現代に受け継がれる感性を生み出した『古今和歌集』を読み解く──「第7回古代歴史文化賞」大賞受賞記念インタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2019/12/13

 古代歴史文化にゆかりの深い島根県、奈良県、三重県、和歌山県、宮崎県の5県が共催し、日本の古代に関して執筆され、学術的基盤に立ちながら一般読者にとってもわかりやすくおもしろい書籍を表彰する「古代歴史文化賞」。

 第7回目となる2019年の大賞は、日本最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』を「こころ」と「ことば」、そして「型」という3つのキーワードから読み解こうとする『「古今和歌集」の創造力』(鈴木宏子/ NHK出版)に決定した。受賞を記念して、著者の千葉大学教授鈴木宏子氏にお話をうかがった。

──古典和歌に興味を持たれたきっかけは?

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鈴木宏子さん(以下、鈴木):もともと私は、「古典和歌」というより定型詩に興味がありました。母方の祖父が国語の教員で、おじいちゃん子だった私は、祖父の家に行くと「俳句もどき」を作って遊んでもらっていたのです。ところが私は、どうも俳句より少し長いもののほうがおもしろいような気がします。そのことを祖父に話したところ、「宏子が好きなのは短歌なんだね」という答えが返ってきました。

 近代詩も好きで、立原道造のソネットの世界などに憧れましたが、今にして思えば、小さな定型の中の研ぎ澄まされた言葉に接するのが好きだったのかもしれませんね。高校時代に文学部というサークルに入って、私は創作するよりも、すでにある素晴らしい歌を読み味わったり、そのよさを説明したりするほうが楽しいのだということがわかりました。

 日本文学を学びたいと進学したお茶の水女子大学の国文学科は、その道の泰斗である犬養廉先生と、新進気鋭の女性研究者であった平野由紀子先生という、平安和歌の専門家が2人もいらっしゃる大変恵まれた環境にありました。犬養先生の講義を聴いたり、平野先生の演習に出席したりするうちに、詩歌の中でも古典和歌に興味が湧き、もっと勉強したいと思うようになりました。

──『古今和歌集』をご自身の研究テーマにしようとお考えになったきっかけは?

鈴木:きっかけは卒業論文です。せっかくなら好きな作品に取り組みたいと思い、いくつかの歌集を眺めたところ、歌の一首一首は宝石のように輝いているものの、空気のように手応えがない『古今集』の“わからなさ”が気になって、『古今集』を選んでしまいました。

『古今集』の魅力は、一首の歌・ひとつの歌集の中に、余計なものを含まない言語表現が成り立っているところでしょうか。とかく『古今集』というと、なよなよした貴族が詠んだ花鳥風月の歌というように捉えられがちですが、実は三十一文字・千百十一首の小世界の中に、強靱な言葉の論理がはりめぐらされています。『古今集』は日本文学や文化の美意識の基盤となっていったものですが、そのような影響力を持ち得た理由は、「言語表現としての純度の高さ」にあったのではないでしょうか。『「古今和歌集」の創造力』では、そのような特徴を具体例に即して述べてみたつもりです。

──2019年は、新元号「令和」の典拠となった『万葉集』が注目されました。『万葉集』と比較した際の『古今和歌集』の魅力とは?

鈴木:『古今集』と『万葉集』には、重なる要素がたくさんあります。『古今集』には万葉歌が十首あまり含まれていますし、個々の歌の表現をさかのぼっていくと、その萌芽がすでに『万葉集』の中に存在していることも多くあります。『古今集』の編者である紀貫之は、万葉歌の表現を学び、自分の歌の中にも積極的に取り込んでいます。『万葉集』の歌の歴史がなければ、『古今集』も生まれなかったことでしょう。

 私は『万葉集』も好きですが、『古今集』により魅力を感じるのは、前にも述べたような「言語表現としての純度の高さ」があるからだと思います。たとえば、初期万葉の額田王の歌を読み味わうとき、私たちは古代史の大事件を念頭に置き、中大兄皇子や大海人皇子らの人間関係に思いをはせながら納得したり、感動したりします。けれども『古今集』には、そのような外部事情の介入を許さない、全二十巻千百十一首で自立した世界ができあがっているのです。

 自立した世界の創造は、編集行為と結びついています。『万葉集』全二十巻の成立過程は複雑で、各巻それぞれに異なる成立事情があると考えられている一方、『古今集』は、最初から全二十巻の作品として企図されています。個々の歌は、それぞれの歌人の人生の中で詠まれたわけですが、『古今集』はそれらをいったん詠歌の場から切り離して、歌集の論理の中に位置づけています。それは、歌を配列することによって、四季の推移や恋の哀感を中心にした「もうひとつの理想的な小宇宙」を生み出しているということであり、そういうところに惹かれます。

──『「古今和歌集」の創造力』の執筆時、とくに工夫された点は?

