<内田也哉子×中野信子>家族のカタチは1つじゃない。常識にとらわれない内田家の愛とは?
更新日:2022/10/22
『週刊文春WOMAN』の創刊1周年イベント「《週刊文春WOMAN meets 樹木希林展》内田也哉子×中野信子トークイベントWhat is a family!?」が1月14日(火)、横浜市の新都市ホール(そごう横浜店9階)で開催された。
樹木希林さん(享年75)と内田裕也さん(享年79)の一人娘、内田也哉子さんは型破りな夫婦関係を目の当たりにしながら、自身も19歳で俳優・本木雅弘さんと結婚。現在は3人の子どもに恵まれている。父の裕也さんとは、一度も一緒に暮らしたことがなく、生涯で会った時間も算出できると言い、母・希林さんに対しては、別居をしながらも裕也さんを敬い、大切に扱うことに疑問をもった。
樹木希林さんのユーモアと洞察に満ちた名言を集めた『一切なりゆき─樹木希林の言葉』(文藝春秋)は、トーハン、日販の年間ベストセラーランキングで1位になるなど、今もなお、その夫婦関係に注目が集まる。
個性的な両親の死後、殺到する講演依頼をすべて辞退してきたそうだが、今回、脳科学者の中野信子さんとの対談という形で、初めて一般読者の前で思いを語った。
■子育ては別のコミュニティもあり⁉
内田也哉子氏(以下、内田):家族のなかにおける父親と母親の、脳科学的な本来の役割というのはあるんですか?
中野信子氏(以下、中野):ないでしょうね。
内田:じゃあ、どんなカタチの父親、母親であっても間違いではないというか。
中野:もちろん、そうです。ただ、私たちは社会通念というものをかなりの年月をかけて学んできてしまうので、マジョリティの考え方に外れていると、「自分は間違っている気がする」という感覚を持ってしまう。でも、どのカタチであっても、特に別に生物学的に誤りということはないんです。
子孫を残すにはXXとXYの染色体は必要ですよね。それは確かにそうかもしれないけれども、じゃあ同性愛カップルとかどうなるのか。たとえば、アホウドリは、3分の1がレズビアン。子孫を残すときだけオスと浮気するんですよ。そしてそれぞれの奥さんのもとに帰って、子育てはメス二人でするんですって。別に人間でもそういうカップルが居てもいいのでは? 子育てはメスのコミュニティでするというあり方も、なかなか楽しいかもねと私は思ったりするんですよね。
内田:ははあ、人間にとどまらず生物界まで広げて考えてみると、うちの家族のカタチというのは大して変なわけではないわけですよね。ただ、子どもの立場からすると、どうしてうちは家にお父さんが居ないんだろうという思いはありました。母は年に一回、「父の日」に私を父に会いに行かせたりして、ずっと家に居ない父を象徴化して大切にしていたんです。そうする意味は、母に聞いても最後まで私が腑に落ちるような答えは得られなかったんです。でもそれは、生物界からしたらまったくOKというか、まったくノーマルなほうということですね。
中野:まったくOKです。私の家は私が高校生のときに両親が離婚しているんです。私たちの世代は、離婚について、まあ、そういうこともあるよねというふうにとらえるようになり始めた最初の世代だと思うんですけど、私たちより上の世代の方は、ご両親が離婚していると私立のいい学校に入れさせてもらえないなどという話がありませんでしたか? 離婚したご家庭は偏見で見られるというようなことがあったと思うんです。私は28歳ぐらいのときに結婚しようと思った人が居たんですが、その人から、「君は壊れた家庭の子だからね」と言われたんです。そんな人とそんな状態で結婚できると思います? 絶対にうまくいかないですよね。名門男子校を出て、国内でも有数の有名大学を出ている、いま思えばいけ好かないエリートのお坊ちゃんでしたね……。
■ストイックに物を捨てない母
内田:私は中学に上がるまで一度も洋服を買ってもらった記憶がないですね。母のお友だちの女優さんは、みなさんシーズンごとにお洋服を買い替えるから、そういう方々のお下がりをもらって、Tシャツでさえも肩上げして着せられていたんですよ。
「物を大事に」という何か温かい感触のものというよりは、もっとストイックな考えによることなんです。物を介してでしか付き合えなくなってしまう関係性ってあるじゃないですか。いただいたらまた送り返して、というのは人間のコミュニケーションの一つではあるのだけれど、母にしてみたら、けっこうロマンチストなので「そんなことしなくて、もっと直につながろうよ」という感覚があったと思うんです。それを恥ずかしいから、「私はとにかく一切合切要りません」と言っていた。どうしてもといって送ってきちゃう人には、メモ用紙に「要らない」って書いて送り返すんですよ(笑)。
「物にも冥利がある」っていつも口癖のように言っていました。私はそういうストイック過ぎる母を見てきて、じゃあ自分は今、同じようにやっているかというと、実はやっていない。親がやっていて嫌だと思ったということは採用されないんでしょうか。そういうこと、ありませんか?
