直木賞と本屋大賞W受賞なるか!? 文明という理不尽な圧力に立ち向かう熱い人間を描いた『熱源』

文芸・カルチャー

更新日:2020/4/14

『熱源』川越宗一
『熱源』(川越宗一/文藝春秋)

 極寒の地を舞台にした熱い小説が話題となっている。『熱源』(川越宗一/文藝春秋)は、著者の書き下ろし長編の2作目にして第162回直木賞を受賞し、さらに今週発表される2020年本屋大賞にもノミネートされている。
 
 本作の物語は、ある女性が民族学の古い資料として保管されていたレコードを聴くシーンで幕を開ける。記録されていたのはおそらくサハリン・アイヌの歌と琴の演奏。そして、原住民がロシア語で語る「私たちは滅びゆく民と言われることがあります」という言葉。彼女は想像する、「録音された時代、彼らは幸せだったのだろうか?」と。読み手の心も、ここで一気に想像の中へと引き込まれる。

 本作の主人公のひとりは、アイヌであるヤヨマネクフ。樺太(サハリン)に生まれたものの明治維新期の開拓によって故郷を奪われ、北海道に集団移住を強いられる。だが、感染症の流行で妻を亡くし、山辺安之助と名前を変えるが再び樺太に戻ることを決意する。彼はやがてアイヌの子どもたち、さらにアイヌの自立を助けるための学校設立に尽力するようになる。

 もうひとりの主人公、ブロニスワフ・ピウスツキは、ほぼ同時代にリトアニアで生まれた。ロシア政府の同化政策により、母語であるポーランド語を話すことすら許されなかった彼は、意図せず皇帝暗殺計画に巻き込まれ、捕らえられてサハリンへ流刑となる。長い懲役刑期の中でサハリンの原住民と交流した彼は、現地の生活文化や言葉を記録し続けることで自らの精神を保ち、やがてその記録は民族学資料として高く評価されることになる。

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 どちらも実在したという主人公たちはいわば、日本人にされそうになったアイヌと、ロシア人にされそうになったポーランド人だ。想像を絶するような過酷で暗澹とした日々が続く状況下で、日本政府とロシア政府、さらに「文明」という大きな圧力に押し潰されそうになりながら、自分自身のアイデンティティを掴み取ろうとひたすらもがき、歯を食いしばりながら一歩一歩進んでいく。

 和人(日本人)からもロシア人からも未開人だと差別され、「いずれ滅びゆく民」だと語られたアイヌ。だが、ヤヨマネクフは「アイヌという言葉は、人という意味だ」と強く語る。一方、ロシアという圧倒的勢力に飲み込まれそうになっていたポーランド出身のピウスツキは、「西洋文明こそ偉大であり、文明化が人類を高尚なものにする」という考えに、大いなる違和感と葛藤を抱くようになる。

 自らのアイデンティティを必死に掴み取ろうとする彼らは樺太で出会い、そしてその運命が交差する――。凍えるような環境下にあっても彼らを動かす“熱”は自身の中にあり、その熱と熱との邂逅によって、新しい熱の環が生まれていくのだ。冒頭に挙げた“ある女性”もまたこの熱に取り込まれていくことになる。

 彼ら主人公だけでなく、登場する人物たちはいずれも非常に不器用で、だからこそその言葉は温かくてユーモラスだ。

 さらに、主人公ふたりのモデルが実在した人物であることだけでなく、この物語には数多くの著名な人物も登場する。南極到達を目指した探検家の白瀬矗、日本語研究の第一人者として知られる金田一京助、明治と大正の2期に首相を務めた大隈重信、近代小説の開祖と呼ばれロシア文学にも造詣が深かった二葉亭四迷…、彼らがこの壮大なストーリーのどんなシーンで現れ、主人公にどんな影響を与えるのか。美しく丹念に編み込まれたこれらの人間関係を読み進めていくことも、興味の途切れない読みどころだろう。

「この本を薦めたい!」という人が後を絶たない

 本作は歴史小説のかたちを取りながら、そこに描かれている主人公の葛藤や熱望は、現代の私たちにも深く通じるものばかりだ。ネット上でもその反響は後を絶たず、「美しい風景では、感動で目をみはり、凄惨な暴力場面では、痛々しくて目をつむってしまった。すばらしい描写に心が震える。それでいて、ユーモアも感じる不思議」「北の大地と胸の『熱さ』というコントラストが美しい」「登場人物たちの“熱”に、読了後にはこみ上げるものがありました」など、タイトルにある「熱源」に触れる人が多くいる。

 歴史という時間軸、また東西の文化という地勢軸という、縦糸と横糸によって織り込まれた本作の“熱”を、ぜひ多くの人に受け取ってもらいたい。

文=田坂文

気になる本屋大賞発表は2020年4月7日(火)!
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