作家・小野美由紀は、なぜ女が男を喰らうディストピア小説を書いたのか。『ピュア』刊行記念インタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2020/5/18

 2019年4月、WEBにアップされたひとつの短編小説がSNS上で大きな話題を集めた。「ピュア」と題された小野美由紀さんによる作品である。この作品は2万5000字という長さにも拘わらず、20万PV超を記録。早川書房note内では他の追随を許さないアクセス数1位となった。

 噂を聞きつけ、ぼくも読んでみたが、そこに広がる世界観に衝撃を受けた。描かれていたのは、少し先の未来。女性が男性を犯し、その肉体を喰らうことで妊娠するようになったディストピアだ。滴り落ちる血液やぶちまけられた内臓のにおいが、まるで行間から漂ってくる。その描写こそエグいが、けれどそこに滲むのは、自分の生き方に悩む主人公の“ピュア”な想い。なんて乱暴で、過激で、それでいて泣けるくらい美しいのだろう。読み終えたとき、素直にそう感じたのを覚えている。

 そんな「ピュア」を表題作にした小野さんの最新小説集『ピュア』(早川書房)が4月に刊行された。単行本化を待ちわびていたぼくは、いち早くそれを手にし、ページを開いた。

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『ピュア』(小野美由紀/早川書房)

 収録されているのは「ピュア」の他に、「バースデー」「To the Moon」「幻胎」「エイジ」の全5話。どれもが幻想的な世界を舞台にした、ありえない物語だ。

 しかし、どのエピソードも根底にあるのは、現代人が抱える“生きづらさ”だった。小野さんはそれらの物語にどんな想いを込めたのだろうか――。

■現代女性は求められることがどんどん増えている

 小野さんはこれまで、『傷口から人生。メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった』(幻冬舎)や『人生に疲れたらスペイン巡礼~飲み、食べ、歩く800キロの旅~』(光文社)といったエッセイのジャンルで活躍してきた作家だ。

 初の小説である『メゾン刻の湯』(ポプラ社)を上梓したのは2018年のこと。『メゾン刻の湯』ではシェアハウスに集う若者たちを主人公に、やはり生きづらさを描ききってみせた。それから2年、SFというジャンルに転向したことに少々驚きも覚える。ところが、実は「ピュア」は『メゾン刻の湯』よりも先に書いた、初めての小説だったという。

「『傷口から人生。』を担当してくれた編集者さんに、『小説を書いてみませんか?』って言われたんです。それが3年くらい前。でも、小説なんて書いたことがなかったから書き方がわからなくて、とりあえず池袋カルチャーセンターの小説講座に参加してみました。そこの最終課題で書き上げたのが『ピュア』だったんです。

 でも、それを周りの編集者さんに見せても、『面白くない』『私なら村上春樹が書いても読まない』とか散々で……。ただ、諦めたくなかったんです。だからずっと世に出すチャンスを狙っていたところ、早川書房の編集者さんがTwitter上で作品を募集していて、『これかも!』とDMを送ってコンタクトを取りました」

 3年前に書いたという「ピュア」。そこで描かれる女性の葛藤や苦しみは、ここ最近注目されているフェミニズムにも通ずるところがある。

「最近ではフェミニズム文学が読まれている流れもあるので、もしかしたら書き上げた当時に発表していても、そこまで話題にならなかったかもしれません。運良く時代の流れにマッチしたのかな、と思います」

 小野さんも女性として生きてきたなかで、常に生きづらさと向き合ってきた。それが「ピュア」には反映されている。

「女性って、求められることがどんどん増えてきていると思うんです。美しくいなければならない、仕事ができなければいけない、良い奥さん、良いお母さんでいなければいけない、仕事や家庭以外にも生きがいがなければいけない……。たくさんのことを求められるからこそ、女性の自己肯定感はなかなか育ちづらい。なにかひとつを達成していたとしても、『でも結婚していない』とか、『でも子どもがいない』とか言われてしまう。そんな流れのなかで生きてきたからこそ、この物語が生まれたのかなと思います」

 小野さんの発言には、男であるぼくも頷けることばかりだ。仕事、結婚、育児と、女性にかかる重圧はとても大きい。それは現代を生きる女性であれば、多かれ少なかれ感じていることだろう。

