猫店長の手触りはサイコーのもふもふ感! 背中を撫でると彼氏への不満が爆発/『お直し処猫庵』⑥
公開日:2019/12/11
悩める皆さま、猫店長にそのお悩みを打ち明けてみませんか? 日常のちょっとへこんだ出来事や小さな悩み、だけど自分にとっては大切なことを、猫店長が解決? 案外泣けると話題のちょっと不思議で幸せな物語集。
「むう」
店長が、不満げに呻いた。由奈の、膝の上で。
「いやあ、いいじゃないですか。猫らしくて」
青年が、手を叩いて笑う。
「むうう」
店長は、尻尾をぱったんぱったん揺らす。不満の感情表現だ。この状態の猫に近づくのは、本来あまり得策ではない。しかし、由奈はもう限界だった。
「失礼します」
そうことわるや否や、由奈は店長の背中に指を触れさせた。
「ああ」
思わず、溜め息が漏れてしまう。なんと、素晴らしい手触り。
目で見るよりも、店長の毛は随分と長かった。艶めいていて、とても滑らかだ。さらさらしていて、同時にもふもふしている。
「店長は換毛期なんで、そこはご容赦下さい。全然ブラッシングさせてくれないんですよ」
青年が言った。
「大丈夫です」
えへへと笑いながら、由奈は店長を触り続ける。
何度も何度も梳ってから、次に頭を指先で撫でる。毛の感触と、その下にある頭そのものの感触も伝わってくる。次に耳。そっと人差し指で触れると、びゅんびゅんと跳ね回る。親指と人差し指でぎゅっと掴むと、諦めたように力が抜けた。
「店長、意地を張らずに喉を鳴らしてもいいんですよ?」
青年がからかうように言うと、
「覚えておれよ、このうつけめが」
店長はまた尻尾をぱたぱたさせた。
「どうだ、話す気になったか」
そして、そう言って由奈を急かしてくる。
「まあ、そう焦らないで下さいよ」
言いながら、由奈は耳から指を離して店長の足へと移動した。そして、足の裏に親指を当てるようにして握り込む。肉球だ。
「おおぅ」
若干英語調のうめき声が出た。由奈のリアクションをアメリカンにしてしまう、それほどまでに店長の肉球の感触は素晴らしかった。いやはや実にグレイトでアメイジングだ。
「そろそろ話す気にならないのか。どうなのだ」
なおも店長が喋るよう促してくる。
「もう、少し待ってて下さいよ。わたしの彼みたいに急かさないで下さい」
由奈は不満を口にした。
「彼、自分のペースで話したいだけ話すんですよ。彼ってよく自分のコミュニケーション能力が高いとかアピールしてきますけど、いつでも喋りたいように喋ってるだけで高いっていえるんですかね。彼との会話ってキャッチボールじゃなくてピッチングですもん。向こうの全力投球をわたしが受けるばっかりって感じ」
最初に戻り、もう一度店長の背中を撫でる。ふわふわ、つやつや。幸せだ。
「気分よく過ごすための道具扱いされてるんですかね。ご飯が冷めたら電子レンジ。服が汚れたら洗濯機。喋りたくなったらわたし。家電彼女という新ジャンル誕生ですか」
今度は店長の胸を触ってみる。ふさふさの毛が生えていて、気になっていた部分だ。他の部分と少し毛質が違う。ミックスならではの、オリジナリティ溢れる毛並みである。血統書つきの猫だと、「型」が決まっていてこうはいかない。
「気分良く過ごすと言えば、デートもそうですよ。彼が行きたいところを決めてわたしを連れ回すっていうのがパターンなんですけど、ほんとつめつめでせわしなくて。スタンプのないスタンプラリーって感じです。わたし本当は、どこかに旅行にでかけて何日もかけてゆっくり回るみたいなのがいいんだけどなあ」
「なるほどな」
店長が、由奈の顔を見上げてきた。
「できるではないか」
「えっ?」
由奈は手を止める。その隙を突き、店長は由奈の手から逃れカウンターの上に移動した。さっきまでの人間のような座り方ではなく、猫らしくごろりと横になる。
「なんだ。自分で気づいていなかったのか。随分しっかりと自分の気持ちを話していたぞ」
「そう、でしたっけ」
由奈は戸惑う。店長を触ることに必死で、自分がどう喋っていたかあまり覚えていない。
「というか、むしろ切れ味抜群でしたよね。色々と考えさせられました」
店長の言葉に、青年も神妙な表情で頷く。
「うう」
由奈は顔を両手で隠した。なんだか、とても恥ずかしい。
「それが、誰かに心のうちをさらけ出すということだ」
由奈の内心を見透かしたように言うと、店長はあくびをした。尖った犬歯――猫でも猫歯とはいわない――や、ざらざらした舌がよく見える。
「問題は解決したぞ。後は、さっきの勢いでもってその彼とやらに当たればよい。兵法書にも、個々の兵士の力量より勢いのあるなしの方が重要だとある」
「勢い、ですか」
そんな、急に言われても。さっきの由奈は、由奈であって由奈でないような感じだったのだ。いきなり戦場送りにされても困る。
「ええと、わたしは、何て言うか」
