「小指を骨折、イトさんパチン!」『江戸秘伝! 病は家から』⑤

文芸・カルチャー

更新日:2019/11/26

 窓のない部屋に住むとうつ病に!? 小石が癌の原因に!? 医者が治せない病に悩む市井の人々は、なぜ江戸商人・六角斎のもとを訪ねるのか。その孫の我雅院(ガビーン)が謎に迫る江戸ロマン小説! バナーイラスト=日高トモキチ

【第五病】小指を骨折、イトさんパチン!(市井の“町医者”六角斎の見立て)

 鬼の居ぬ間に洗濯と言うか、六角斎の居ぬ間に念願の桐箱の開封へとこぎ着けたわけですが、さあここからがもう一試練です。

 そもそも、あの謎の6文字の意味を解かずして、うっかり包んである油紙をめくろうものなら、何か良からぬ祟りでも喰らっちゃうかも知れませんから。怖いもの見たさで中身と出会っても、そのあげくに不吉な結果が現れるのでは困ります。

 孫が勝手に見てしまうことを、果たして六角斎は許してくれるのでしょうか?

 晩秋の、冷え込んできた六角斎の書斎に長居してしまった私は、お手洗いに立ちました。

 再び火の気のない寒々しい書斎に戻ってみると、何とまあそこにはイト婆さんが座っていました。そしてその周りには、ちぎれた油紙が散らばり放題。

 そうです、イト婆さんは全くためらうこともなく包み紙を破ってしまい、丸い形をした金ピカに輝く精密器具のような中身を取り出してしまっているではありませんか!

 ガビーン!(知~らないよ、知らないよ。六角斎が帰ってきたら怒られちゃうよ。)

 「ねえ、勝手に中身を出して大丈夫なの?」

 とイト婆さんに尋ねると、思わぬ答えが返されました。

 「構うことないんだよ、久志。だってお爺さんが若いころから、これをよーく磨いておいてくれって注文されて、さんざ私が布切れでこすってたんだよ」

 (なーんだ、イト婆さんがさわってもOKなようだし、こわーい祟りもなさそうだな。まずは、一安心てところかな)。

 とにかく私の目の前には、細かすぎるほどの目盛りや文字が刻印された円形の金属盤が姿を見せています。まるで貴重な美術品のような存在感です。

 (六角斎はこれをどう使いこなしているのかな。ひょっとしたら、この妙ちきりんな金属盤が、訪ね来る人達の‘病’やら出来事を見通せるカラクリの元なのでは? そうだ、六角斎が戻ったら聞いてみることにしよう。)

 幸い‘祟り’もなかったので、ホッとした気持ちでした。

 「伊香保みやげの温泉饅頭があるぞー」

 と六角斎が帰京したのは、それから数日後でした。ふと、六角斎の左手の小指に包帯が巻かれていたのが気になりましたが…。

 「そうか、久志があの箱の中の物に興味を示したのか。それは良いことだよ」

 と、六角斎は勝手に開けて見たことには少しも怒っていませんでした。(内心、ホッ。)

 そして、そばにあった半紙に墨で“阿須斗炉羅部”と6文字を書いて、“アストロラべ”と読み上げました。(そうか、アストロラべとはあの金属盤の名前だったのか)

 「久志よ、これは何百年も前にアラビアの方で使われていたアストロラべという名の、天文測量儀じゃよ。この頃はコンピューターで何でも出来るのだろうが、大昔は船の航海や測量、月の動き、星座、宇宙を知るための大切な道具だったのさ」

 そのあと六角斎は、実際にアストロラべの使い方を私に詳しく教えてくれたのでした。

 (こんなあからさまに教えてくれるのでは、特に秘密めいた物ではなかったんだな。それより、六角斎の手の包帯が気になるなあ。どうしたのか、よし聞いてみることにしよう)

 「おー、この包帯のことか。実はな、温泉宿の下駄の歯が欠けていたようで、石段で転んでしまったのさ。そのさい左手の小指を地面にひどくぶつけて、骨にヒビが入ったんじゃよ」

 (えー? 人の病気とか診てあげているのに、自分自身が怪我? 一体どうしたの六角斎)

 すると六角斎はアハハと笑い出してこう言いました。

 「久志よ、例えるならば弘法も筆の誤り、猿も木から落ちる、かな。イトに確かめてみたが、わしが湯治に出かけた翌日に、裏庭で伸び放題だった垣根の雑木の枝を、イトがパチンパチンと剪定バサミで切り落としたんだそうな。木の幹から枝は、人体に置き換えれば背骨から手、足、指に相対してるようだろう。今年はあの辺りの木は切ってはいかんのじゃよ。イトとは長いこと夫婦だが、案外わしに断りもなく、それもわしが不在の時に限って家や庭の手入れやら片付けをしてしまうようだ。全く困ったもんだが、わしだって皆と同じように怪我もすれば病気にもなるさ」

 アッハッハと六角斎がまた笑ったところで、今回はここまで。と、閉めたいところですが、どうも私には合点がゆかぬことがあるのです。

 だって、パチンパチンと枝を切りまくったのは妻のイト婆さんですよね。それがどうして、夫である六角斎のほうに‘わざわい’が及ぶのでしょうか? そういえば、以前の豆腐屋のときも、ご主人でなく家族のなかの娘さんに‘わざわい’が現れていた。うーん、何故なんだろう。

 まあ、次回はこうした六角斎への疑問のうちで、まず確かめておきたいことをぶつけてみようと思います。第五病「完」。

<第6回に続く>

我雅院久志(がびいん・ひさし)●江戸時代から続く商家の七代目当主。還暦を迎えた東京生まれの江戸っ子オヤジ。五代目当主だった祖父・六角斎のもとに、病に悩む市井の人々が日々訪ねてくることに気付き、その理由を探ることに。本連載がデビュー作となる。