レジェンド少女漫画家の創作現場は修羅場の連続!? 70年代の情熱が甦る一冊
公開日:2020/3/10
1970年代は俗に「少女漫画黄金期」とも呼ばれるそうだ。小生自身はそのムーブメントを肌で感じた世代ではないのだが、今でも語り継がれる『ポーの一族』や『ベルサイユのばら』『はいからさんが通る』等々の名作が生まれたのもこの時代。そして掲載誌の休刊により連載が中断しているものの続刊が待ち望まれている、美内すずえ先生の『ガラスの仮面』もまた、この黄金期に生まれている。
『薔薇はシュラバで生まれる【70年代少女漫画アシスタント奮闘記】』(笹生那実/イースト・プレス)は、レジェンド作家たちのもとでかつてアシスタントをしていた著者・笹生那実先生の「貴重な体験」を綴るコミックエッセイである。なお笹生先生自身も1973年に高校3年生でデビューしているが、当時はそういった新人が漫画家兼アシスタントとして研鑽を積むことが多かったそうだ。
笹生先生は元々、美内すずえ先生のファンで中学入学後に毎月欠かさずファンレターを送り続け、自身でも漫画を投稿し、中学3年生になると佳作と銀賞を受賞する腕前に。そんなある日、編集部の紹介で美内先生の制作現場を見せてもらうことになった。近くの旅館へこもり執筆に追われる、いわゆる「カンヅメ」と呼ばれる追い込みの現場である。
周囲が気を利かせて、美内先生と二人の時間を作ってもらった笹生先生だが、憧れの人を目の前にし緊張してしまう。それでも何か話さねばと思って放った言葉が「ペン入れするとこ後ろから見てもいいですか…?」。今でこそ自身の行動を反省する笹生先生。やはり作業中に後ろからじっと覗かれるのは落ち着かないものだ。やがて美内先生はその状況を打破するために部屋のふすまを指さし「墨汁が飛び散ってるでしょ、あれ見たら、どんだけ修羅場かわかるわ」と語りかける。
これが締め切り前の追い込みをシュラバと称するきっかけだろう。だがこの時はまだ笹生先生自身もほんのりとアシスタントへの憧れを抱くだけで、言葉の意味を深く考えてはいなかったよう。その後、デビューをした夏、編集部から美内先生のアシスタントを依頼されるほどに期待されていたのだ。小生自身はアシスタント経験などないが、それなりに締め切りに追われており多少は分かるつもりだったが、当時のシュラバには、遠く及ばないことを思い知る。手書きの作画は、とても手間がかかるのだ。
その後、何度か美内先生のアシスタントを務めあげた笹生先生だが、その心にはずっと引っかかっているものがあった。実は、最初のアシスタント時に犯した作画ミスを気に病んでいたのだが、なかなか言い出す機会に恵まれなかったのだ。しかしある日、出版パーティの帰り、二人だけになったのを機にやっと伝えることが出来た。ミスを思い出すたびに申し訳なく思い「死んでお詫びをしようかとぉぉ~!」と涙目で訴えた。
対し美内先生は笑顔で「死ぬんなら右腕置いていってね」と。自身の少女時代に出会い、漫画家人生を決定付けたといえる恩師からの言葉は、信頼の証しだろう。笹生先生は「今も忘れられない感動の会話です」と述懐している。その重みと温かみに、勝手ながら過去の失敗に悔やむ小生自身も救われたような気もする。
漫画制作もデジタル化が進み作業効率は上がり、アシスタントもインターネット経由でデータをやり取りできる昨今、現場に集まって徹夜作業というのも少なくなっているようだ。笹生先生自身も徹夜作業は絶対にダメと言っている。なら、当時の情熱はもう過去の遺物になったのか? そんなことはない。笹生先生自身、一度は引退したものの1998年から同人活動を開始、そして齢64にして本書を出版することになる。これも70年代の情熱が、まだ冷めてはいない証拠では?
文=犬山しんのすけ