「初手柄?僕の見立てで盆栽もニッコリ!」『江戸秘伝! 病は家から』⑭
公開日:2019/12/5
窓のない部屋に住むとうつ病に!? 小石が癌の原因に!? 医者が治せない病に悩む市井の人々は、なぜ江戸商人・六角斎のもとを訪ねるのか。その孫の我雅院(ガビーン)が謎に迫る江戸ロマン小説! バナーイラスト=日高トモキチ
【第十四病】初手柄?僕の見立てで盆栽もニッコリ!(市井の‘町医者’六角斎の見立て)
前回が少し湿っぽい話で閉じたため、今回はちょっと趣を変えて、私の見立てによって全快と相成った、ある暑かった夏の出来事をお話しさせて頂きます。
私の家内は今でいう岡山、旧国名では備前・備中・美作のうち作州(美作の別称)は津山の出身。津山藩と申せば、五代将軍綱吉公で有名な‘生類憐みの令’により、なんと170里(約700㎞)離れた江戸は中野(現在の中野サンプラザ辺り)に、お犬様お囲い所の設置と管理で多大な藩費を捻出させられたことで有名です。
一方、今の若い方々にはB’zのボーカル稲葉氏の故郷であり、ご実家の化粧品店には全国からのファンが引きも切らず訪れて、氏のお母上と対面出来ることで有名なようですね。
私見では、津山と聞かば与謝野晶子か西東三鬼の句が浮かんできますが、これを深め過ぎると何だか「街道をゆく」のようになりそうなので、ここは本題に戻して先に進みましょう。
さて、ふた昔半程前のお盆休みに、その津山へ家内と帰省した時のてんまつを。
家内の伯父は地元では一目置かれた盆栽、それも小品盆栽の大家でした。帰省の翌日に市内の伯父宅に伺うと、まるで私を待ちかねていたように
「おー、東京からよう来んさった(津山弁なり)。早速で済まんが久志さん、このところワシの耳がどえりゃあ耳鳴りで難儀しとるんで。そういやあ、あんたあ何だか不思議なこと言うとりんさったが、ひとつこの原因を突き止めてくれんじゃろうか?」
成る程、伯父にとっては正に私が六角斎のごとき存在で、とにかく、わらにもすがる思いだったのでしょう。よーし、及ばずながら六角斎の孫として頑張ってみようかしら。
まず、伯父は大正10年生まれの68歳か。おっと六角斎は以前、年齢を6で割って2余る年の人は耳に関わる一年なり、と言ってたな。(うん、68歳。確かに6で割って2余るぞ)。
そして帰省したその年は、誰しもが南の方位は普請などつつしむべしとも言われてたなあ。
それでは、この家の南側って一体どの辺りで何があるんだろう。あゝ、一面が庭で沢山の小品盆栽が何段もの棚に置かれているのか。ふーむ、となれば…。
「伯父さん、そのひどい耳鳴りって頭の中でどんな風に聞こえるの?」
と尋ねると、
「ええか、こんな音じゃ」
と、ほっぺを膨らませ唇を震わせて、
「ブブブブブブー!」
と雑多な音を出して見せたのです。
(ハハーンそういう事か)。
「ねえ伯父さん、ちょっとお庭の盆栽を見せてもらえます?」
座敷から縁側伝いに、伯父、私、家内の3人が日差しの強い庭に出ました。
「いつもと変わらん庭ですがな」
伯父はそう言いましたが、真夏の蝉しぐれで騒々しいながらも、私は間違いなく先程聞いたブブブーと同じ音のする先を見つけ出していたのです。(東京から700㎞離れていましたが、きっと六角斎も見守ってくれていたのでしょう)
「この透明な板は何ですか?」
私が指さしたのは、座敷から放出されるクーラーの室外機をおおうカバーでした。30×50㎝位の透明なアクリル板が排風側に針金でピタッと固定されてありました。
「おー、それはな久志さんよ、室外機の熱い排風がまともに盆栽らに当たらんように、ナンバ(DIY店)で買うた板で風を上に逃がすんよ」
すかさず私は大きな声で、座敷でTVを見てる伯母さんに、
「おばさーん!クーラーの風を10(強風)にして下さい!」
と告げました。伯父と家内が、どうして私がそんなことを言うか尋ねようとしたその時です。
ガビーン!さっき伯父の発したブブブーと同じ異音が、室外機とアクリル板との振動のブレで全く同じ音が現れたのです。
「こりゃ、キョートイなあ(恐れる程驚く意の津山弁)。板と風の振動の音は、頭に鳴ってる音と全く同じだ。不思議なもんじゃ」
すでに私はもう次の行動にかかっていました。それは、針金をゆるめてアクリル板を外し、排風側の正面に当たる位置にある、いくつもの盆栽を左右にずらして、室外機からの熱風を避けるべく並べ直したのです。
それから3日経ち東京へ帰る日、家内の実家へ沢山の果物と名物の鯖寿司をみやげにと伯父さんがやって来て、
「あんたは本当に不思議なお人じゃな。あれ以来ピタッと耳鳴りが収まっての。うちの奴など、裏の稲葉さん(B‘zだ!)ところへ‘おかげさんで(何がおかげさんなんだろう)主人の耳鳴りが治りました’って言いに行っとるわい」
すでに【第二病】のテーマは、難聴と猫から六角斎がひも解いた訳で、今回は耳鳴りと同じ音を立てる板のブレを突き止める、そうした経験がいつか自分が直面する、また別の土台となっていくことを改めて感じた次第です。
そして津山といって与謝野晶子を連想もしましたが、現在の拙宅の近くでかの‘青鞜社(元始、女性は太陽であった)’が起こったのも何かのご縁かもしれませんね。
又、東京大学の前身は、津山の箕作(みつくり)家の知力、尽力なしには語れないでしょうし、更には箕作家代々の肖像画の顔がどれも似ていないのは何故か、もお伝えしたかったのですが、それはまた別の稿にて。 第十四病「完」。