沢木耕太郎の「夢の旅」はダーツの旅?/『旅のつばくろ』①

文芸・カルチャー

更新日:2020/5/5

不朽の名作『深夜特急(新潮文庫)』(新潮社)が旅のバイブルと称される、作家・沢木耕太郎氏。JR東日本の新幹線車内誌「トランヴェール」で好評連載していた「国内旅エッセイ」が『旅のつばくろ』(新潮社)として単行本化。その中から全4回で極上のエッセイを連載します。

『旅のつばくろ』(沢木耕太郎/新潮社)

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夢の旅

 ある時期までの日本では、ハワイへの旅が「夢の旅」の代名詞になっていた。私も少年時代、テレビの番組で「クイズを当てて夢のハワイに行きましょう」という司会者の言葉を何の違和感もなく受け止めていた記憶がある。

 現代では、たとえどんなに遠くであっても行って行かれないことはなくなってきたという意味において、「夢の旅」というものが存在しにくくなっているように思える。

 とすれば、現代の「夢の旅」は空間ではなく、時間を超えた旅、過去への旅ということになるのだろうか。

 かつて私の「夢の旅」は、ヴェトナム戦争時のサイゴンと、一九三〇年代のベルリンと、昭和十年代の上海に長期滞在する、というものだった。どの街も爛熟した妖しい雰囲気を持った土地のように思えたからだが、もちろんタイムマシーンにでも乗らなければ行くことはできない。その意味で、まさに正真正銘の「夢の旅」だったのだ。

 しかし、もう少し現実的な「夢の旅」がないわけではない。

 いつだったか、偶然つけたテレビで、壁に貼った日本地図に向かってダーツを投げ、突き刺さったところに取材に向かうという番組を放送していた。それを見た瞬間、これぞ私にとっての「夢の旅」だと思った。

 私は旅をするとき、出発する前にどこをどう回るかなどということを事細かく調べたりしない。多くの場合、乗る飛行機や列車がかなりいい加減なら、泊まるホテルも行き当たりばったりだったりする。

 そんな私でも、さすがに目的地を決めないで旅をすることはない。いつだったか、井上陽水と話をしていて、成田空港に着いてから、さあ、どこに行こうか考えることがあると聞いて驚愕した覚えがある。もっとも、そんなことをするには、ノーマル運賃の航空券を難無く買える資力が必要だが、たとえその資力があっても、私にはできないかもしれない。やはり、目的地を決めてから、成田空港に行き、あるいは東京駅に向かうだろう。だから、私の眼には、ダーツを投げて、突き刺さったところに行くというのが実に魅力的に映ったのだ。しかし、魅力的だが、なかなか実行できるものではない。

 

 ところが、あるとき、ほとんどそれに近い旅をすることになった。

 私は四人の元ボクサーが主人公の小説を書いていて、そのひとりの出身地をどこにしようかと考えながら日本地図を眺めていた。どこでもよかったのだが、北海道から東北、関東と地図を眺めているうちに、ふっと眼に留まった地名がある。

  遊佐

 山形県の日本海に面したところにある町だ。

 私の眼に留まった理由は二つある。ひとつは、何と言ってもその字が美しいことである。軽やかで楽しげでスマートだ。もうひとつは、かつて私が一九三六年のベルリン・オリンピックについて調べたとき、日本選手団の中に、この珍しい字を姓に持った人が二人もいて強く印象に残っていたということがあった。水泳選手の遊佐正憲(まさのり)と馬術監督だった遊佐幸平の二人である。

 人の姓ではユサであるのに対し、山形の町はユザと発音するらしい。どちらにしても、小説の登場人物の出身地としては悪くないところのような気がする。そこで私はその登場人物の出身地を遊佐とすることにした。まさに投げたダーツが突き刺さったところに行くというのと大して変わらない選び方で、登場人物の出身地を選んでしまったのだ。

 だが、そう決めたあとで、この遊佐がどのような町なのかということが気になりはじめた。行ってみないことには、どういう町なのかわからない。仮にその町の描写が出てこなくても、実際に知っているのと知らないのとでは大きな違いが生まれてしまう。

 そこで、春のある日、その遊佐に行ってみることにした。

 泊まったのは、現地の方が紹介してくれた、かつての町営宿泊施設である。民宿に毛の生えたものだろうと思っていると、七階建てのホテル並みのもので、しかも当時は一泊朝食付きで四千円台という驚くべき安さだった。そればかりでなく、周辺の「風光」も「明媚」で、最上階にある食堂からはきらめくような日本海が見え、反対側には雪を頂く鳥海山がそびえている。

 帰りは、無人の木造駅舎から三両編成の短い列車に乗って酒田まで出ることになったが、その朝の列車では、車窓から広い田圃(たんぼ)の向こうに鳥海山の全容が見えた。

 最も心を動かされたのは、朝日を浴びた鳥海山が、どこまでも続く田植え直後の田圃の水に映っていたことだった。まるで双子のような二つの鳥海山を見ながら、私の最初の「ダーツの旅」が予想以上にすばらしいものになったことを喜んだ。

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出典:『旅のつばくろ』(沢木耕太郎/新潮社)

<第2回に続く>