意識だけで家電を動かせる便利な近未来…でも朝はやっぱり戦争/“キッチン・ローダー”『7分間SF』④

文芸・カルチャー

公開日:2020/4/28

辺境の惑星で調査隊が出会った食料資源“カツブシ岩”の正体とは? 思わずあっと驚く結末が今度もあなたを待ち受ける!1話7分で読めていつでもどこでも楽しめる、人気のSF作品集。

『7分間SF』(草上仁/早川書房)

キッチン・ローダー

ただでさえ忙しい朝。息子の世話で家はまさに戦場に……。

 朝は、いつも戦争だ。

 まず、目覚ましのアラームが、頭の中で鳴り響く。その痛がゆい響きは、頭を垂直に起こすまで止まない。

 時計が頭蓋骨の外にあるなら、床に叩きつけてでも止めたい音色だ。しかし、それはできない。時計があるのは頭の中だから、叩きつけたら痛い思いをするのはわたしだ。さらにつけ加えれば、それはただのプログラムで、形のあるものじゃない。

 あーあ、まったく。

 メルマガの付録の目覚ましフリーソフトなんか、脳味噌にインストールするんじゃなかった。今晩、忘れずにアンインストールしておかなくちゃ。

 でも、今は、そうも言っていられない。プログラムの出来がどうあれ、今、七時半なのは事実なんだし、戦闘開始のベルが鳴ったら、主婦はただちに戦闘態勢を取らなければならない。家事も仕事も、そして子供も、待ってなんかくれないのだ。

 わたしは、ベッドの上で身を起こした。いまいましい脳内アラームは、ソフトの付属テキストに書いてあったとおり、ちゃんと止まった。

 おそるおそる横の小さなベッドに目をやる。さいわい、カケルはまだすやすやと寝息を立てている。よしよし。子供を起こしてしまわないのは内部目覚ましの唯一の利点だ。

 ベッドの横のプレートに手を当てて、このマンションの集中管理機構にアクセスする。えーと、ログによると、特に変わったことは起きていないようだ。あたりまえだ。手のかかる子供と、手のかかる仕事と、手のかかる家事、おまけに、手のかかる元夫まで抱え込んだうえに、他に何か起こったら、たまったもんじゃない。

 手のかかる、元夫──。ヤツのことを考えると、そのあたりのものを手当たり次第にぶちこわしたくなる。本質的には、悪い男じゃないんだけど、わたしとは趣味が合わない。特に、セックスの趣味が──。おしゃぶりをくわえて、右手に哺乳瓶、左手にガラガラを握りしめたまま、オムツを替えてもらうのが趣味なんて男に、つきあえる女が、いるだろうか。まあ、広い世の中には、いるのかもしれない。たとえば──。

 わたしは、迷走し始める思考に、ストップをかけた。今は、元夫に妻わせるべき女性について検討している場合じゃない。

 そのかわりに、まず、電気炊飯器に意識をロードした。すうっとトンネルをくぐり抜けるような感覚があったかと思うと、わたしは、白く熱い荒野に立っていた。さて、今のわたしは、蒸気渦巻く荒野を覆う炊飯器だ。白い地平線であり、銀色のスカイラインであり、同時に、内部センサーの目を通して、でこぼこしたコシヒカリの地表を眺める神の目でもある。神様のお腹の具合からすると、炊きあがったご飯はちょうど二合。わたしは、ねばつく地表に跪いて、かに穴を確かめた。ちょっとひっくり返しておこうか。お腹に力を入れると、炊飯器のバイブレーション・プレートが作動して、荒野に地震が起こった。底のほうから、おこげがぐぐっと隆起してきて、いい匂いの湯気が吹き出す。これでよし。

 続いて、電子化された意識を、三つ口レンジにトランスファーした。これはまた、別の場所、別の視点だ。頭上を圧する丸い金属の天井に向かって、カチッと歯を噛み合わせ、ガスバーナーの一つを点火する。口から火を吐き出したついでに、舌でお鍋の底を嘗めてみる。うーん、ちょっとすすけてるみたい。今夜、洗っておかないと。

