谷崎潤一郎は奥さんを譲渡する、しないで友人ともめる/『文豪どうかしてる逸話集』⑤
公開日:2019/11/13
誰もが知っているあの文豪に、こんな意外な一面があった!? 太宰治、芥川龍之介、夏目漱石、川端康成など、名作の生みの親の「どうかしてる」逸話を一挙紹介!
【谷崎潤一郎】(1886~1965)
強く美しい女性に踏まれたい人
日本橋の商家の長男として生まれ、甘やかされて育った谷崎潤一郎は、乳母の付き添いなしでは学校にも行けない内気な少年に育つ。
母は性格の強い美人だったと言われ、その幼少期の環境が谷崎の精神形成に大きく作用したと言われている。
東京帝国大学国文科に進んだが、授業料未納により退学。この頃発表した作品が、永井荷風に激賞されて文壇デビュー。私生活でのスキャンダラスな女性関係を小説に盛り込むスタイルで、ベストセラー作家となる。
ノーベル文学賞候補に選ばれること7回、日本人で初めて米国文学芸術アカデミー名誉会員に選出され、「大谷崎」と呼ばれた。
代表作
『痴人の愛』(1924)
関東大震災後の西洋的風潮が生んだ、モダン・ガールの生態を描いた風俗小説。
ナオミという少女に惚れた主人公が、少女の自由奔放っぷりに振り回されるけど「なんかいやじゃない」という話。
ナオミのモデルは最初の奥さんの妹・せい子で、主人公のモデルはもちろん谷崎潤一郎。
ベストセラーになり、奔放な女性を表す「ナオミズム」という言葉が流行語となった。
『細雪(ささめゆき)』(1948)
谷崎の3人目の奥さんである松子とその妹たちをモデルに、古きよき日本の文化、美しい生活とその衰退の中で揺れ動く四姉妹の心の内を瑞々(みずみず)しく描く。
戦時下の日本の時勢にそぐわないと検閲に引っ掛かり連載中止になるも、こっそりと書き続け、空襲があるたびに原稿を抱えて避難した。
執筆に6年を費やし、完成したのは終戦後の1948年。