 だとするならば、そういった現代女性を主人公にした物語を書くこともできたはず。あえて舞台をSFにしたのには理由があったのだろうか。

「女性の生きづらさを描くには現代ものの方が取っつきやすいとは思いました。でも、そういった作品はすでに世に溢れているから、私が書く意味はないかなって思ったんです。

 そもそも、幼い頃から空想するのが大好きで。幼稚園を二度退園するくらい周囲とうまくやれなくて、ひとりで突飛な空想の世界に逃避することも多かったんです。ある意味、空想を砦にしていたんだと思います。だからこそ、女が男を食べないと妊娠できないという空想をもとにした『ピュア』はとても書きやすかったんです」

表題作「ピュア」のレビューはこちら

■女性が主体的にセックスすることは、自立するということ

 ここからは「ピュア」以外の収録作についても迫っていく。まずは「バースデー」。これは女子高生・ひかりを主人公に、ある日突然“男性”になってしまった幼馴染・ちえとの交流を描いている。ちえは言う、「やっと本当の自分になれた」と。

 ひかりはそれを受け入れる。けれど、ひかりのなかには悶々とした想いが芽生えてしまう。本当の自分になれた、つまり、これまで一緒に過ごしてきた時間は偽りだったということ……? やがてひかりは、ちえとの関係を見直していくようになる。

「自分の家族やパートナーに対する期待が崩れることってよくあると思うんです。ほんの小さなレベルでも『実は○○をしていた』って後から嘘をつかれていたことがわかったり。その瞬間、自分と相手の関係がガラガラと崩れてしまう。でも、そうなったときに私たちがすべきことは、裏切られたことに傷つくのではなく、また一から新しい関係を築いていくこと。ちょうどいま、新型コロナウイルスの影響で、身近な人との関係が変わりつつありますよね。コロナ離婚が増えているのもそうだし、本当に大切な人を見極めるようにもなった。そんな風に他人との関係が否応なしに変わってしまう瞬間って突然訪れてしまうわけで、だからそんなときにどうするのかを書いてみたかったんです」

 ラストシーンでは、ひかりがある決断をする。それはちえにとっても希望のようなもので、ふたりが新しい関係へと踏み出す第一歩だ。

「ラストでひかりとちえは、お互いが他者であることを認め合えるようになるんです。いま、SNSでは争いばかり目にします。たとえば、フェミニストとオタクが互いを敵対視していたり。そして、傍観者もどっちにつくのかを迫られてしまう。それってとても不幸なことですよね。本来、人というのはいろんな関係のうえに成り立っていて、一人ひとりの考えはグラーデションみたいなもののはず。お互い他者であり、それを認め合っていくことで、初めて健全な距離が保てると思うんです。『バースデー』にはそんなメッセージを込めました」

 続く「To the Moon」は、“月人(つきじん)”と呼ばれる人外の生き物になってしまった友人と主人公との、淡い恋心のようなものが描かれる。

「これは、Netflixで配信されている『ル・ポールのドラァグ・レース』に出てくるアクアリアっていうドラァグクイーンの姿にインスパイアされて書き始めたんです。アクアリアを見たときに、月から来た人ってこんな風に美しいのかもって。それともう一つあって、実は『かぐや姫』もモチーフになっています。もしもかぐや姫に、地上に女の子の恋人がいたらどうなるのか。彼女を残して月に帰ってしまうのか。そんなことをイメージしながら書きました」

「バースデー」「To the Moon」と、相手を思う気持ちを柔らかく描いた短編が続くが、その次の「幻胎」で、読者はきっと予想もつかない方向に突き落とされるだろう。

「幻胎」で描かれるのは、人工子宮により12人の胎児の母親になってしまった女性の葛藤と、仄暗い欲望だ。端的に言って、このエピソードが最も恐ろしいものだった。

「母性というものを考えたときに、さすがに一度に12人も子どもができてしまったら、一人ひとりに母性なんて抱けないだろうな、と。子どもがいても、誰とも親子になることができない。それって怖いことだし、哀しいことでもありますよね。そこからスタートして、最終的に主人公が父親に信じられないことをしてしまう物語になったんです」

