やっと現れた救いの神…これでやっと帰れる?/『高遠動物病院へようこそ!』⑦

文芸・カルチャー

公開日:2019/11/21

独立したてのWEBデザイナー日和は、姉夫婦から頼まれ、2年間だけ雑種犬「安藤さん」と暮らすことになった。安藤さんの予防接種のため、初めて訪れた動物病院は、診察券すらなくスタッフは獣医の高遠のみで…。
待望のシリーズ2巻が11月15日に発売!

『高遠動物病院へようこそ!』(谷崎泉:著、ねぎしきょうこ:イラスト/KADOKAWA)

 怒って帰ったミニチュアダックスのお姉さん。フレンチブルドッグの親子。柴犬のおじいさん。その次がトイプードル、その次は猫。なかなか途切れない患獣さんに、これは診察時間が終わるまで付き合わなくてはいけないのかもしれないと、半ば諦めかけた時。

 またしても出入り口のドアが開く音を聞き、問診票を用意する。今度は犬かな。猫かな。そんな予想までする私に、「あっ!」と驚いた声を上げたのは。

 昼前に病院を訪ねた際、病院から出て来た、眼鏡の男の人だった。

「あ!」

「え…、なんで…どうして…ええっ!?」

「いえ、その…これには…色々とわけがありまして…」

 彼が困惑するのも無理はない。高遠先生はスタッフはいないと言ったけれど、私に「是非連れて来て下さい」と言った彼は、何らかの形で高遠動物病院に関わっているのだと思われる。

 つまり、彼は私がスタッフではないと知っている。だから、私が受付に座っている理由が分からず、混乱しているのだ。どう説明したらいいものか悩み、言葉を探していると、高遠先生の声がした。

「次…ああ、醍醐か」

「先生、この人は!?」

「……」

 高遠先生は「醍醐」と呼んだ彼に私は誰かと聞かれ、答えようとして固まった。当然だ。先生は私の名前すら知らないのだから。

「……。そこにいる安藤さんの飼い主さんだ」

 先生がどう答えるのか興味深く思って聞いていると、私の足下で座っている安藤さんを指さした。さすが、高遠先生はどこまでも動物ファーストらしい。感心する私に対し、醍醐さんは呆れ顔になる。

「飼い主さんに手伝わせてたんですか…。すみません、あの、わんちゃんの診察は済んだんでしょうか?」

「あ、はい」

 仏頂面の高遠先生に対し、醍醐さんは申し訳なさそうに詫びて確認する。手伝わせたのは高遠先生の方なのに…逆じゃないかと引きつり笑いを浮かべる私に、醍醐さんは「本当にすみませんでした」と深々と頭を下げ、待合室の方を見た。待合室にはまだ診察を待っている飼い主さんがいる。

「とにかく、先生は患獣さんを…」

「次はこちらです」

 同じことを繰り返しているものだからすっかりルーティンが出来上がっており、私はすかさず先生に問診票を渡す。先生がバインダーを持って診察室へ戻って行くと、醍醐さんには「あちらの方です」と先に来ていた患獣さんを教えた。

 醍醐さんは「ありがとうございます」と申し訳なさそうにお礼を言い、ミニチュアダックスを連れた夫婦の元へ近づく。お待たせしました、こちらへお願いしますと診察室へ案内する様子は、偽物受付の私とは全然違う。やっぱり醍醐さんはスタッフでなくても、関係者なのだろうと確信しつつも、はっとした。

 そうだ。「説明」をしないと。出しゃばりかもしれないとは思ったが、この際と思って口を開いた。

「あの…すみません」

 不思議そうに見る醍醐さんに小さく頭を下げてから、飼い主さんに先生の「説明」をした。無愛想で口は悪いが、誰よりも犬思いだから、大目に見て欲しい。そんなお願いをする私を醍醐さんは驚きの目で見ていたが、飼い主さんの方は神妙に聞いてくれて、頷いて診察室へ入って行った。

 ドアが閉まると、醍醐さんは「どうして」と理由を聞く。自分でもお節介だと思う行為だ。恐縮しつつ、説明した。

「それが…怒って帰ってしまった方がいらしたんです。先生に理由を聞いたら、どうも飼い主さんを怒らせるような物言いをしたみたいで…。なので、ああいう説明を」

 説明しておくと心の準備が出来るようで、これまでのところ、同じように怒って帰った人はいない。そう続ける私を、醍醐さんは目を丸くして見る。

「一人もですか?」

「最初の人以外は…。五組くらいですけど」

「……」

 マジか。小さく呟くのが聞こえ、困惑する。やっぱり余計な真似だったかな。でも、先生が動物思いであるのは確かなようだし、治療を必要としているのは動物の方だ。なのに、人間同士の諍いで割を食うのは可哀想だし、悪いことをしたわけじゃない。そもそも、こっちは善意の第三者なのだ(善意が過ぎるくらいである)。

 だが、とにもかくにも、これでようやく帰れそうだ。帰れないでいた理由は会計が済んでいないからで、醍醐さんにお願い出来ないものかと思って聞いてみる。

「あのですね…私、まだお会計が済んでないんです。それもあって…まだいるんですが…」

「あっ…そうだったんですね。ちょっと待って下さい」

 醍醐さんなら何とかしてくれるかもしれないという期待が叶い、すぐに診察室へ向かってくれる。よかったと喜び、待っていると、間もなくして醍醐さんが戻って来た。

「お待たせしました。狂犬病の予防接種だったんですよね…」

 確認しながら醍醐さんは私の横に座っている安藤さんを見た。さっきも見ていただろうけど、改めて気付いたというようにはっとした表情になる。

 それから安藤さんの前に跪き、目を見開いてまじまじと凝視した。安藤さんは躊躇い顔になり、私を見上げる。何でしょう、この方は。そんな風に怯えているように見え、醍醐さんに声をかけようとしたところ、彼は大きく息を吐いて緩く首を振った。

「……そっくりじゃないか。…だからか…」

 そっくり? 小さな声で醍醐さんが呟いた内容が聞こえて来て、首を傾げる。安藤さんが誰か…もちろん、相手は犬だろうが…に似てるってこと? 不思議に思って聞こうとしたのだが、先に醍醐さんに質問された。

「この子の名前は…?」

「安藤さんです」

「安藤さん…っていう名前なんですか?」

「変わってるんですけど」

「確かに余り聞かない名前ですけど、この子には似合ってる感じがします。そっか、安藤さんか。よろしくね」

<第8回に続く>

●谷崎 泉:1月9日生まれ
子供の頃からずっと犬のいる生活を送っています。
今は黒柴とキジトラ猫と共に暮らしています。