「感謝離」――愛する人との別れを乗り越え、前に進む力となる遺品の手放し方
公開日:2020/4/15
「感謝離(かんしゃり)」という言葉をご存じだろうか? 「愛する人の遺品に“感謝”してからお別れすること」を意味するこの言葉は、妻を喪ったある男性が2019年5月に『朝日新聞』に寄せた1通の投稿から生まれ、今もじわじわと多くの人の共感を得て広まっているという。このほど、元となった投稿の主である河崎啓一さん(90)がそうした境地に至るまでのご自身を綴った『感謝離 ずっと一緒に』(双葉社)が発売された。
「妻が3月に亡くなった。世帯をもって62年、かけがえのないパートナーであった」の一文で始まる投稿は、本書の冒頭で紹介されている。いくら「断捨離」(執着を捨て不要なモノを減らすこと)しようとしても、愛する人との思い出の品々はなかなか手放せない。日々逡巡を繰り返す中、ある日、妻の肌着を整理する河崎さんの心に浮かんだのはモノへの感謝の気持ちだった。「妻の肌を守り、身を飾った衣装たちに『ありがとう』と一つ一つ頭を下げながら袋に移していった」河崎さんは、そのことを「感謝離」と名付けた。そして、長年の使用ですっかりくたびれているそれらをあらためて見つめ、「私が天国に行ったら一緒に新しいのを買いに行こう。新陳代謝だ。ああ、これは『代謝離』だ」と心を弾ませるのだ。そんな河崎さんの前向きな姿は多くの人の心を明るくした。そして「断捨離」の提唱者であるやましたひでこさんをはじめ、全国の津々浦々から大きな反響が寄せられ、本書が生まれる原動力となったのだ。
本書には1929年に生まれた河崎さん自身の生い立ちから、最愛の妻・和子さんとの出会い、がむしゃらに働いた銀行員時代、定年後の安らぎのひと時――そうしたいくつもの時間の「温もり」が飾らない言葉で丁寧に綴られる。だが、まだまだ幸せな老後を楽しむはずだったお二人の時間は、2011年の年末から大きく様変わりする。和子さんが脳梗塞に倒れ入院生活となってしまったのだ。「妻と一緒にいたい」と願う河崎さんは、自宅マンションをなんとか維持しつつ、二人で暮らせる介護付きの老人ホームに入所。家に帰りたがる和子さんをなだめながら、できる限り心豊かに暮らそうと、妻の喜ぶ姿を支えに奮闘する河崎さんだったが、残念ながら和子さんは先に旅立ってしまわれた。
そうしたお二人の物語をじっくり共有するからだろう。私たちは河崎さんの悲しみに自然に心を合わせ、それでも寂しさに区切りをつけ「感謝離」「代謝離」で未来に歩み出していこうとする姿に素直な祝福を送りたくなる。おそらく同じような経験をされた方であれば、河崎さんの姿に自身を重ねて勇気づけられることもあるだろう。河崎さんは「無理はしなくていい」と言う。でも、それで身動きできずに立ちすくんでしまっているのなら「あなたと、あなたの大切な人との間に流れた素晴らしい時間を思い出してほしい」「その出会いの奇跡に感謝して、遺品を手放す。手放すことで前を向いて生きられる」とメッセージをおくるのだ。
亡くなった人は「思い出してもらえると喜ぶ」と聞いたことがある。モノである遺品に「感謝」してさよならすることは、実は故人そのものを思い出し、あらためて「感謝」を伝えることでもあるのだろう。
翻って周りを見回して、自分は大事な人とそんな「ありがとう」にあふれたあたたかい関係を築けているのだろうか、ふとそんなことも考える。今という時を、そばにいてくれる人を、もっともっと大事にしていきたくなる1冊だ。
文=荒井理恵