「幻胎」に出てくる主人公の父親は、研究のために主人公に12人の子どもを作らせる。それに反発した結果、主人公は父親に対し、ある凶行に及んでしまうのだ。

「研究のために子どもを作らせるってありえない話だと思われるかもしれませんが、でも似たような話は社会のなかでたくさんあったんです。たとえば、昔の女性は知らない相手と無理矢理結婚させられることも珍しくなかった。家父長制社会では家を発展させるために、娘が贈り物として扱われていたんですよ。そこに娘、つまり女性の主体性は存在しない。『幻胎』の主人公は父親によって作られた檻から抜け出すために、最後、ある行動に出てしまうんです」

『ピュア』に登場する女性主人公たちは、みな主体的にセックスをする。自分の意志で相手と身体を重ね、自分の意志で立ち上がろうとする。それはいまだ現代に蔓延る“処女信仰”への、小野さんからの反逆の精神の表れかもしれない。

「どの物語でも、“欲望の肯定”を描いたつもりです。どの主人公も強欲だし、自分のことしか考えていないし、欲しいものを手に入れるために外の世界へ飛び出していく。でも、その強欲さが女らしさだとも思っていて。女性はもっともっと強欲に生きていいはず。女性をエンパワーメントしたいと言ってしまうと簡単に聞こえるかもしれませんが、私たちは強い存在なんだよってことを伝えたかったんです」

■一方で、現代男性にも特有に生きづらさはある

 女性の強さを描く一方で、『ピュア』の最後に収録されている「エイジ」は唯一男性が主人公になっている。この「エイジ」は「ピュア」のサイドストーリー的立ち位置で、女性に喰われる存在となった男たちの生きづらさに焦点が当てられた。

「『エイジ』に出てくる男性たちは、悪環境のなかでひたすらに労働させられていて、最終的には女性に喰い殺されてしまいます。それって、いまを生きる男の人の重圧にも通ずると思うんです。ただただ労働させられて、さみしいとか哀しいとか、そういう感情を共有することにも慣れていなくて、仮にさみしさを表したとしたら『弱っちいこと言ってんなよ』と否定されてしまう。とても生きづらいですよね。でも、男の人も自分の弱さを肯定できるようになれば、もうちょっと生きやすくなるはず。そんな願いも込めた作品です」

 冒頭の「ピュア」から最後の「エイジ」まで通読すると、小野さんが伝えたいことが浮き彫りになってくる。そこにあるのは、やはり現代人が抱える生きづらさだ。

 心の性と身体の性が一致しない人。他者に期待し、それが裏切られたとダメージを受ける人。妊娠や出産を強要する社会に違和感を覚える人。弱さを打ち明けることができない人。なにより、欲望を押し込めて、自分らしく生きられない人。

 小野さんはそういった人たち一人ひとりに対し、SFという手法を用い、「しがらみから解き放たれることの素晴らしさ」を説いているように思う。表題作「ピュア」が20万PV超を記録し、大勢の読者の胸に刺さったのも、誰もがそのメッセージを欲していたからではないだろうか。

 これだけの大作を書き上げて、小野さんの胸にあるものとは?

「自分の書きたいものを書いても受け入れてもらえるんだというホッとした気持ちと、同時に、まだまだ狭い世界のことしか書けていないなという気持ちがあります。『ピュア』を出して、ようやく小さな水槽に波を起こすことができた。だから次は、もっと大きな海を泳ぐような作品を書きたいと思うんです」

 そして、目指すべき作家像も明確になっている。

「ケン・リュウっていうSF作家が大好きで。彼は中国系アメリカ人なんだけど移民二世で、古代中国を舞台にしたSFを書かれるんです。その根底にあるのは、中国人っていうルーツに対する愛情とか、移民というマイノリティに対するやさしい眼差し。SFなんだけど現実感もあって、とても受け皿が広いんです。だからいつか私も、ケン・リュウさんのように、受け皿が広くてはてしない物語を書いてみたいと思います」

取材・文=五十嵐 大 写真=著者提供(撮影=ウエマリキヤ)