自分が「男性」になっていく感覚が怖かった。大好きだったお姉さんとの同棲生活と、愛と家族にまつわる本の話【読書日記14冊目】

文芸・カルチャー

公開日:2019/12/23

2016年12月某日

 寝込んでいた。お腹が痛くて熱もある。気持ちのアップダウンはあっても風邪を引くのは久しぶりだ。クリスマスも越えていよいよ年の瀬という雰囲気を感じた途端に、張り詰めていた糸がぷつんと切れたように体調を崩したのだった。でも、襖のほうに目をやると、心がじんわりと温まる心地がする。

 襖で仕切られた部屋の向こう側には、大好きなお姉さんがいる。いくつ離れているんだっけ。何度聞いても忘れてしまうけれど、多分、6つか7つ年上だった気がする。でもお姉さんは私のことを「ののかさん」と呼んでくれて、ときどきは敬語で話しかけてくれるし、そもそも年齢がどうとか本名がどうとかという情報はどうでもよかった。

 お姉さんと一緒に住み始めたのは12月のはじめで、まだ1カ月くらい。どうして一緒に住むことになったのかもあまり覚えていない。お姉さんとはまだ前職で会社員として働いているときにTwitterで相互フォローになり、フリーになってから何度か会うようになって、3回目か4回目に会ったときには一緒に住むことがなんとなく決まっていた。

 物件探しをし始めたとき、不動産屋さんに「姉妹ですか?」とか「どういうご関係ですか?」とよく聞かれた。女のふたり暮らしで、しかも年が少し離れていることもあり、訝し気に尋ねられることも多かった。共通の知人にはもっと踏み込んで「付き合っているんですか?」と聞かれたこともある。そのたびに顔を見合わせて私たちは笑った。

 お姉さんの気持ちは聞いたことがないからわからなかったけれど、私はお姉さんのことが好きだった。ただ、それは男性と恋愛するとか付き合うとかいう概念の中には含まれず、「女友達」とも違う、今までに味わったことのないような、初めての「好き」だった。

 お姉さんとは大事な話もした。「これは内緒にしてほしいんだけど、私、母が怖いの」と打ち明けた。まだ母にこういう気持ちを抱いていることは、友達にも打ち明けたことがなかったのだけど、お姉さんにはするりと話せてしまったのだった。お姉さんが何と言ったのかは忘れてしまった。特にびっくりしたり心配したりもせず、穏やかな調子で「そうなんですね」と言ってくれたような気がする。受け止めてもらったという実感だけが残っている、やさしい、宙づりの記憶。

 お姉さんとの同棲生活で家事の役割分担をどうしていたか忘れてしまったけれど、料理はお姉さんがつくるものを分けてもらうことが多かった。お姉さんは不思議なスパイスをたくさん持っていて、つくってくれるスープの味はいつも初めての味がした。これは何のスパイスなのと聞くといろいろ教えてくれた。私は聞いている端から忘れてしまった。お姉さんが台所に立ってスープをつくる姿があまりに美しくて、忘れてしまうのが怖くて、夢中でインスタントカメラのシャッターを切った。「屋内はフラッシュを焚いても暗いかもしれないですよ」と言われた気がしたけれど、「大丈夫」と言いながら。今思えば何が大丈夫だったんだろう。

 私はお姉さんのつくってくれる料理が好きで、お姉さんに料理をつくってもらうことを期待していたようなところがある。でも、同時に自分がだんだんと「男性」になっていくような感覚に戸惑いを覚えていた。お姉さんはちゃぶ台に茶碗を置きっぱなしにしてしまう私のだらしなさや、お姉さんが一緒に食べようと買っておいてくれたお菓子を私がひとりでいるときに食べてしまったことなどについて、「ののかさんって男の人っぽいところがありますよね」と言って笑っていたし、私もそう思う節はあったけれど、本当に男性になってしまうのではないかと思って怖かったのだった。

 ある日、お姉さんとセックスする夢を見た。そういう雰囲気になったことはなかったので夢の中でも戸惑っていた。でも、私はしっかりと“男役”だった。その日はお姉さんとうまく話すことができなかった。

