絶世の美女が現れたと思いきや…私の夫!? 女だらけの後宮で一体何を…/『後宮妃の管理人』⑦
公開日:2019/12/19
勅旨により急遽結婚と後宮仕えが決定した大手商家の娘・優蘭。お相手は年下の右丞相で美丈夫とくれば、嫁き遅れとしては申し訳なさしかない。しかし後宮で待ち受けていた美女が一言――「あなたの夫です」って!? 後宮を守る相棒は、美しき(女装)夫――? 12月13日には最新2巻が発売!
再び珊瑚殿に戻った頃、こんこんと扉が叩かれる。仕事をしようと執務机に座ろうとしていた優蘭は、首を傾げた。
「どちら様ですか?」
『内食司の者です。昼餉をお持ちいたしました』
……おお、そっか。昼餉か。
もうそんな時間だったかと、優蘭は驚く。やることが多いので、食事のことをすっかり忘れていた。
「どうぞお入りください」
『……失礼いたします』
開いた扉の先を見て、優蘭は絶句する。
扉の先には――絶世の美女がいた。
射干玉の髪は絹糸のようにさらさらで、肌は抜けるように白い。睫毛も長く、切れ長の瞳の目尻に一つ黒子があり、それが色気を醸し出していた。
優蘭より頭一つ分高い身長を持つ彼女は、橙色の女官服――内食司の女官服――を優雅に着こなしている。
その美しさに、優蘭は目を見張った。
こんなに美しい女性が、後宮女官にいるのね。
さすが、美しい女性ばかりを集めた場所だ。皇帝のその情熱にだけは感心する。
女性は食事を載せた盆を両手に持ち、優雅に歩いてきた。彼女は優蘭の顔を見ると、一瞬目を見張る。だがそれもほんのわずかだ。てきぱきと、卓上に食事を並べていく。
粥、油条、焼豚。どれも湯気を立てており、良い香りが漂ってきた。
しかし何故だろうか。それが、二人分ある。
……二人分?
優蘭は首を傾げた。優蘭はそんなにも食欲旺盛に見えただろうか。
すると彼女が立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。
「優蘭さん。このようなお見苦しい姿での挨拶と相成り、申し訳ありません」
「……へ?」
あれ? さっき声をかけてきたときより、声が低い……?
しかもその声はどこか、聞いたことがあった。黒子の位置が同じでごくごく身近にいるある人物の顔が、不意に重なる。どっと、嫌な汗が背中を伝った。
「えっと……どこかで、お会いしました?」
「……はい。今朝方」
顔を上げた彼女は、決まりが悪そうな顔を背け言う。
「珀皓月。あなたの、夫です」
………………はい?
「この姿では、蕭麗月と名乗っております。なのでできれば後宮内では、そう呼んでいただけたらと……」
「わかり、ました……」
優蘭と、女装皓月。
二人は卓を挟み、向かい合って座っていた。
何度見ても完璧な女装姿に、優蘭は感心する。一致点と言えば黒子くらいで、親しい人でもこれは分からないだろう。
そんな視線を感じ取ったのか、皓月は目をそらしながらも訥々と語り始める。
「わたしが後宮に入ったのは、一ヶ月ほど前。優蘭さん一人だけでは心許ないからと、陛下がわたしに命じたのです」
「そうですか……陛下が……」
真面目に、今代皇帝は側近に対して何を命じているのだろうか。
「はい。ですがその……今回の話を引き受けたのは、わたしが純粋に優蘭さんのことが心配だった、というのもあります」
「それは……ありがとうございます」
皇帝は一度でいいので、皓月の爪の垢を煎じて飲んだほうがいいと思う。
「そしてわたしが内食司に難なく入れたのは、女官長がこちら側の人間だからです」
「……こちら側とは、どういう意味でしょうか?」
「派閥の問題ですね」
分かりやすいようにか、皓月は部屋に置いてある紙を持ってきた。そして皿の位置を少しずらしてから、そこで書き物をする。上のほうから『革新派』『保守派』『中立派』の三文字が、間隔を開けて書かれた。それぞれが楕円で囲まれる。
「現在貴族の間では、『革新派』と『保守派』、そして『中立派』と三つの派閥が存在するのです。これは異国文化を取り入れるか否か、という派閥です」
……異国文化に関する派閥なの?
というより、そういう情報はもっと早く教えて欲しい。むしろそこを重点的に書いて、資料にしてくれないだろうか。
優蘭がそう考えていると、皓月がさらさらと筆を走らせた。
そして『革新派』の横に、『皇帝陛下』『内食司女官長』と書く。
『保守派』の横に、『内侍省宦官長』『内官司女官長』と書き連ねた。
それを見れば、皓月が言っていたことが瞬時に理解できる。
なるほど、内食司の女官長は同派閥だから、協力してくれてるってことね。
「この図を見て、なんとなく理解できました」
「それは良かったです」
「ただ一つ、気になる点があります」
「なんでしょう?」
「何故私は、敵派閥の真っ只中に放り込まれたのでしょう?」
優蘭は『内官司女官長』と書かれた文字を指差しながら、にこりと微笑んだ。瞬間、皓月が勢い良く目を逸らす。
「……皓月様?」
「で、ですから、麗月と……」
「では麗月様、お答えください」
満面の笑みで脅せば、皓月は縮こまりながら教えてくれた。
「陛下のご判断です……そのほうが、後宮内部を引っ掻き回せるから……と……」
「………………へえ、そうですか」
ふつふつと、怒りがこみ上げてくる。
利用されている。それはまだ良い。だがそれを言わないのは、一体どういう了見だ。
「事前に言ってくれたら良いではありませんか」
「それが……後宮に入ってから説明しろと陛下が仰せになられまして……」
ちくしょう。どこまでいっても皇帝が、優蘭の邪魔をする。
そこで優蘭は気づいた。
そういえば……あれ? 私朝、皓月様と一緒に馬車に乗ったわよね? それってつまり……一度、宮廷のほうに行っている?