 口をすぼめてバーナーの炎を少し絞ってから、レンジから出て、冷蔵庫と振動カッターに潜りこむ。右手が、冷蔵庫の搬送バケット、左手がタングステンの振動ビットに変わった。わたしは、乾燥ワカメを素早くボウルに搬送するとともに、豆腐を賽の目に切った。それが済んだら、ちょっと水道制御チップに寄り道する。左手首にひねりを利かせて、ワカメのボウルにぬるま湯を満たした。ここで、天才的な思いつきが浮かんだ。ものはついでだ。カケルの離乳食ペーストも、同じボウルで温めてしまおう。冷蔵庫に意識を戻し、右手の搬送バケットで、ピーナツバター・アンド・ベジタブル(げーっ)を取り出し、ボウルに放りこむ。冷蔵庫のセンサー制御ソフトをバージョンアップしてないから、バーコードを読むのが一苦労だ。なんとなく目がかすんでる感じ。これも、今晩なんとかしなくちゃいけないことの一つだ。最後にコーヒーメーカーに入って、コーヒー豆を吸いこみ、噛み砕き、それから蒸気でうがいをする。

 これで、朝食の下準備が完了。わたしは、ほっと一息つく暇もなく、ウルトラ・パラレルバスに駆けこんだ。ベージュ色をしたつるつるのレーンを抜けると、色とりどりのネオンに照らされたドームみたいなところに出る。ここは、コムマシンのコントロール・スペースだ。わたしは、ドームの内壁に目を走らせて、新聞と受信メールをチェックした。

 新聞はメモリ域に蓄えておき、メールは一通り、意識野に流しこむ。わたしの意識は、コムマシンのフリー・エリアにロードされているから、時間はかからない。電子のざわめきが、ちょっとアドレスを変えるだけ。予想どおり、ろくなメールはない。住宅ローンの口座確認に、新型のローダブル自転車の売りこみ、返信メール代だけで大金持ちになる気はないかという、素晴らしく寛大なご提案。お次が、上司からの督促。

「例の企画書、もうできあがったんだろうね? わかってると思うが、急いでるんだ。毎朝、託児所に寄らなくちゃいけないから、君も大変だろうけど、もし、また、出社が遅れるようなら、わたしが見に行ってもいいから──」

 はいはい、わかりました。わざわざメッセージを入れてくれなくても、わかってますって。まったく、小心で潔癖性でせっかちなボスなんだから。

 そして、最後の仕上げが、おなじみ、『心の友』からのお知らせ。

「僕は、あなたの心の闇を知っている。その闇を、僕の光で満たしたいと思う。空虚なあなたの部屋に、ともにありたいと思う。ああ、それを許してくれたら。君の身の回りを、僕は火花となって飛び回り──」

 続きを読むのはやめた。わたしは、彼に満たされたいとは思わないし、ともにありたいとすら思わない。何であれ、許すつもりなど毛頭ない。メールアドレスに小細工が施してあっても、誰のしわざかわかっているのだ。つまり、おしゃぶりが大好きな元夫。ネットワークの専門家であるヤツは、ここしばらく、わたしのドメインへの侵入を試みている。メールぐらいなら害はないけど、この前は浴室のセンサーに侵入の痕跡が残っていた。ヤツのストーキングも、だんだんエスカレートしている。そろそろ、法的手段に訴える潮時かも。

 でも、今は、かまっちゃいられない。

 わたしは、くずメールをまとめて壁からひき剥がして、ドームの床に投げ捨てた。それから意識をコムマシンから引き上げ、もとのところに戻した。そう、わたしの身体はまだ、寝室のベッドの上だ。家事にかけずり回ってたのは、ネットワークをめぐるわたしの意識だけ。