 寝込んでいた日、襖越しにお姉さんが「ちょっと出てきますね」と言って、外に出た。20分くらい経って戻ってきたお姉さんは、襖をノックしてから細く開け、プリンと近所の本屋さん「title」の袋を渡してくれた。袋に入っていたのは小さな冊子で、私が前から気になっていたものだった。

「これ、私が好きそうと思って買ってくれたの?」と聞くと、「ううん、こういうの好きそうだなって思って買うの、何か失礼じゃないですか。なんとなくです」と言った。私のことを考えて選んでくれたのかと思っていたので一瞬寂しくなったけれど、「なんとなくで選んだものが私の好きな本だったなんてすごい」と、くるりと思い直して布団の中で足をパタパタさせて悦に浸った。お礼を言ってすぐに読み始める。その本は、まだ書籍化する前の、太田明日香さんの『愛と家事』(創元社)だった。

『愛と家事』には、明日香さんの一度目の結婚生活を皮切りに、自分の育った家庭のこと、お母さんのこと、結婚生活で感じたこと、フェミニズムに関する考え方の変遷など、あらゆる葛藤が書かれている。その心情は、ちょうど針の先で突いたような点描画の繊細さと密度の濃さで描かれる。

 特に、自己犠牲的にも見えるほど家族に尽くして生きるお母さんへの想いを綴った「母のようには生きられない」を読んだときは、胃が鉛のように重くなった。本当はずっと重かったのに気づかないフリをしていたのかもしれなかった。押し入れの奥に仕舞っておいた、昔の恋人からの手紙を発見したときの気持ちにも似ている。大事だけれど、見てはいけないものを見てしまったような気がしてしばらく封印していたのだけど、母へのわだかまりのような感情を表現して仲直りすることができた今読むと、乾いた土に水をかけたときの染み渡る心地よさがある。

 また、結婚と離婚を経験した今読み返してみると、一度目の結婚生活の話も立体的に感じられた。たとえば「怒りとのつきあい方」というエッセイの中では大黒柱として家計を支える明日香さんの夫への怒りや、怒りを抱いてしまう自分への内省が克明に綴られている。

 私も家計を支えなくてはいけなかった時期があり、表立っては「男女は平等だ、女性が大黒柱でもいいはずだ」なんていう発信をしながら、内実複雑な思いを抱えてしまっていた自分のことを思い出した。そういえば、あのときも自分が「男性」になってしまった気がして怖かったなと思い出す。お姉さんとの生活を思い出す。

 そういう意味で、『愛と家事』は自分の過去と出会い直させてくれるような本だ。それは、この本自体が長期にわたって丁寧に積み上げられた思考と時間の堆積そのものだからだと思う。いろいろな人のいろいろなペースに対応するだけの思考や感情の欠片がぎっしりと敷き詰められている。読むたびに違った箇所がキラリと光る。

 本から放たれるまっすぐな眼光の鋭さに、正直なところ今でも目を背けたくなることがある。それでも定期的に読み返したくなるのは、何かと忘れてしまう私にとって、この本は記憶のクラウドのような存在だからだ。全く同じ体験ではないけれど、この本が預かってくれている私の記憶や感情がたくさんある気がする。この本があるから、私は安心していろいろなことを忘れることができる。

 そういえば、料理しているお姉さんの姿が発光して見えて、夢中でシャッターを切ったカメラを現像に出したら案の定、暗くてほとんど何も写っていなかった。あんなにもキラキラしていた記憶に靄がかかっていく。何もかもすぐに忘れてしまう。忘れたくない。忘れたくないから筆を執っているのかもしれないなと、少し思った。

文=佐々木ののか バナー写真=Atsutomo Hino 写真=Yukihiro Nakamura

【筆者プロフィール】
ささき・ののか
文筆家。「家族と性愛」をテーマとした、取材・エッセイなどの執筆をメインに映像の構成・ディレクションなどジャンルを越境した活動をしている。Twitter:@sasakinonoka