中野:あります、あります。意思の力で「これはやらないようにしよう」と思っていることがありますよね。たとえばダイエット。食べちゃいけないと思いますよね。だけど、食欲はあって、それがおいしいものだということを脳は知っている。このときに、どっちが勝つかというと、意思の力は必ず負けるんです。たとえば、お父さんを見て、「自分はこういう人とは結婚しないようにしよう」と思っていると、そういう人と結婚しちゃったりするということがあるんです。違うと思ったのにそうだった、とか。
内田:今、ふと考えたんですけど、私はあまり父を拒否もしてなかったのかもしれませんね。そもそも父と暮らしたことも一度もない。生涯で会った時間の合計は算出できるぐらい。だからこそ父とは真逆の人と結婚することができたのかな。
■血縁関係か育ての親か
内田:私は子どもを3人、授かっているんです。それでよく考えるのですが、「血縁」ということに私たちの社会はこだわるところがあるじゃないですか。でも、実はそうではないんじゃないかと私は信じたいところがあるんです。そういうことから解放されたいという思いもあるし。家族について「親子」に焦点を絞ったとき、「血縁」というものと、生まれたときからずっと共有してきた時間というものは、人間の脳内ではどう整理されるのか。
中野:このテーマだけで5時間も6時間も話せる内容で、いっぱい実験があります。ある程度、示唆的な結果は出ています。ラットのストレス耐性の実験というのがあります。ラットは透明な床を怖がるんですね。だから、透明な床の先にある餌を取りに行かない。でも、なかにはあまり怖がらない、透明な床によるストレスがあんまりかからないラットもいて、透明な床であろうがズンズン餌を取りに行っちゃう個体がいるんです。このラットのストレス耐性の違いはどこから来るのか。
ラットは子どもを舐めて、つまりグルーミングをして育てる。ただ、よくグルーミングをするお母さんと、あまりしないお母さんがいる。すると、よくグルーミングされて育ったラットのほうが、透明な床の先にある餌をよく取りに行ったんです。ということは、よく子どもを舐めるお母さんがそもそもストレス耐性が高くて、それを子どもは受け継いだのか。それとも、グルーミングが大事なのか。これを調べるために、よく舐めるお母さんから生まれた子どもを、よく舐めないお母さんの巣に移す。逆に舐めないお母さんから生まれた子どもをよく舐めるお母さんの巣に移す。そうすると、育てのお母さんと産みのお母さんのどっちの影響が大きいかがわかりますよね。
内田:私は育ててもらったお母さんの影響が大きいと思いたい。
中野:仰る通りです。育てのお母さんの方が影響が大きかった。よく舐められた方が、ストレス耐性が高いんです。ラットの脳を切って調べてみると、脳には海馬と扁桃体―─これが恐怖を感じる場所なんですが──、この2ヶ所がお母さんが舐めることによって変化していたんです。別に遺伝だけですべて決まるわけじゃない。一緒に接している存在もとても大事ですよ、ということを示す実験です。
内田:良かった、聞きたい答えが聞けて(笑)。ただ、同時にちょっとあまのじゃくな言い方をしてしまうと、私は父とほとんど一緒の時間を過ごしてないんだけれども、ふと会った瞬間に、怖いぐらい似ている瞬間を感じたんですよね。その部分は遺伝でつながっちゃっているところなんでしょうか。
中野:もちろん、つながっています。お父さんから主に受け継ぐ部分と、お母さんから主に受け継ぐ部分というのは、遺伝的にある程度偏りがあるんですよ。知性を司る大脳新皮質は主に母側と考えられています。内臓などの、他の身体の部分はお父さん。
内田:え~~っ、複雑な気持ち(笑)。
中野:情動の部分もそうかもしれない。情動脳の部分はオス側の遺伝子が発現しているらしいので。でも、也哉子さんはそんなお父様のように激しいものをお持ちの人かなと、ちょっと今、疑問には思っているのですが。
内田:実は秘めているんです(笑)。
■愛人・不倫に親和的な裕也さんとそうではない本木さんの違いはDNA一文字?
