姦通罪に問われ切腹を言い渡されたが…「痛えからいやだ」!? 時は幕末、社会からのドロップアウトを決めた主人公を描く、浅田次郎のユニークな一作!

文芸・カルチャー

公開日:2020/3/29

『流人道中記』(浅田次郎/中央公論新社)

 時は幕末。「桜田門外の変」はすでに起こってしまい、徳川政権瓦解まで残された時間はあと十年足らず。そんな時代を舞台にした痛快時代小説がまた一つ誕生した。

 著者はエンターテインメント小説の王様・浅田次郎だ。

 浅田さんなら幕末の動乱を描くにとどまらないだろう、と思ったあなた。

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 大正解! 本作『流人道中記』(中央公論新社)は浅田節炸裂の、とびきりユニークな一作なのだ。

 主人公の青山玄蕃は大身の旗本だが、姦通罪に問われ切腹を申し付けられた。不義密通でお咎めを受けるなど武門の恥。従容としてお裁きに従い、せめてもの面目を保つのが武士の本懐であるべきところを、なんとこの男「痛えからいやだ」と断ってしまう。

 普通は絶対に許されない、怯懦の極みともいえる言い草だが、玄蕃は家康公の世にまで遡れる名家の出身だったがために話がややこしくなった。自裁しないなら打ち首に、と短絡できないのが江戸の身分制度だ。家名の重さゆえ、軽々しい処刑はできないのである。

 結局、幕閣のお歴々がウンウン唸ってひねり出した妙案が「御家取り潰しの上、蝦夷松前藩への大名預かり」、つまり北海道への重追放処分だった。今でこそ北海道はみんなのあこがれの土地だが、まだ開拓が始まる前の蝦夷地は江戸者にとって未知の魔境だ。よって、蝦夷地追放は死罪と釣り合うほどの重い刑とみなされたのである。

 そんな玄蕃を津軽半島最北端の三厩(現在の青森県外ヶ浜町)まで押送する役目に選ばれたのが、石川家の婿養子にして19歳の見習い与力である乙次郎だった。

 お役大事の乙次郎は嫌々ながらも命を受けるが、明日出立せよとの無茶ぶりに気持ちは凹む。おまけに義理の両親には「罪人の護送など職分に釣り合わぬ卑しい務め、それもお前の出自が低いせい」と泣かれる始末。

 完全に落ち込んだ状態で初対面した玄蕃ときたら、まるっきり反省の色もなにもない横柄な男だったから、もう救われない。さらに、旅は初手からハプニングの連続で、乙次郎と同役の与力がお役目を嫌って遁走したかと思うと、泊まる宿場では毎度予想外の騒動に巻き込まれてしまう。

 なんでこんな目に遭わなきゃならないのか。ストレスフルな道中にハイティーンの懊悩はいや増すばかりで、終いには玄蕃を切って捨てようとまで思い悩むのだが……。

 幕末を描く時代小説の多くは、歴史上に名を残した人物や時代を変えた事件を題材にしている。だが、著者が本作で主人公に据えたのは、早々に社会からのドロップアウトを決め込んだ、いわば名を残すことを拒んだ男だった。

 神経質で真面目一辺倒の乙次郎は、奔放で型破りな振る舞いをする玄蕃を理解できず、初めは憎みさえする。けれども、騒動のたびに知恵と人情味に溢れる采配を振るう様を目の当たりにし、少しずつ己の了見の狭さに気づいていく。世のお定めの理不尽さにも。そして、ラストに明かされる玄蕃の“罪と罰”。

なぜか玄蕃の目には、世の中の隅々までが見えているような気がするのです

 封建社会に首まで浸かっている登場人物たちだが、新時代遠からぬことを感じさせる場面もちらほら描かれている。著者は、傑物・玄蕃の生き様を描くことで、武士の社会が終焉に向かった理由に迫ろうとしたのだろう。それゆえに、同じく時代の変革期に生きる私たちにも重く感じられる問いかけが繰り返される。武士版弥次喜多道中に泣き笑いしつつ、読み終わったら自分の底がちょっとだけ深くなった気がする。そんな素敵な物語だ。

文=門賀美央子