒映画の‘東京暮色’や‘麦秋’)が宜しいかと思います。未だ戦後の余韻が漂う、山の手高台の住宅街の一角にありました。

 六角斎は、自宅の間取りに一つのこだわりを持っていました。それは、皆で集う居間は勿論、どの部屋も‘京間’という寸法になっていたことです。

 よく京間の6畳は江戸間の8畳に匹敵すると言われる程。ですから京間座敷の10畳は、当時の私にはとても広々と感じられたものでした。

 さらに座敷の畳地には、‘市松畳’を敷いていました。六角斎は得意気に、江戸歌舞伎の市松某の袴柄が元だと吹聴しておりましたが、却って現代ではあのルイ・ヴィトン柄の元になったと説明した方がピンときますかね。濃淡の醸す格子が渋いあの柄です。

 「御免ください。六角斎先生はご在宅でしょうか?」と玄関で挨拶があって、座敷内での談笑が済むと、決まって各人ごとの病の相談に及びます。只、くれぐれも申しておきますが六角斎はお医者ではないので決して医療行為は致しません。ふむふむ成る程な、とか相槌を打ちながら聞き役に徹するだけなのです。

 では一体、何故に訪客が尽きないのでしょうか? それを紐解いて参りましょう。

 「先生、突然あっしの左の耳が聞こえないんで。痛みはございません。とにかく聞こえません。こりゃあどうしたもんでしょうか?」

 この人は、近所のペンキ屋の職人さんで六角斎の将棋仲間の一人です。

 「お医者にはちゃんと行ったかい?」

 「勿論です、ただ昨今はやりのストレスだろうって言われて、いろんな薬を飲んだんですが一向に良くならないもんで」

 こんなやり取りが続き、少し考え込んだ六角斎が、ふとこう尋ねました。

 「全く聞こえなくなったんだね。ふうむ、そりゃお前さんとこの猫だよ猫!」

 ガビーン! 耳の難聴と猫? 何なんだこの関係性は? 思わず例の口癖が出てしまいました。(うーん、それにしても突拍子過ぎるよなぁ。窓に釘やら、今度は耳と猫とは)

 六角斎に盲従してる大人達とは裏腹に、祖父の言動としても孫ながら少し猜疑心を持ち始めて来た年頃でした。座敷奥の書庫から襖越しに聞いていた私は、余計にそのやり取りに神経を集中させていました。

 とは言え、その日の六角斎の見立ては冴えている様子。職人さん曰くところ、

 「先生、確かに家には猫がおりますが、それが何かいけないんで?」

 (そうだ、僕だって妙だと思うよ。おじさん頑張って)

 「いけなくはないが、先だってお前さんとこの縁側で将棋を指してた時に、どうも春先は猫がにゃーにゃーうるさいとボヤいてたね」

 「へい、縁の下に子供を沢山産んじまって閉口してたんですが」

 「では尋ねる。その縁の下の猫の通り道に何か造作はしなかったかい?」

 「おっと、そのとおりで。床下通風口の鉄柵が何本か傷んで穴があいて猫が出入りするもんで、セメントで通風口を固めて塞いでしまいましたけど…」

 「それである!」

 日頃柔和な六角斎の声が突如厳しくなったことを今でも鮮やかに思い出します。と、六角斎は一転優しく語りかけます。

 「よいかな、そもそも耳が聞こえる仕組みとは、風や音を鼓膜の振動で感じ取るものじゃろう。今お前さんが話した通風口を、家での働きや役目で考えると、人体では耳に当たると思えんかね。そこをセメントで封じてしまっては全く風を通さず、通風口の役目が終わった訳だね。即ちお前さんの耳も、耳の役目が果たせなくなるという、為したと同じ状態が現れたという次第さ」

 「へー驚いた。先生は何でもお見通しだ。で、一体全体あっしの耳は治りますかねえ?」

 「うーむ。六角斎に尋ねたところ本来は鉄柵を入れ替えるべき修繕を、ええい面倒だとセメントで塞いで従来の風の流れを止めてしまい済みませんでしたと、その場で心からお詫びしてごらん。宜しいかな」

 それからひと月程経って、

 「先生! 本当に驚きました。うちのかみさんが呆れるほど、朝晩となくあっしが通風口に向かってお詫びしてましたら、すこしずつ音がわかるようになって、今はほぼ元に戻りました」

 とお礼らしき野菜を沢山持って来られたようです。

 六角斎はこれ幸いと、剥げかけた郵便箱までそのペンキ職人さんに赤く塗り直してもらい満足気でした。

 しかしながら、六角斎の言い当てたことと難聴の快方とが、本当にどう結びついていたかの点が私には疑問として残りました(つまり耳と猫が関わり合うなんて)。誰しもが思う‘単なる偶然’なのでは……。

 では次回をまたご期待ください。第二病「完」。

<第3回に続く>

我雅院久志(がびいん・ひさし)●江戸時代から続く商家の七代目当主。還暦を迎えた東京生まれの江戸っ子オヤジ。五代目当主だった祖父・六角斎のもとに、病に悩む市井の人々が日々訪ねてくることに気付き、その理由を探ることに。本連載がデビュー作となる。