司会:読者の方から内田さんに質問です。愛人・不倫に親和的な裕也さんと、それとは遠そうな本木さんの差異はなんですか?
内田:「父親が不倫や愛人に親和的」っていうフレーズは初めて聞いたんですけど、ものは言いようですね(笑)。私も旦那さんに「男性として、人としても、あなたと裕也はどう違うと思うか」って聞いてみたんです。たとえてみると、本木は戦車をひとりで操縦して、その鉄の塊に守られた中から「どうぞ私には構わないでください。すいませーん、そこ通りまーす」と控えめのようでいて、実はグシャグシャに辺りのものを踏んづけていくんだそうです。私生活では特に人とコミュニケーションを取るのが苦手で、友だちも少ないですし、仕事を終えたらすぐ家に帰ってきてしまう。時間があればロンドンに行ってしまうし。
で、裕也の場合は、何の武装もなく、拡声器だけ持って「おーい、俺の話を聞いてくれ。俺の話は間違っていますか?」と叫ぶ。そうして人と取っ組み合いのケンカにもなるし、痛い思いもするんだけれども、相手の意見も「おもしれえな」と聞く。その結果、多くの人とシンパシーを共有する。そういう違いがあって、それは男女の関係にも通じているんじゃないかとか言っておりましたが、どうでしょうか?
中野:素晴らしい見立てではないでしょうか。AVP(バソプレッシン)という、俗に「不倫遺伝子」といわれるものがあるんですよ。たったひとつ、DNAレベルでいうとたった一文字違うだけで振る舞いが変わっちゃうという。
内田:じゃあ、本木と裕也はDNAが一文字違うだけ?
中野:ほんの一文字違うだけなんですけれども、何が変わってくるかというと、たったひとりの人を大事にするか、みんなを浅く広く大事にするかという違いです。
内田:うちは旦那さんと私は性格が正反対で、趣味も違うし、何から何まで違うんです。最初に出会ったのは私が15歳のときで、ほぼ初恋みたいな人と結婚した。私には旦那さんと常に共感する、一緒であることに憧れがあったんですけど、結婚生活を重ねるにつれて、旦那さんのほうは「違うから面白いんじゃない?」ということを教えてくれた。彼にとっては何もかも同じでは発見がないというか。私は一緒になりたい。そこで何度も衝突したんですけど、でも、本当にそうだな、違うのは面白いんだってわかるようになりました。
家族である前に一人の自立した人間同士である。結婚相手に何かを求めるのではなく自分がしたいことをすれば、ストレスも感じない。「多様性」という言葉自体は世に浸透したが、まだまだ「常識」に当てはめようとしてしまいがちだ。ただ、常識的であろうとなかろうと、家族のあり方は家族の分だけ様々だ。人間界でも生物界でも、自分たちの居心地の良さを追求したいものだ。
取材・文=松永怜 写真提供=文藝春秋