他者とわかりあうことは不可能なのだろうか。多様な人が生きる現代における、「わかりあえなさ」の正体

ビジネス

公開日:2019/12/18

『他者と働く 「わかりあえなさ」から始める組織論』(宇田川元一/NewsPicksパブリッシング)

 他者とわかりあえず悲しい気持ちになったり、怒りの感情が湧いてきたりすることがある。どうして人は、こうもわかりあえないのだろうか。もっと、わかりあえたなら――。

 しかし、立ち止まって考えてみたい。わかりあえないことは、果たして「直すべきこと」なのだろうか。あるいは、わかりあえた状態とは、実際にあり得るのだろうか。

『他者と働く 「わかりあえなさ」から始める組織論』(宇田川元一/NewsPicksパブリッシング)は、副題にあるように「わかりあえなさ」を出発点に据える。

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 わかりあえない関係における問題に対しては、既存のテクニックが通用しない。そう考える著者・宇田川元一さんの議論は、自身の経験に基づいている。会社を経営していた彼の父が大きな負債を遺して亡くなり、その借金を返済しながら、「明日があるのだろうか」と思うような強烈な修羅場を体験したのだ。“知識として正しいことと、実践との間には大きな隔たりがある”と宇田川さんは実感し、「現場」で通用する組織論について考える。

 実践における「わかりあえなさ」を詳らかにする鍵は、「対話」である。宇田川さんは、劇作家・平田オリザさんの著書『わかりあえないことから』(講談社現代新書)より「お互いにわかり合えていないことを認めることこそが対話にとって不可欠である」と引く。違いを認め、観察し、解釈を加えた上で、介入する。このプロセスを本書では「組織の溝に橋を架ける」と表現する。

 対話は、迎合や忖度とは異なる。迎合や忖度とは、相手におもねって自分の考えを尊重しないことだが、対話は相手との違いを認めて、相手との間に新たな関係を生成させることを試みる。要するに忖度とは、「橋を渡ったまま帰ってこないようなもの」だという。

「技術的問題」と「適応課題」を分けてみることは、対話の一歩目となる。

 技術的問題とは、既存の方法やテクニックで解決できる問題のことだ。これだけ知識と技術が豊かな時代では、リソースを投じれば解決できるケースも多い。一方、適応課題とは、これといった解決策が見つからない問題のことだ。ロジカルに立ち向かっても解決できない。話がこじれてしまう。“直面している問題が適応課題であるにもかかわらず、技術的な問題解決に頼っている状態では、溝に落ちてしまうことになります”と宇田川さんは指摘する。本書ではそれらを分けてきちんと定義した上で、適応課題へのアプローチが提案されている。

 医療や臨床心理の領域で研究・実践されてきた「ナラティヴ・アプローチ」をビジネスに援用している点も画期的だ。「語り」を重視するそれの詳細にも注目だ。

「どのような組織の関係性も、完璧というものはありません」と宇田川さんは言う。だからこそ、対話について学び、考え続けることの重要性はこれからも増していくだろう。

文=えんどーこーた