旧博物館動物園駅に浅草駅4番出入口…心躍る“鉄道遺構”は生活のそばの歴史遺産!

文芸・カルチャー

更新日:2020/5/2

『鉄道遺産をゆく 関東近郊の鉄道遺構をめぐる!』(イカロス出版)

 明治5年に東京の新橋から神奈川の横浜を結び開業した日本の鉄道は以来、日本の発展と人々の生活を支え続けている。その歴史の中で、すでに廃止され遺構となってしまった施設も数多いのだが、未だに現役の施設も少なくない。日本を代表する駅である東京駅とて大正3年12月の開業以来、あの場に建ち続けているのだ。

『鉄道遺産をゆく 関東近郊の鉄道遺構をめぐる!』(イカロス出版)は、鉄道の歴史を彩った鉄道遺構をめぐる一冊だ。タイトル通り、本書は関東地区に絞った範囲での遺構を紹介しているが、何も旧国鉄に限った話ではない。私鉄にも相当な歴史が秘められている。

荘厳な駅舎が魅力の旧博物館動物園駅

 まず注目したいのは京成電鉄「旧博物館動物園駅」である。京成上野駅と京成日暮里駅の途中、東京藝術大学近くにある地下式駅で、かつては恩賜上野公園の最寄り駅でもあった。現在は封鎖されているものの、出入り口を兼ねた小さくとも荘厳な駅舎が建っており、その見た目は藝大や上野公園の博物館施設かと見紛うほどだ。

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旧博物館動物園駅入り口
それ自体が美術品のような旧博物館動物園駅入り口

 普段は立ち入り禁止であるが、イベントなどで見学会が開かれており、その独自の雰囲気を味わおうと鉄道ファンのみならず多くの人々が訪れている。階段でホームへ降りると、そこは廃止当時のままに保管された空間が広がる。白を基調としたギリシア建築のようなコンクリート壁は、埃まみれとはいえ往事の美しさを想像させる。また営業当時、藝大生により描かれたペンギンやゾウの壁画も残されており、藝大や各美術館の最寄り駅だったことを偲ばせる。

旧博物館動物園駅入り口 ホーム
「静かに眠るホームの脇を今も電車は駆け抜ける

寺社風の上屋・東京メトロ銀座線「浅草駅」

 もう一か所紹介したいのが、東京メトロ銀座線「浅草駅」である。地下鉄であるため、こちらも地下への出入口に注目したい。隅田川に架かる吾妻橋の最寄り出入り口となる4番出入口である。昔ながらの赤色である「べんがら色」に塗られた寺社風の上屋が設けられているのだが、これも開業当時から建ち続けているのだ。勿論、細かな改修工事などは行われているが、大まかなシルエットは当時から変わっていない。そもそも、この銀座線は昭和2年に東洋初の地下鉄として生まれた歴史があるのだ。

東京メトロ銀座線「浅草駅」上屋
ビルの谷間に現れる寺社建築風の上屋

 多くの観光客を迎える現役の駅だけに、ホームなどの設備は時代ごとに進化している。去る平成29年には開通90周年を迎え、浅草という街をより象徴するようなイメージにリニューアルされたのだ。随所に出入口上屋と同じ「べんがら色」があしらわれ、照明や柱は花火柄に彩られている。また線路と線路の間で天井を支える太い鉄骨もべんがら色に塗られ、そこに黄色い銀座線車両1000系が並ぶとその対比が実に美しい。これらは是非、自身の目で確かめてほしい。

 ここで個人的にオススメしたいスポットが、東京メトロ浅草駅から東武浅草駅へ抜ける地下通路に存在する。そこは昭和のままに時が止まったような姿なれど、秘めた深みと情熱を感じる「浅草地下商店会」だ。飲食店が中心だが占いや整体院に雑貨店、更には名刺印刷店や理容院までが軒を連ねている。小生の浅草初体験がこの地下商店からのルートだったために、浅草寺の雷門よりも印象深いほど。もしかすると、メトロで訪れる人のほとんどは、この洗礼を受けているのではないだろうか。

 都市部の鉄道施設は、多くの利用者に合わせて常に発展を続けているものだが、案外と古い設備を残していることがある。5年にわたる大工事が行われた東京駅丸の内駅舎は1~2階は内装工事こそされたものの、創建当時の姿が保存されている。勿論、これは歴史的価値を鑑みてのことだ。読者の皆さんも、最寄り駅の歴史を感じる「遺構」を探してみれば、きっと駅への親しみが深まるはず。

文=犬山しんのすけ