正反対の性格に見える光秀と秀吉。でも、意外と仲は良かった?/『誤解だらけの明智光秀』⑥

文芸・カルチャー

公開日:2020/4/16

歴史は時としてウソをつく。「そんなバカな」と思う人こそ、要チェック!2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公に抜擢されて、大注目の明智光秀。東京大学史料編纂所で歴史研究に勤しむ本郷和人教授が明智光秀が生きた戦国時代の“リアル”を愉快に解説します!

『誤解だらけの明智光秀』(本郷和人/マガジンハウス)

光秀と秀吉は、実は仲が良かった?

 光秀と秀吉は、どんな関係だったのでしょう?

 まじめでクール、武将としての力もあるけれど、かなり教養の高い文化人としての側面も持つ光秀。

 非常に優秀な武将ではあるが、あまり教養がなくお調子者の愛されキャラの秀吉。

 二人のタイプは非常に対照的で、一見すると、あまり気の合う仲とはいえない気もします。

 ただ、秀吉が播磨で味方の裏切りにあって苦戦していたとき、光秀が助けに行ったことがありました。播磨と丹波は隣同士ですから、二人が連携し、助け合いながら播磨と丹波の平定を成功させたのは確かでしょう。

 また、秀吉にはこんなエピソードもあります。

 柴田勝家が上杉謙信との戦を展開しているとき、信長は秀吉に「勝家のところへ応援に行ってこい」と命じました。ところが、指揮権は柴田勝家に与えられていたため、「おまえの指揮でなんか戦えるか!」と柴田勝家と大喧嘩をして帰ってきちゃった、というのです。これは明らかに軍令違反ですから、本来なら首をはねられる可能性だってあります。それでも、秀吉はガマンできずに帰ってしまったわけです。

 だとすれば、秀吉はガマンが苦手な性格です。ケンカもせずに光秀と連携して戦っていたなら、それほど嫌いではなかった、どちらかといえば仲は良かった、と考えたほうが自然です。

柴田勝家とケンカして帰ってくるほど秀吉は短気。
光秀と連携して戦っていたということは、仲は悪くなかったはず。

続きは本書でお楽しみください。