性器から火を噴く、性器でバナナを切る…!? 「花電車芸」に秘められた凄みとは?

社会

公開日:2020/5/11

『花電車芸人 色街を彩った女たち』(八木澤高明/KADOKAWA)

 女性器でバナナを切る。性器でおもちゃのラッパを吹く――そんな「花電車芸」と呼ばれる芸に、あなたはどんな印象を持つだろう? 「いかがわしい…」と思う人もいるかもしれない。だが、『花電車芸人 色街を彩った女たち』(八木澤高明/KADOKAWA)で、芸の裏に秘められた花電車芸人たちのプライドと努力の日々を知ると、見る目は変わるだろう。
 
 花電車とは、もともとは祝典などのために花などで飾られた路面電車など、客を乗せない電車を指す。本来の目的では使われない電車という意味から転じ、セックスのためではなく女性器でさまざまな芸を行うことを「花電車芸」と呼ぶようになったという。
 
 本書は今や“絶滅危惧種”ともいえる花電車芸人の声を拾い上げた貴重な1冊。ここには正史では決して語られない日本の歴史が記されている。

女性器から火を噴く「ファイヤーヨーコ」

 著者いわく、現在、日本で花電車芸を披露している人は十指にも満たないそう。警察の手が伸びたり、女性の裸がネットで手軽に見られるようになったりしたことでストリップ劇場から客足が遠のき、花電車芸人は極めて貴重な存在になった。

 そんな中で、「生ける伝説」だと語られるのがファイヤーヨーコ。彼女は女性器から火を噴くという、花電車芸人の中でも飛びぬけた芸を持つ。本書ではファイヤーヨーコが花電車芸人となった経緯や彼女の自己プロデュース力の凄さを明かしているが、筆者が一番印象的だったのは、芸に対する彼女の想いだ。

advertisement

 ファイヤーヨーコは、ファイヤーが火炎放射器のように飛距離を出すには、どうすべきかと考え、何百もの筒を作り、今日の芸を完成させた。芸を極めるその姿勢は、まるで職人のよう。決して公にはならない芸に人生をかけた花電車芸人たちの想いを知ると、今日までひっそりと受け継がれてきた花電車芸に、なんともいえない感情がこみ上げてくる。

 伝説の花電車芸人、ファイヤーヨーコ――彼女の生き様は、あなたの目にどう映るだろうか。

「性」に生を見たストリッパーと客

 本書は花電車芸人だけでなく、ストリッパーにも光を当てている。首つり芸を披露する性同一性障害のストリッパーや親子2代のストリッパーなど、著者が取材した人々はみな先鋭的だ。

 ストリップは非合法的なもの。だが、ストリップによって「生」を見出し、救われた人々もたしかにいる。

 たとえば、妊娠中もステージに立ち続けたという麻美璃歌子は、リストカットや自殺未遂を経験していたが、ストリップという「生きる場所」を見つけ、新たな命を身ごもるまでになった。彼女やそこで活躍する女性たちにとって、ストリップ劇場は猥雑な場所ではなく、生命維持装置でもあったのだ。

 また、ベトナム戦争中に米兵相手にストリップを披露していたというマリコは、常に死と隣り合わせの人々にとって「生」を実感できる貴重な存在だったという。

“踊っていますとね。もう一曲、もう一曲って、なかなか終わらせてくれないんです。凄い情熱でした。数時間後には前線に出て死ぬかもしれないから、最後に見るダンスかもしれないと、とにかく必死なの。だからできる限り踊りましたよ。”(引用)

 ストリッパーという職業については賛否両論あるだろう。しかし、絶望と恐怖の中で性を通じて「生」を見た人々にとっては、ストリッパーは消えてほしくない存在だったこともたしかなのだ。
 
 こうした背景があるからこそ、ただ一辺倒に環境浄化の波が広がっていく現状に著者はある苦言を呈す。

“積極的にストリップ劇場や花電車芸を保護しろとは言わない。だが、そのような場所や、何よりもそこに生きる人たちを、これ以上厳しく取り締まる必要などない。何より、「浄化」という言葉を人に向けるべきではないだろう。”(引用)

 人が人を浄化していい理由…それはおそらくどこにもないはずだ。

 風前の灯となった花電車芸やストリップは、あと何年残っているか分からない。けれど、白とも黒ともつかないグレーの世界で懸命にプロとして生きる・生きた女性たちがいる。どうかそんな女性たちに思いを馳せながら、「いかがわしい」ではない視点で本書を読んでみてほしい。

文=古川諭香