どんぶり界の帝王・うな丼の歴史は意外に浅い!「五大どんぶり」誕生秘話
更新日:2020/1/10
日本人のソウルフードの1つ、どんぶり。数あるどんぶり物の中でも天丼、かつ丼、牛丼、うな丼、親子丼は、どんぶり界の帝王として君臨する。
今でこそ当たり前に食べられている「五大どんぶり」だが、その歴史は意外に浅い。ご飯のお供となる美味しいおかずを「白飯の上にのっけて食べる」。こんな単純な発想は、実は約200年前、1804年から1818年の間にようやく生まれたそうだ。もっと古くから存在していそうだから驚く。
どんぶり物の発明は、日本の食文化史における一つの革命であった。
このように指摘するのは、五大どんぶりの誕生の歴史を解き明かす『天丼 かつ丼 牛丼 うな丼 親子丼 日本五大どんぶりの誕生』(飯野亮一/筑摩書房)だ。本書が解き明かす歴史は、当時の江戸の世相が垣間見えて面白い。
五大どんぶりの中で最も古株、うな丼。その誕生の道のりは、まさしくうなぎのようにうねうね長い。
元禄時代(1688~1704)にはすでに江戸の町に「うなぎ屋」があり、ヌルヌルしたうなぎをさばいて蒲焼にする食文化が生まれていた。宝暦時代(1751~1764)には、いけすに生きたうなぎを飼い、店の入り口で蒲焼を焼くデモンストレーションが行なわれていた。ほとんど現在のうなぎ屋のような営業形態だ。
しかし当時のうなぎ屋は訪れる客層が限られていた。あくまで蒲焼は酒の肴。酒飲みのための食べ物であり、ご飯と一緒に食べる発想はなかった。なるほど、本書のこの部分の記述には驚いてしまう。
さらに業績を伸ばすには、客層を拡大しなければならない。そこでうなぎ屋は酒を飲まない客層を取り込むため、「付けめし」の提供を始める。ようやくうなぎと白ご飯が一緒に食べられ始めたわけだ。ただしこの時点でも「白飯の上にのっけて食べる」発想には至っていない。
本書では「付けめし」を描いた史料が紹介されている。その史料が描かれたのが1777年だそうで、元禄時代からすでに約90年が経過している。うーん、なかなか興味深い。
さらに時間が経過して、文化時代(1804~1818)になってようやくうな丼の原型のようなものが発明される。その原型を江戸の町に広めた人物こそ、芝居小屋の金主(スポンサー)をしていた大久保今助だった(話が長くなるので、彼の素性は本書に譲ろう。これと一緒に、実は今助以前にうな丼の原型を発明していた石井八郎の素性についても本書に譲りたい。また本書でも述べられているが、ある食文化を発明した人物〈お店〉とそれを広めた人物〈お店〉が違うことこそ、飲食業界の「元祖」問題が勃発する理由の1つでもある)。
さて、肝心のその原型は現代人からすると一風変わったものだった。丼のご飯の間に蒲焼を挟ませた、うなぎの白飯サンドイッチのようなもので、当時は「鰻飯」と呼ばれていた。わざわざ白飯で挟むのは、うなぎ好きの大久保がいる芝居小屋まで鰻飯を届ける間に、蒲焼が冷めないようにするため。アツアツのご飯でサンドイッチする工夫だった。鰻飯は、まだ電子レンジが発明されていない当時の人々の知恵が生んだ料理なのである。
鰻飯は、蒲焼が冷めない工夫のために生まれた料理だった。しかしいざ食べてみると、大変風味がよい。そのうち江戸中のうなぎ屋が「鰻飯」をマネするようになり、現在のうな丼へ進化する道が開かれることになる。
たとえば鰻飯の製法だ。元禄時代はうなぎを焼いて食べていた。ところが江戸中で鰻飯が提供されるようになると、江戸っ子の「せっかち」な気風が影響して、短時間で調理する必要が出てきた。そこで考えだされたのが、蒸す製法である。
また鰻飯に使われていたうなぎのサイズも変わった。当時はまだうなぎの養殖が確立しておらず、すべて天然のうなぎを調理していた。だから鰻飯に使用したうなぎは、まだ大人になりきっていない「小うなぎ」サイズだった。うなぎの絶滅を危惧する現代人からすると、非常に食べてみたい悪魔のような魅惑を放つどんぶりである。
さらに本書では、うな丼の陰の主役「タレ」についても言及している。鰻飯を提供するお店が江戸中に増えた結果、競争原理が生まれてタレが工夫されていったのだ。
まだまだ鰻飯がうな丼へ進化する過程が本書に描かれているのだが、この続きはぜひ本書で楽しんでほしい。たった一杯のどんぶりにも、江戸の人々の世相を表した歴史がつまっているのである。
ただしうな丼の話だけでお腹いっぱいになってはいけない。「五大どんぶり」のうちの1つしかご紹介していないからだ。本書ではうな丼に続いて、天丼の誕生について解説している。天丼の誕生は、うな丼よりもはるかに遅い。なんと明治時代に入ってから天丼が発明されたのだ。古きよき歴史がありそうな天丼は、なんと現代食だったのである。
日本人のソウルフードと呼ぶべきどんぶり物は、意外に歴史が浅い。その事実は、裏を返せばたとえ歴史が浅くてもこれだけ私たちの心をつかんで離さないほど美味しいということだ。とくに「五大どんぶり」はこれからも日本の食文化の一角に君臨する帝王として、ながく歴史を刻み続けるだろう。
文=いのうえゆきひろ