父親の暴力から逃れるため船に潜り込んで青島へ。16歳で帰国。佐藤浩市の父、俳優・三國連太郎の波乱な人生

文芸・カルチャー

公開日:2020/5/16

『三國連太郎、彷徨う魂へ』(宇都宮直子/文藝春秋)

 インタビューは「その人の言葉で語ってもらうことに意味がある」と私は考えている。同じことを経験しても、人によって語る言葉は違う。どう感じたのか、どう思ったのか、どう捉えたのか――例えば「うれしい」と感じたことを具体的な出来事で描写するのか、自分の感情を優先させるのか、それとも今の視点から振り返った思い出として語るのかなどで「うれしい」の意味合いは変わってくる。また流暢に話しているのか、考えに詰まって沈黙が続いた後に出てきた言葉なのか、ふとした瞬間に思い出されたことなのか、それによって発する言葉ばかりか内容やリズムまでも変わってくる。

 30年以上も俳優の三國連太郎へインタビューを重ねてきた著者がまとめた本書『三國連太郎、彷徨う魂へ』(宇都宮直子/文藝春秋)にはまさに「言葉」と「リズム」があり、その文章は読み手を身構えさせるほどである。著者の投げかけた質問に対して、三國連太郎がどんな言葉を発するのか……その先にある文章へすぐに進めず、私が投げかけた質問に熟考する相手の言葉を待っているインタビュー現場にいるかのような心持ちになって、読書中に何度も本を閉じてしまった。それほどの臨場感、そして緊張感が本書にはある。

 三國は1923(大正12)年、群馬県太田市の貧しい家に生まれ、河川工事などに従事していた父親(結婚したときすでに母親は三國を妊娠中だったそうで、血の繋がりはない)の仕事の関係で各地を転々とする。三國は静岡の中学に通っていたとき、教育に疑問を感じて2年生で退学したことで父親の逆鱗に触れてしまい、暴力から逃れるため船に潜り込んで中国山東省の青島までたどり着く。そこから満州、朝鮮半島と放浪、16歳で帰国するという、生い立ちからして波乱の人生なのである。その後も召集令状が届くが戦争へ行きたくないと佐賀まで逃げ、結局捕まって中国へ出征、戦後に日本へ戻ってからも様々な職業を経験している。そして1951(昭和26)年に木下惠介監督の映画『善魔』でデビュー、このときの役名だった三國連太郎を名乗り、俳優としての人生をスタートさせる。

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 三國の話はこちらの気持ちを引き寄せたかと思うと、次には突き放してくる。それまでしていた話を「話は変わりますがね」と突然断ち切り、流れを大きく変えてしまう。考えているときや話すときにコツコツと指でテーブルを叩く癖があり、同じエピソードのはずなのにまったく違うことを話したり、同じ話を繰り返すことで翻弄したりして、そこに矛盾が生じてくる。また時に厳しく、ふと寛いだ柔和な表情も見せる。それはまるで他人の話をしているようにも、また演技をしているようにも思える。そしてなんといっても話す内容がまことに面白いという、実にインタビュアー泣かせな人である。その三國、本書でこんな発言をしている。

「僕はどんなときも、自分の目線で生きていたいと思っています。自分を曲げてまで、相手の機嫌を取りたくないんです。
 だから、恋愛でも、去る人を追おうとは思わない。そもそも、そういう情がないんですよ、僕の中に。飽きっぽいのでしょうか。
 僕には、非常に個人主義なところがあります。
 極端なことを言うようですが、僕は自分自身の肉体があればそれでいい。お金もいりません。欲しいと思わない。金銭的なものは、自分に弱さを引きずりこむ要因ですから。
 人にはねじ曲がっているように見えても、僕は僕の道しか歩けない。気障な言い方ですが、困難な道をゆく勇気だけは忘れたくありませんね」

 2013(平成25)年、三國は90歳で亡くなるが、その死の直前まで著者は話を聞き続ける。そして最終章では、息子で俳優の佐藤浩市へインタビューを行っている。ここで漠として捉えどころのない、強烈な聖と俗が同居する三國について佐藤による考察があり、別の視点からの人間・三國連太郎の姿が立ち上がってくる。

 とにかく最後まで、読者は三國の言葉と人生にただただ圧倒される。そして読後、確かに残されたスピリットを感じるのである。

文=成田全(ナリタタモツ)