「この右手、今宵は絶対洗わない!」同志、小峠との笑顔の約束/『ジグソーパズル』③

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公開日:2020/3/20

「バイきんぐ」のじゃないほう芸人、西村さんの最初で最後の初エッセイです。小峠さんよりも先に書籍を出版。社内の反対を押し切っての刊行です。はっきり言って、売れる期待は全然していません。有益な情報はほとんどないですが、読むとほんの少しだけ元気がでます。

『ジグソーパズル』(バイきんぐ 西村瑞樹/ワニブックス)

今宵は洗えない、この右手

 僕たち芸人には「営業」という仕事があって、ショッピングモールやイベント会場などでネタをやるのだが、行くと必ず何枚か色紙にサインを書いている。これは、舞台に上がってもらって絡んでくれたお客さんにお礼としてあげるためだ。

 すごく喜んでくれる女子中学生や、誰だかよくわからないハゲたおじさんたちのサインをもらって困惑気味の幼稚園児などリアクションはさまざま。なかには色紙やノート以外のものにサインをしてほしいと言う人もいる。スマホの裏側や着ているTシャツとかにサインするのはよくある話。

 珍しいものでは、地方のボートレース場へ営業に行った時、ステージを終え控え室に戻る途中で酒臭い陽気なおじさんが話しかけてきて、「これにサインをしてくれ」と渡されたのが、どこで拾ってきたのかボートのスクリュープロペラの破片だった。

 ボートレーサーならまだしも芸人がスクリューに、いや正確には干からびて色褪せた、いびつな形のスクリュー破片にサインをする機会なんてこの先二度とないだろうな。そんなことを考えながらサインをすると、おじさんが子供のように喜んでくれたのがとても印象的だった。

 僕も、子供の頃に広島カープの選手にサインをしてもらった時はむちゃくちゃうれしかったし、今でもその時もらったサイン色紙は大切にしている。

 大人になってからもサイン会に行ったことがある。

 もう15年くらい前だろうか。当時ヘビーローテでお世話になっていたAV女優が近所のレンタルビデオ店でサイン会を開催するというので、僕は浮き足立っていた。しかし、その日は相方とのネタ合わせがあるので行けないことが判明した。

 これはマズいぞ。千載一遇のこのチャンスを逃してはなるまい。

 のっぴきならない用事ができたと噓をつこうか。

 いや、ここは正直に話せばわかってくれるんじゃないかと悩んでいると、サイン会当日の朝に相方から「歯医者に行くから、今日のネタ合わせはやめよう」という、まさかの吉報。これで心置きなくサイン会に向かえる。

 夕方、ドキドキしながらチャリンコを飛ばしてレンタルビデオ店に行くと、驚くことにすでに入り口付近で結構な列ができていた。そしてもっと驚いたのが、行列の先頭に並んでいたのがなんと相方だったのだ。しかも少し緊張の面持ちをしている。

「おい、歯医者はどうした?」そんな野暮なことは聞かない。そんなことはどうでもいいのだ。俺たちは同志だから。

 大好きなAV女優のサインをもらい、握手をしてもらい、有料オプションのポラロイドツーショット撮影まで終わると、俺たちは笑顔で約束を交わした。握手してもらったこの右手は絶対に洗わない、そう、今宵だけは。

※写真は元広島カープの高橋慶彦さんにもらったサイン

<第4回に続く>