嫌な予感がした。
「……え、待ってください。え……え? もしかして麗月様は、右丞相の仕事をしてからこちらにきたのですかっ?」
「そうですね……そういうことになりますね……」
優蘭の怒りが、沸点に達した。
婚姻の件と言い、今回の女装と言い……一体どんだけの負担を強いているんだ! あの野郎!
臣下だからって、何をしてもいいわけではないはずだ。
優蘭は怒りのあまり、勢い良く立ち上がって目の前にあった卓を叩いた。皿が震え、匙が床に転がる。
「皓月様!」
「は、はい?」
「何故断らないのですかっ!」
「は、はい……はい!?」
皓月が目を瞬かせる。
優蘭はつかつかと歩み寄ると、座る皓月の肩を掴んだ。びくりと、皓月の肩が震える。
「いいですか、皓月様。自分の身に起きていることを、改めて考え直してください」
「は、はい……」
「まず初めに、私との婚姻です。皓月様は二十六歳、まだ働き盛り、嫁選び放題の時期です。それなのに、よりにもよって相手は二十八歳嫁き遅れ。しかも貴族ではなく、商人の娘です。この時点で、皓月様はかなり損しています」
「……なる、ほ、ど?」
ああ、この反応駄目だ! この人、自分が不幸だっていう自覚がない!
優蘭はさらに言葉を重ねた。
「二つ目は、私と生活するにあたり、全ての負担を珀家が担っていることです。いいですか、本来なら嫁側にも金銭的負担を求めるものです。ですが皓月様は、衣食住全てを負担なさっています。凄まじい損失ですよこれ!」
皓月の肩を揺らしながら、優蘭は力説する。
「そして極め付けは、今回の女装ですよ! なんですかそれ! しかも普段の仕事をしながら、私の補佐までするとか! どんな無茶振りですか!?」
「え……ええ……」
「なんですか、その反応」
驚愕とも困惑とも言える反応を見せる皓月に、優蘭は半眼を向ける。
皓月は、恐る恐るといった様子で口を開いた。
「先ほどから、わたしのことを案じてくれているようですが……わたしに対して、怒ったり気持ち悪がったりはしていないのですか?」
「怒る? 気持ち悪がる……って、何をですか?」
「無理矢理婚姻させられたこととか……その夫が女装をして現れたこととか……諸々全部ですね」
え……この人、一体何を言っているの?
「えっと……無理矢理婚姻されたのは、皓月様も一緒ですよね?」
「それは……」
「そしてその夫が女装していたからといって、気持ち悪がる人っているんですか? 陛下に命じられたなら、誰だってやるのでは?」
むしろ似合いすぎていて怖い。優蘭より女らしいのではないだろうか。それに趣味で女装しているのではなく、皇帝に命じられて女装しているのだ。不憫だとは思うが、気持ち悪いと感じたりはしない。
ぽりぽりと頬を掻いて困惑する。
「えっと……」
だから。皓月がそこまで驚いている理由が、優蘭には理解できなかった。
「……皓月様。一ついいですか?」
「な、なんでしょう?」
「今回の婚姻に関して、です。皇帝陛下の思惑に関しては聞きましたが、その辺り、皓月様はどうお考えなのですか?」
「どう、と言われましても……わたしは、今回の婚姻に乗り気でしたよ……?」
「……相手が、年増の嫁き遅れなのに?」
そう問うたが、皓月は困惑した顔をしたまま首を傾げている。そこに、嘘をついている感じは全くなかった。
優蘭を見上げながら、皓月は言う。
「なら、逆に聞きたいのですが……優蘭さんはわたしとの婚姻を、どう考えてましたか?」
「どうって……断れないことを差し引いても、割と優良案件だなと思ってました」
「……結婚生活を送っている間、何か不満を抱いたことはありませんか?」
「先ほども申しましたが、私お屋敷でものすごく優遇されてますよね? 生活に不満なんてあるわけないじゃないですか」
「なら、わたしに対する不満は……?」
「……強いて言うなら、皓月様との距離感を測りかねているところでしょうか」
「……距離感、ですか?」
「はい。……だって皓月様、私のこと避けてますよね?」
「……いや、なんというか、それは……」
皓月の瞳がゆらゆらと揺れている。彼はとても不安そうだった。
「……言えば、あなたのほうからわたしを避けます」
「え? もしかして男性の方が好きだとか、そういう性癖の話ですか?」
「……いや、違いますよっ?」
「あ、そうですか。でしたら、他に好きな女性がいるとか?」
「そちらも違いますよ! 優蘭さんはわたしをなんだと思っているのですか!?」
あ、違うのね。
慌てた様子で否定してきたので、間違いないはずだ。
それなら一安心だ。愛人と一緒に暮らすという展開にはならない。まあなったらなったで、適当にやり過ごすと思うが。
「なら別に言わなくていいですよ」
皓月が目を丸くする。女装していることもあり、なんだか可愛らしく見えた。
面白いなーと思いつつ、優蘭は元いた席に座る。
「言いたくなったら教えてください。私は別にそれで構いませんから」
「……気にしないのですか?」
「無理強いはしませんよ。……ただ一つだけ」
指を一本立て、優蘭は真顔になる。
ごくりと、皓月が喉を鳴らした。
「仕事はしっかりこなしたいので、そこは是非とも協力してください。私、それを理由に首を切られたくはないので」
「あ……はい」
その反応に満足した優蘭は、ぱんっと手を叩く。
「では、一緒に昼餉にしましょうか」