言葉がでてこない。もごもご言いながら、由奈はうつむく。店長が乗っていた膝には、毛が沢山ついていた。
「本当に、店長を触りながらでないと上手くいかないみたいですね」
青年が目をぱちくりさせた。
「ふうむ。やはりそう簡単なものでもないか」
店長がカウンターに頬杖をつく。人間くさい仕草である。
「かといって、今後のでぇとにわしが付き合うわけにもいかぬしのう。いかがしたものか」
「何か、代わりになるものがあればいいんですが」
青年の言葉に、店長は両の前足、肉球と肉球をぽむと合わせた。
「それだ。名案があるぞ。童、前の換毛期にわしが作ったあれを持ってこい」
「あ、なるほど」
青年も、店長と同じように手と手を合わせた。
「あれは、確か箱の中かな。すぐ戻りますね」
そして、またカウンターの奥の扉を開けて外に出ていく。
「ありましたありました」
青年が戻ってきた。手には、何か小さいものが握られている。
「店長が自分の毛を集めて作った、猫毛フェルトのストラップです」
それは、猫の人形がついたストラップだった。大きさは由奈の小指より少し小さい程度。人形といっても、目鼻や口はついていない。シルエットストラップ、といった感じだろうか。とても可愛らしい仕上がりだ。
毛の色は、店長そのものだった。黒の縞模様もしっかり再現されている。一方で、触ってみるとふわふわつやつやではなく割とごわっとしていた。店長の毛を使っているのに、案外固くてしっかりした感触だ。この形で安定し、崩れないようになっているのだろう。
「毛を丸めて、針で突くと固くなるんですよ。面白いですよね。店長の毛は柔らかくてそのものずばり猫っ毛だっていうのに、こんな感触になるんですから」
青年が言った。
「それをぷれぜんとしてやろう。手触りは違えど、わしの毛だ。きっと助けになるぞ」
店長はよっこらせと後ろ足で立ち上がると、由奈が持っていた店長ストラップに前足を置く。瞬間、不思議なことが起こった。
――光。白く眩い光が、ストラップから放たれたのだ。驚いて、由奈は思わずストラップから手を離してしまいそうになる。
ストラップは、なおも光り続ける。店長が、何か謎のパワーを行使しているのだろうか。立って歩いて喋る猫であるからして、ものを光らせることだってできるかもしれない。
「うむ。これでよし」
光が消えると、店長は満足げに頷いて手を離した。
由奈は改めて店長ストラップをまじまじと見る。突然発光した割に、あんまり見た目に変化はない。
「あれ? なんか、マークが」
いや、そうでもない。よく見ると、猫の肉球のような模様が、店長シルエットの下の方にちょこんと付いていた。さっきまではなかったように見えるのだが。
「わしの落款だ」
そう言って、店長はふふんと鼻を鳴らす。
「ラッカン?」
言葉の意味が分からず、由奈は戸惑った。確かに店長は悲観的なタイプではなさそうだが、しかしそういう意味のラッカンではないだろう。
「公式グッズの認定マークってことですよね?」
青年がそう言うと、店長はちょっと不満そうな顔をした。
「微妙に違う。わしの作品だという署名のようなものだ」
「署名なのになんで足形なんですか? 手芸修繕は得意でも字が下手とか?」
「無礼な! 字くらい書けるわ! 墨と筆をもて!」
「あ、あの」
落款の意味は大体分かった。しかし、他にも分からないことがある。助けになるとは、一体何なのだろう。
「何でわざわざ揮毫するんですか。というか筆はいらなくないですか? 店長の尻尾とかほぼ筆と変わらないですし、それで書けるでしょ」
「童ぁ! そこになおれ! 成敗してくれる!」
しかし、二人の掛け合いは盛り上がっていて割って入る隙もない。まあ、邪魔するのもアレだし、黙っておこう――
「すいません。お話し中のところ申し訳ないんですけど、わたし気になることがあって」
と、思いきや。意思に反して、突如由奈の口からすらすら言葉が出てきた。
「助けになるって、具体的にどんなことが起こるんですか?」
自分でも驚いてしまう。店長に触っているわけでもないのに、どうして。
「そう。そういう助けになるのだ」
店長はにやりと笑うと、由奈の手元を見てきた。つられて自分の手を見て、由奈ははっとする。由奈は、いつの間にか店長のストラップに触れていたのだ。
「もしかして、このストラップを触ってたら猫を触ってる時みたいに自然にすらすら話せるようになるってことですか?」
抱いた疑問が、速やかにかつ滑らかに口を突いて出てくる。由奈は目を白黒させた。
「そういうことだ」
うむと店長が頷く。
「あくまで助けである。いつまでも続くわけではない。自分の言葉は、自分で紡がねばならないからな」
店長は由奈の前に立つと、頭に前足をぽふっと置いてきた。
「とにかく、話すことだ。自分の気持ちをちゃんと伝えてみよ。そうすれば、分からなかったことが分かったりするかもしれんぞ」