川端康成の借金スキルは「天才」レベルだった…!/『文豪どうかしてる逸話集』⑧
公開日:2019/11/16
欲しいものはなんとしてでも手に入れる川端康成。
川端康成はいつもツケで飲み歩き、ツケがきかなくなると、編集者や作家仲間を呼び出して払わせていた。
そもそも川端は、最初から「金は天下の回りもの」という考え方で、「ある時は払い、ない時は払わなくてよい」とはっきりしていた。ある人が「銀座のバーの勘定は高い」と言うと「高かったら、払わなきゃいいじゃないですか」とキッパリと言ったそう。
欲しいものがあると、それがどんなに高額なものであろうと、お金を持っている人に借りるかツケにして踏み倒したという川端。
ある日突然、文藝春秋の編集部に現れた川端は、当時の社長に「金庫にいくらありますか?」と聞き、「え? 300万くらいは……」と社長が答えると「欲しい壺がある」と言って全額持って行ってしまう。
川端はその当時、文藝春秋から本も出していないし、寄稿もしていない。そんな川端に300万円(現在の価値に換算すると約2000万円)を貸してしまうのもどうかしてるけど、借りる方も借りる方である。
ちなみにこの時の借金は、文藝春秋の社長が代わった時にうやむやになってしまう。まさに、「天才」と呼ばざるをえない借金スキルの高さである。
また、『伊豆の踊子』を執筆する際に伊豆・湯ケ島の「湯本荘」にしばらくの間滞在した川端だったが、この時の宿代数カ月分も1円も払わなかった。
ノーベル文学賞の受賞が決まった時には、7000万円もする富岡鉄斎の屛風(びょうぶ)をはじめ、合計で約1億円もの美術品を買い漁り「ノーベル賞の賞金で払うから大丈夫」と言っていた川端だったが、ノーベル文学賞の賞金は2000万円だった。
川端が自殺したあとには、集めた国宝、重要文化財など、約200点を超える美術品が残されていたが、方々に借金やツケも残されていた。
(出典) 梶山季之『借金の天才 川端康成の金銭感覚』