鈴木:『「古今和歌集」の創造力』を書くことになったきっかけは、NHK出版の福田直子さんに「古典和歌についての新書を書きませんか」と声をかけていただいたことですが、「ぜひ『古今集』の本を書きたい」と言ってしまったのは私自身でした。けれども、はじめから全体像が見えていたわけではなく、しばらくは胃が痛い思いをしましたね。

 福田さんのアドバイスは、極めて明確でした。「多くの読者は『古今集』のことを知らないし、とくに知りたいとも思っていないのだから、興味と親近感を抱いていただけるような布石を打つこと、いきなりお勉強させようとしないこと。それから、日本文学全体の中での『古今集』の位置づけを、ざっとでもいいから押さえておくこと」。

 たとえば、『古今集』の「こころ」と「ことば」が私たち日本人のものの捉え方、感じ方を規定していることを説明するため、『古今集』の歌と同じテーマが昭和のスタンダード・ナンバーにも歌われていることを解説した部分などは、福田さんのご意見で差し替えて入れたものです。この文章があってよかったと思っています。福田さんに納得していただける原稿を書くことが、「工夫」の最たるものだったといえるでしょうか。

──『「古今和歌集」の創造力』は、どんな人に読んでほしいと思われますか? また、どのように楽しんでほしいと思われますか?

鈴木:若いみなさんに読んでいただけたらと思います。この本を書いているときに思い浮かべていたのは、日ごろ接している学生たちの顔でした。私は教育学部の教員ですので、出会った学生の多くは国語の教員になります。『古今集』は中学校3年生の教科書に登場しますから、教科書の中の古典和歌をどうやってより豊かに教えようかと考えている方、教科書の中で出会った古典和歌に興味を抱いて、もっと読んでみたいと思っている方、そのようなみなさんが手にとってくださったらうれしいです。

 もちろん、詩歌に関心のある方、多くの国々のさまざまな文学に接してみたい方にも、手にとっていただけたらと思います。末次由紀先生の『ちはやふる』(講談社)を読んで「百人一首」の魅力に目覚めた方も、いかがでしょうか。「百人一首」のほぼ4分の1は『古今集』の歌ですから、大江奏ちゃん流にいえば「かるたの歌が歌集の中ではどんな顔をして、どんなふうにふるまっているのか」を確かめられると思います。

 この本をおもしろいと思っていただけたなら、次は『古今和歌集』の注釈書に進んでもよいですし、今年は『万葉集』関係の本の「当たり年」ですから、万葉にさかのぼって読書をしてみるのもよいと思います。きっと楽しいですよ。

──本記事の読者へのメッセージをお願いいたします。

鈴木:なにか1冊、あるいはひとり、人生の伴侶になってくれるような作品や作家を見つけると、日々の暮らしがずいぶん豊かになるように思います。もしもまだ出会っていなければ、お気に入りの作品・作家を見つけてください。そして、ぜひ日本の古典も読書のレパートリーに加えてくださいね。

 古典文学は、読む人があってこそ価値が生まれるものです。『古今和歌集』もおもしろいですし、この歌集の「ことば」は、いざというとき案外頼りになりますよ。読者のみなさまが、これからも楽しく豊かな読書生活を送ってくださいますように。

取材・文=三田ゆき 写真=内海裕之

【大賞受賞作】
『「古今和歌集」の創造力』
鈴木宏子/ NHK出版

(書籍紹介) 日本最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』。その歌や歌集全体の特徴を、編纂者である紀貫之が記した仮名序冒頭にみえる「こころ」と「ことば」、そして歌に共通する表現や着想などの「型」という、3つのキーワードから読み解こうとする。とくに、歌人でもある貫之の役割を重視し、歌の「配列」に着目した点は、長年『古今和歌集』研究に取り組んできた著者ならでは。