犯人は心神喪失状態にあったのか、それとも……。精神鑑定医が心の闇に斬り込む骨太ミステリー!

文芸・カルチャー

更新日:2020/3/16

『十字架のカルテ』(知念実希人/小学館)

「被告の刑事責任能力を調べるため、精神鑑定を行うことになりました」──重大な事件が起きた際、ニュースでそんなフレーズを聞いたことがないだろうか。

 刑法第39条には、「心神喪失者の行為は、罰しない」「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」とある。つまり、精神疾患による幻覚や妄想等にとらわれた結果として犯罪が行なわれた場合、犯行を起こした者は不処罰や減刑になるというわけだ。果たしてその人物は、精神疾患を抱えているのか。犯行時、善悪を弁識する能力、つまり責任能力があったのか。そのジャッジを下すのが、精神鑑定医である。

 近著『ムゲンのi』が2020年本屋大賞にノミネートされ、ベストセラー『仮面病棟』の映画が公開されるなど、今ノリにノっている知念実希人さんの新作『十字架のカルテ』(小学館)は、そんな精神鑑定医を主役にしたミステリー。5人の犯罪者の心理に迫っていく、全5話で構成されている。

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 精神科専門の光陵医科大学付属雑司ヶ谷病院で患者の治療にあたる影山司は、日本有数の精神鑑定医。その助手に志願した新人医師・弓削凛は、影山に連れられ、さまざまな人物の精神鑑定に立ち会うことになる。歌舞伎町で無差別殺傷事件を起こした男は、本当に重度の統合失調症だったのか。生後5ヵ月の娘を抱いた母親がマンションから飛び降りたのは、産後うつが原因なのか。姉を刺した引きこもりの男の精神状態は? 裁判で窮地に立たされた影山は、どのようにして精神鑑定医としての信用性を実証するのか。犯罪者の心の奥底に深く分け入り、暗がりで目を凝らして真実を突き止めていくさまを、固唾を飲んで見守ってしまう。

 さらに、最終話にあたる第5話では、凛の過去も明らかに。彼女はなぜ精神鑑定医の道に進んだのか。解離性同一性障害、すなわち多重人格とされる女が犯した過去と現在の殺人事件を通して、凛の思いも語られていく。ラストに思いがけない展開が待ち受けるため、最後の最後まで気を抜くことができない。

 実を言えば、本書が精神鑑定をテーマにしていると知り「ずいぶん難しい領域に足を踏み入れたな」という思いがあった。触法精神障害者の犯罪行為は罰しないとはいえ、罪そのものが消えるわけではない。被害者の命は戻らず、遺族はやり場のない思いを抱えて生きていくことになる。一方で、犯人の精神疾患がメディアで取り沙汰されると、ほかの患者がいわれのない差別や偏見にさらされるという問題もある。

 知念さんはこうしたセンシティブな問題からも目をそらさず、司法の不備を指摘し、精神疾患患者に対する社会や医療のあり方についても言及している。疾患に苦しむ患者が、追い詰められて犯罪に手を染める前に、社会が気づくことはできないものか。彼らに治療の手を差し伸べるにはどうすればいいか。自身も医療従事者である知念さんならではの怜悧かつ優しいまなざし、切実な思いがページから溢れ出している。

 犯罪者の心の内側を読み解く心理分析ミステリーとして、凛が独り立ちしていく成長ストーリーとして、触法精神障害者の犯罪について考える社会派小説として、さまざまな角度から楽しめる骨太な一作を堪能してほしい。

文=野本由起