恋愛関係になったとたん“男”と“女”になるのがこわい…。全身全霊で女性差別に傷つくやさしすぎる男の子の物語

恋愛・結婚

更新日:2020/3/13

『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(大前粟生/河出書房新社)

 そんなに傷つかないでほしい、と『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(大前粟生/河出書房新社)を読んで思った。「全身全霊で女性差別に傷つく男の子の話を書いてください」と編集者にいわれた著者の大前さんが、フェミニズムのことを考えるようになったのは2016年から。そのくだりはWebで公開されている刊行に寄せたまえがきにあるのでぜひ読んでいただきたいと思うが、〈(フェミニズムや男性の加害性について書かれた)すばらしいどの本を読んでも、ひとりの人間として真っ当に生きていきたいと勇気づけられると同時に(略)「男でごめんなさい」という気持ちで日々を過ごした〉とある。それはフェミニズムのせいではなく差別するしくみを強固にそなえている社会のせいだ、と感じる大前さんが、できるだけ過剰にならないように、誠実に綴った物語が表題作だ。

 主人公の七森は大学生の男の子だが、やっぱりやさしすぎて傷ついている。背が低くて細いから、「女の子みたい」「かわいい」と女子にまざって遊んでいた高校時代。それを馬鹿にしてきた男子たち。安易に「ブス」とか「ヤレるかな」とか「持ち帰り」とか言って、女子をモノのように扱うことに無自覚な彼らに、でも、空気を読んで同調してきた、同じ性の自分。違和感と罪悪感ではちきれそうな彼の、静かな安らぎが、大学で同じ学科の麦戸ちゃんだ。誰と一緒にいるより楽しくて、大好きなひと。つきあうなら彼女がいい、と思っているけど、大事すぎて、壊したくなくて、友だちのままでいる。そして彼女が大学にこなくなったあいだに、七森は共通の友人である白城とつきあいはじめる。

 男と、女。おなじ人間であるはずの両者に分断が生じてしまうのは、そこに欲望としての「性」が介在するからだ。〈「男」とか「女」じゃなくて、ただそのひととして見てほしい〉。そう願っている七森に、恋愛はとてもむずかしい。自分の気持ちが、相手を傷つけるものであるかもしれない、ことがこわい。だから、恋愛に対するハードルが低そうな白城とつきあうことにしたのだけれど、そんなふうに感じて罪悪感を薄めている自分にも、やっぱり罪悪感を覚えているし、傷ついている。そんなに傷つかないでほしい、と七森に対しても思ったし、性被害を受ける他者をまのあたりにして我が事のように傷ついている麦戸ちゃんに対しても思った。自分がこれまでなんとなく、軽く流してきてしまったこと。他人事だった傷が、世の中にはじつに切実に生々しくあふれていること。加害者と被害者、そのどちらにも自分はかんたんに属してしまいかねない社会がこわくてたまらないから、麦戸ちゃんはぬいぐるみに向かってしゃべり続ける。

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 その、自分との対話はとても大事なものだけど、他人を傷つけることがこわくて、ぬいぐるみとだけ対話する世界に閉じてしまうのも、またこわい。だから、この物語に白城がいてくれてよかったと、読み終えて思った。セクハラがあたりまえのサークルに所属して、加害側に立ちかねない彼女を七森は批判し、白城は「そういうこと言うな」と反発する。理不尽をのみこんでしまえることを強さと言っていいのかはわからないけど、やさしすぎる七森たちがどんどん傷にのみこまれていってしまうのを、防ぎたいと思っている彼女のような人も必要だ。

 ほかに収録されている3編も表題作と同様に「語りあうこと」「手をとりあうこと」がテーマになっている。みんなが少しずつ支えあって、いやなことやだめなことにはちゃんとNOと言いながら、傷つかずにいられる世界が、少し先の未来にあればいいな、と思う。

文=立花もも