 妙なものだ。

 昔は、意識を自分の外の何かにロードするなんて、とんでもなく恐ろしいことのような気がしたのに、今では、すっかり慣れてしまった。

 実際には、たいした危険もない。

 ロードした先にバグがあったり、意識を置いた機器が壊れてしまったりしても、もとの意識は保護される。ほんとうに、脳味噌から意識が流れ出してしまったわけではなくて、意識のコピーが、ネットワークを駆け、あちこちのメモリに移されるだけなのだ。複数の意識を同時に保持すると、自己同一性障害に陥る恐れがあるから、ロード中は、生体側の意識をブロックしておくだけのこと。転送がうまくいけば、コピーされ、いろいろと経験を積んだ意識が、生体脳に戻ってくる。これを、セーブだとか、リロードだとか呼ぶ。もし、復帰に失敗したとしても、少しばかりの記憶が消えてしまうだけだ。記憶喪失や意識時差は、あまり望ましいことではないけれど、別に死んでしまうわけではない。今のネットワークは、フェイル・セーフになっているのだ。

 どうしてネットワークや機器に意識をロードするようになったか、いろんな評論家が、いろんな説を唱えている。わたしは、結局のところ、人間の学習能力に限界があったからだと思う。

 IoTだの、超ネットワーク時代だのと言われて、あらゆる設備がネットに接続されて、あらゆる情報が、ケーブルを駆けめぐるようになっても、人間の基本能力が、さほど進化したわけではなかった。

 さまざまなオペレーティング・システムが、気が遠くなるほど複雑な通信プロトコルやファイル・システムをサポートするようになった。オペレーティング・システムを操作するのは人間だ。いくら、ユーザーインターフェースをフレンドリーにしたところで、多機能化し、肥大したシステムの操作方法を学ぶのは、簡単ではなかった。

 コンピューターを扱うのは自転車に乗るよりも難しいと言われた時代に、大多数の高齢者が脱落した。

 車の運転よりも難しいとなると、中年層の何割かが、手も足も出なくなった。

 それが、すぐに、飛行機の操縦並になった時、無視できない数の情報難民が発生した。

 あれよあれよという間に、すべての日常的な営みが、ネットに組みこまれるようになっていく一方で、間違いなく情報を操作し、機器を使いこなす能力は、一般大衆の手の届かない高みに昇ってしまったのだ。

 それはそうだろう。キーボードとマウスの時代でも、コンピューターが苦手という人が、ほとんどだったのだ。その後、複雑で馬鹿でかいシステムを操作するために、デバイスは長足の進歩を遂げた。データグローブ、3Dポインタ、アイ・セレクション。情報はマルチメディア化し、立体化し、情緒複合化し、論理ウェーブ化した。

 システムが進化するたびに、一般大衆は、変化する操作方法をマスターしなければならなくなった。その結果は、目の前にあった。

『そんなことが、できるわけはない』

 ごく一部の情報オタク、頭の中に機械命令を詰めこんだ無表情な新人類たちを除いて。

 で、情報処理は、心理学と生態学の手に委ねられた。機械が操作できないなら、機械を乗っ取ってしまえばいい。ネットワークが難しいというのなら、意識ごと、その中に入ってしまえばいい。人間は、自分の身体を動かすのは得意だし、五感で捉えられる事物を操作するのは、難しいことじゃない。

 そんなわけで、少しずつ、徐々に、ネットワークは人間の意識を受け入れるようになり、人類はふたたび、世界を支配し、自由自在に環境を破壊する立場に返り咲いた。

 わたしたちは、だから車を手足のように操るし、引き出しをひっくり返してなくしたメモを探すみたいに、情報を検索する。財布から貨幣を取り出す調子で、電子送金を行う。遠隔地からでも、風呂の湯加減を触って確かめ、スープの味見をすることができる。複雑な自動運転メカニズムや、情報検索メソッド、電子商取引インターフェース、温度解析プログラムや味覚センサー分析法を覚える必要はない。なんたって、そこに意識があるんだから。

 これなら、じいちゃんばあちゃんでも、時代に乗り遅れずにすむ、というわけだった。まあ、いろいろ不都合が出てこないわけでもないけれど──。

<第5回に続く>