ネットに流されないために今大切なのは? “他人の物語”に感情移入するより「自分の物語」を発信する方法

ビジネス

公開日:2020/3/19

『遅いインターネット』(宇野常寛/幻冬舎)

 インターネットは元来、自分が情報に接する速度を自由に決められるメディアだったはずだ。だが現実には、SNSの書き込みへの反応を四六時中気にし、いいねを沢山もらうことに躍起になるユーザーも少なくない。言い換えれば、SNSはファストな承認欲求のはけ口としても機能しているのだ。

 また、不倫や薬物などの問題を起こした有名人をより早く叩いた者勝ちという、脊髄反射的な書き込みも溢れている。ツイッターのタイムラインでは投稿がストックされずにフローしていき、インスタグラムのストーリーは24時間で自動消滅する。こうした状況下で、多少時間が経っても価値が薄れない良質のコンテンツを積み重ねていこう、と提唱するのが宇野常寛の『遅いインターネット』(幻冬舎)だ。

 例えば、インターネット普及以前であれば、気になる作家がいたらまずは書籍を手にとっていたはずが、今ではツイッターで作家のアカウントをフォローし、ウィキペディアを閲覧するだけで満足してしまう。そんな覚えがあるのは筆者だけではあるまい。

advertisement

 本書のもうひとつの要諦を成すのは、テレビや映画等の「他人の物語」に感情移入するよりも、「自分の物語」を生産的に語ることの重要性である。著者は、インターネットが全人類に与えた発信能力は、「自分の物語」を語る快楽を、より簡易にし、そして圧倒的に増大した、と指摘する。評者はツイッターの質問箱を連想したが、「自分の物語」を語りたいという欲望の発露は様々な局面で見つけることができる。

 だが、そうした投稿の多くは、驚くように一様であり、かなりの割合で情報の内容に対する検証を欠き、タイムラインの潮目を読んだだけの表層的な内容に留まっている。にもかかわらず、彼らは世界に素手で触れているかのような錯覚に陥っている。そう宇野氏は言う。

 そこで宇野氏は、発信する主体の理想的なヴィジョンを提言する。それも、読むことから書くことを覚えるのではなく、書くことから読むことを覚えた世代への提言である。無論、書くためには読むことの訓練が必要であり、「他人の物語」を受信した人々はそれを精査/吟味/検証を重ねつつ解釈して、「自分の物語」として再発信すべきだ。自分なりの発信とは、最初から想定している結論に帰着するのではなく、あくまでも考えることそのものを楽しむ行為だ。そう宇野氏は言う。

 宇野氏はスポーツを例に挙げてこう説明する。「他人の物語」を享受するスポーツ観戦から、ランニングやヨガに代表されるライフスタイルスポーツの実践への流行の推移は、「自分の物語」を語るスポーツへと関心が移行したことを意味する。そして、今ここで自分の物語を編み直す力を蓄えなければ、結局人間はインターネットの速さに流されてしまう。自分で考える力を失い、自立することができなくなるのだ、と。

 重要なのは報道(「=競技スポーツ」)を観ることではない。与えられた他人の物語を批評(=「ライススタイルスポーツ」)し、自分の物語として編み直すこと、つまりは自分の足で走ることだ。ランニングを実践している宇野氏はそう結論を記している。まもなく開催されるオリンピックではどのようにして人々は「自分の物語」を編み直すのか。本書はそれを考えるきっかけにもなるはずだ。

文=土佐有明