人生迷子な大人のための、奇跡の起きない“遅れてきた青春”小説! 額賀澪『できない男』

文芸・カルチャー

更新日:2020/5/2

『できない男』(額賀澪/集英社)

 わかる、と本書のページを繰るたびにうなずいた。小説やマンガが大好きだから、登場人物たちの華やかな生活に憧れ、人生の大逆転を夢見てきた。ところが、実際の半生ときたらどうだ。受験では挫折したし、モテ期も来ない。仕事でも目立った功績はなく、うまくなるのはクライアントのご機嫌うかがいばかり。これはもう、『できない男』(額賀澪/集英社)というタイトルのとおりに《できない男》、主人公の芳野荘介と同じではないか。

 28歳の荘介は、年齢=彼女いない歴の冴えない男。凡庸な中肉中背、髪は一度も染めたことがなく、中3のころから同じ黒縁眼鏡をかけている。職業こそ、小さな広告制作会社に勤めるデザイナーという横文字だが、作っているのは役所の広報物とか公民館のポスターとか、おしゃれさなど必要のないものばかり。それでさえ、相手の無茶な指示どおりにデザインを修正するマシンとなってこなしている状態だ。

 ところがそんな荘介にも、物語みたいな転機が訪れた。地元に本社を置く大手食品メーカーからのコンペ参加依頼だ。荘介の地元は、東京からバスで2時間、山と田んぼしかないところ。参加依頼をしてきた食品メーカーは、そこに農業テーマパークを作るという。コンペの内容は、このテーマパークの価値を高めるブランドを構築せよというものだが、その説明会会場には、意外な人物もやってきた。大手自動車メーカーのCMなどを手がけるクリエイティブディレクター・南波仁志──荘介の憧れのクリエイターだ。

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 南波ほどの実績のある人が、こんな地方都市の食品メーカーが行うコンペに参加するはずがない。つまり荘介たちは、「厳正な審査のもと南波に指揮を依頼した」という体裁を整えるための頭数なのだ。珍しいことではない。広告制作会社に勤めていれば、出来レースだって経験する。だが今回、荘介には退きたくない理由があった。コンペを依頼してきたメーカーの窓口担当は、中高生のときの同級生・秋森彩音。荘介が淡い想いを抱いていた相手だったのだ。

 ところでそのコンペ会場には、もうひとりの《できない男》がいた。南波が社長をつとめるデザイン会社の社員・河合裕紀だ。学生時代は青春を謳歌し、デザインの仕事でも有能な裕紀だが、プライベートでは恋人に二股をかけられて以来、本気の恋ができなくなっていた。

 コンペで出会った2人の《できない男》。正反対の彼らは、紆余曲折を経てともに仕事をすることになるのだが…。

「……格好悪く生きたい人って、いないと思うんですよ。おじさんでも若者でも、みんな。年齢を選ばないシンプルな格好良さ、っていうんですかね。俺だって一応、そういう願望って、あるんで」

 失恋した高校生が雨に打たれていれば、なにかが起こるに違いない。でももう高校生ではない自分には、きっとなにも起こらない。夜の東京をひとりで歩き続けても、答えなんて見つからない。ドラマや小説じゃないんだから。本書を読むわたしたちだって、荘介や裕紀と同じことを考えている。ただ、そうやって諦めてしまうとき、わたしたちはひとつ、大切なことを忘れているのではないか。物語は、青春時代にある人物や、ヒロイックな人物のまわりでのみ展開するというわけではない。みずからの意思で行動する、《主人公》のまわりでこそ進むのだ。

 今勢いのある作家・額賀澪氏が、広告代理店勤務経験を生かして書く、“遅れてきた青春”お仕事小説。爽やかな読後感を味わいつつ本を閉じたとき、《できないわたし》の物語が動きはじめることだろう。

文=三田ゆき