「子どもをあきらめたあとがつらかった」子どものいない女性のリアル人生ストーリー/『子どものいない女性の生き方』④

暮らし

公開日:2020/3/23

知人の子どもの写真入り年賀状を見て嫌な気持ちになるのは私だけ? 子どもをあきらめた先にはどんな未来があるの? 多様性の理念が浸透しつつある社会で、理想の家族像は旧態依然としている現代。子どものいない女性300人以上に話を聞いた『誰も教えてくれなかった子どものいない女性の生き方』(くどうみやこ/主婦の友社)から、全6回のエピソードをご紹介します。

『誰も教えてくれなかった子どものいない女性の生き方』(くどうみやこ/主婦の友社)

子どものいない女性のリアル人生ストーリー①

引きこもりからの脱却で視野が広がり上向きに

小林理恵さん(仮名)41歳・既婚・専業主婦

「子どもをあきらめたあとのほうがつらかったです」
 30歳のときに1つ上の夫と結婚して、32歳から病院に通い始めました。タイミング法から始め、人工授精を5回、体外受精を2回しましたが、一度も妊娠反応はなく……。夫婦共に検査をしましたが、原因不明の不妊でした。体外受精を始めたときから注射や薬などの副作用で体調をくずし、ずっと頭痛が続いていました。その頃から、いい結果が出ないので気持ちは沈みがちでしたね。凍結した受精卵を使いきり、お金の問題もあったので、夫婦で話し合って約5年続けた不妊治療をやめることにしました。

 病院に行かなくなってから半年くらいは家に引きこもっていました。結婚して北海道から神奈川に引っ越してきたので周りに知り合いがいなくて、仕事もしていなかったので、余計に一人で考え込んでしまって。子どもがいないなら、これからどうしよう、何かをしなきゃと、すごく焦っていました。自分の存在意義がないんじゃないかと思うようになり、どんどん気持ちが病んできて、心療内科に行こうかなと考えたりもしていました。だけど、悩んでばかりいる状況にもだんだん疲れてきて。泣いたりするのも結構体力がいるじゃないですか。すでに双方の両親には子どもをあきらめたことは話していましたが、夫の実家に行こうと私から提案しました。

「二人の問題だから、二人で仲良く生きていけばいいじゃない」
 夫の両親はそう言ってくれました。いろいろ心配してくれて言いたいこともあったと思いますが、私たちがいやな思いをしないように気を遣い、遠くから見守ってくれていた両親でした。北海道に帰って、直接会って話をしたことで、子どものことにひと区切りがつき、戻ってから仕事を始めました。結婚前に就いていた介護福祉士の仕事を週2〜3回。職場の人に最初は「子どもは?」と聞かれたけれど、不妊治療をして授からなかったことを話しました。子どものことは聞かれたら隠さずに言います。話したほうがラクだし、悪いことをしているわけではないので。働き始めて、少しずつ気持ちは上向きになっていきました。

 結婚当初は、子どもができるかもと思っていたので、夫がずっとバイクに乗りたいと言っていたのですが、やんわりと断っていました。でも、今後のことを話しているうちにバイクも悪くないと思い、購入を決意。夫は私が落ち込んで家にこもりがちだった様子を見て、外に連れ出したいと思っていたようです。それから、休日にバイクで出かけるようになりました。そんなある日、二人でバイクに乗っていたら突然、右折の車が突っ込んできたのです。私は衝撃で5m前方に飛び、肋骨と恥骨、腰の骨が折れました。夫は右ひじの脱臼骨折と靭帯断裂。二人とも入院して、退院後はリハビリ生活。せっかく仕事を始めたのに、ケガでやめなきゃならない。かなり気持ちがやさぐれました。

 まだケガで体が思うように動けない頃でしたが、ネットで「子どものいない女性の会」が開催されることを知りました。日程は1カ月後。事故に遭って間もないけれど、回復したら行けるかな、もし無理だったらキャンセルしよう、とにかく何か楽しみや目標が欲しいと参加の申し込みをしました。1カ月後、まだ完治はしていなかったけれど、なんとか参加することができました。会の中で子どもをあきらめた経緯などを話したのですが、当時の気持ちがよみがえってしまったようで、帰りにずーんとまた落ち込んでしまって……。バイク事故が衝撃的すぎて、子どもがいなくてつらかったことを忘れていた部分があったのに、なんだか引き戻されたようで沈んでしまいました。

 そのときは自分のことを話すのが精一杯で、ほかの参加者の話が入ってこないというか、周りの話を聞ける余裕がありませんでした。家に帰ってきて、気持ちが沈むのは思いがちゃんと浄化しきれていないからだと感じて、3カ月後に再び参加。今度は周りの話も聞けました。自分がつらかったときは、自分だけがつらいと思っていたけれど、私だけではないんだと気づきました。事情が異なるそれぞれの話を聞いていくと、いろいろな考え方があることを知り、何度か会に参加するうちに冷静に聞けるようになりました。

 体外受精を始めた頃から、誰にも言えない思いを吐き出し、気持ちを整理するために日記を書いていました。今読んだら自分でも笑えるくらい、病んでいてヤバい(笑)。その頃はよくネットで不妊に関する記事やそれに対するコメントを見て、落ち込んでいました。見なければいいのだけれど時間もあるし、つい見てしまう。マイナス思考をプラスに変えるといった内容の本もたくさん読んだのですが、気持ちはなかなか晴れなかったですね。妊婦さんや子連れの家族を見たくなくて、外に行っても下を向いて歩いていました。そのうち、気持ちを変えようと思っても行動に移さないと何も変わらない、思っているだけではなくて何か行動しようと。その第一歩が「子どものいない女性の会」に参加することでした。

 一人で考えていたときは、自分の中でグルグルと回っていて視野も狭かった。夫には何でも話せますが、子どものことは割りきっている感じだったので、少し孤独感もあったのかな。私の場合は、同じ立場の人に話したことで少しずつ気持ちの整理がついたし、いろいろな話を聞いて視野が広くなったと思います。参加を重ねるごとに自覚できるくらい変わっていって、夫にも明るくなったと言われました。

 それから、バイク事故を経験したことで、打ちどころが悪かったら死んでいたかもしれない、明日の命はわからないから今を大事にしなきゃと思えたのは大きかったですね。事故から1年後、リハビリをして元気になったら買おうと決めていた新しいバイクを購入。今度は安定感があって長時間乗っても疲れにくい、1000㏄の大型。この前は千葉県の房総半島を一周。来月は福島から新潟まで、これまでで一番の遠出をする予定。月一ペースでツーリングを楽しんでいます。

 不妊治療をやめて3年。まだ気持ちの波はあったりしますが、子どものいない人生を受け入れつつあります。つらい気持ちからはひと通り抜け出したので、今は人の役に立ちたいと思っています。先日、不妊治療の末に子どもをあきらめた夫婦としてメディアの取材を受けました。最初は夫婦で顔出しをすることにちゅうちょしましたが、別に悪いことをしているわけではない。私たち夫婦の生き方を知ってもらうことで、誰かのお役に立てたり、気持ちが軽くなったりする人がいるならと引き受けることにしました。見てくれた友人や親戚からは、よかったと感想をもらいました。これからは“二人で楽しく生きる”をテーマに、子どものいない人生を歩んでいきます。

<第5回に続く>