30年間毎日酒を飲み続けた作家・町田康は、いかに禁酒に成功したのか――この方法論があれば、酒がなくても生きていける!
公開日:2020/1/4
〈二十歳のとき、酒を讃むる歌十三首を読んで以来、大伴旅人だけを信じ、大伴旅人の言うとおりに生きてきた。(略)なにになったか、というと大酒飲みになった。〉という作家・町田康さんが30年毎日続けた飲酒を、4年前からやめてしまったのはなぜなのか。いかに禁酒を成したのか。
『しらふで生きる 大酒飲みの決断』(幻冬舎)はその顛末を綴ったエッセイだ。町田さんが酒をやめようと思い立ったのは、沈黙の臓器と呼ばれる肝臓が悲鳴をあげはじめたとか、日々の倦怠が抜けきらないとか、理由はいろいろあるのだけれど、具体的なあれこれよりも「酒を飲みたいという正気とやめたいという狂気がせめぎあい、わずかに狂気が勝利した結果」で今に至り、なぜやめたか自分でふりかえってみても「気が狂っていたとしか言いようがない」という曖昧な理由のほうになぜか納得させられてしまった。
酒に溺れるのは、その時間だけは日頃の鬱憤も苦痛もすべて忘れて愉悦を味わえるからだ。大伴旅人が「人生の目的は酒を飲むことであり、すべては酒のために存在する」と言うとおり、町田さんも一日の終わりに酒を飲むことだけを楽しみに生きてきた。けれど町田さんはあるとき思い立ってしまった。〈人生の寂しさと短さを酒なしで味わおう〉と。
本書は、すでに町田さんが禁酒して1年以上が経過したところから始まっており、旅行や正月といった難関をいかに乗り切ったかなどのエピソードも挟まれるものの、具体的な方策についてはあまり語られない。いや、語られるは語られるのだが、そのほとんどが精神論であり哲学だ。日々を生きることは基本的にとてもつらく、その慰めとして酒を活用するけれど、結果として蝕まれる時間や健康、精神といったものは人生の負債として蓄積されていく。楽しみと苦しみがまったくもって釣り合っておらず、ゆえにマイナスを取り戻すかのように酒をまた飲んでしまい、負債がふくらんでいくという無為を前提に、ではどうすれば酒なしでその苦しみから抜け出せるのかというところまで話は及ぶ。それが「自分は普通以下のアホ」だと自覚するという認識改造論である。
〈そもそも不満が生じるのは自分が此の世で正当に遇されていない、と考えるから〉だと町田さんは言う。その認識を改めることはともすると自尊心の喪失になりかねないけれど、そうではなく、誰と比べることなく自分を自分のまま受け入れ、不満のない状態で見える景色や聴こえる音が、みずからを健全に導いてくれる。それが断酒にも繋がっていくのだと。
酒を飲んでも飲まなくても人生は寂しい。ダイエット効果や睡眠の向上など、断酒の利得はあったけれどそれで町田さんの幸福が向上したわけじゃない。町田さんの人生に新しい光と喜びが差し込まれたのは、過程の葛藤があるからだ。読むと確かに「酒、やめようかな」と思えるけれど、それ以上に己の弱さや寂しさと向き合い、折り合いをつけるヒントをもらえる一冊である。
文=立花もも