大盛況の美術展の裏に隠された“不都合な真実”とは…?

社会

公開日:2020/6/1

『美術展の不都合な真実(新潮新書)』(古賀太/新潮社)

 緊急事態宣言解除のニュースが、疲弊した人々を元気づけている。行きたかった所へ行け、楽しみたかったことを存分に楽しめる日がやってくる期待感がすこしずつ高まってきた。3密の美術館も自粛で苦しめられていた。美術展を楽しみにしている美術ファンは少なくないだろう。

 日本の美術展は盛況のイメージがある。美術館が再開されても厳重な3密対策が取られると予想されるが、そもそもなぜ、日本人は美術展がそれほどまでに好きなのだろうか。

『美術展の不都合な真実(新潮新書)』(古賀太/新潮社)によると、背景には“不都合な真実”がある。本書によると、日本の展覧会は世界的に見ても混んでおり、特に1日当たりの入場者数が多い。一見、日本は世界で有数の美術都市にも見えるが、実際はそうではない。美術館・博物館の入場者数で見れば、日本は世界に比べて驚くほど少ないからだ。つまり、美術館・博物館で催される展覧会だけに、人が殺到しているのだ。

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 さらに、展覧会の入場者数ランキングに目をやると、「企画展」だけが上位に並んでいることがわかる。美術館には「企画展」と「常設展」がある。ルーヴルや大英博物館など世界の大美術館でも「企画展」は催されるが、外国人観光客を含む入場者の多くは「常設展」を見に来る。その美術館が所蔵しているコレクションを、入場者は楽しむのだ。

 対して、日本の美術館では、有名美術館でも常設展はガラガラ。雪舟や等伯などの著名な国宝作品が展示されていても話題にならない。本来なら、美術は落ち着いて作品を鑑賞し、味わうもの。ところが、日本では戦後から、展覧会が特殊性を帯びだした。国内外から作品を集めた企画展が一過性のイベントとして認識され始めたのだ。

 美術界にいる作家、学芸員、美術記者までが、企画展の異常なイベント性による展覧会の歪みを認識しているが、誰も語ることがない。なぜなら、多くの人にとってメリットがないからだ。本書は、これを“美術展の不都合な真実”としている。

 企画展の何が展覧会を歪めているといえるのだろうか。それは、新聞社が企画展に絡んでいるからだ、と本書は指摘する。戦後、新聞社は海外に支局をもつことと、外貨持ち出しが自由であった強みを生かして、世界各国から美術作品を集めた企画展を催し始めた。新聞社が展覧会を企画するのは日本独自の方式だという。新聞社は文化事業の位置づけで、花火大会やスポーツ大会などの催事を行ってきた。展覧会もそこに位置づけられた。

 新聞社がこれまでの日本の美術館では叶わなかった異常動員を実現できるのは、作品調達だけが強みではない。圧倒的な発行部数による宣伝で企画展を告知し、盛り上げ、本書の言葉を借りれば美術館に観客を「押し込む」ことができるからだ。押し込まれた入場者は、立ち止まって鑑賞することすら許されず、流れ作業のように作品を味わった気になって、美術館から押し出される。新聞社にとっては、利益目的もあるのだろうが、なかなか厳しい財布事情もある。企画展の作品借用料、輸送、保険、展示費用、宣伝費、会場運営ほか、いち企画展を催す際の出費は軽く数億円。これを回収するために、動員とカタログやグッズの売上増を目指さなくてはならない。

 新聞社が企画する展覧会は、前述のとおり、作品借用料から一切を自らがもつ。本書によれば、もぎりや監視員の人件費までもカバーしているという。つまり、美術館側は持ち出しがゼロ。それどころか、プラスになる。人気企画展のチケットには、たいてい「常設展もご覧いただけます」という記載がある。実際は、常設展まで鑑賞する入場者は少ないのだが、チケット売上はそこそこの比率で新聞社と美術館とで分配される。常設展がない場合でも、会場借料代をもらい受ける。つまり、おんぶにだっこの関係となっている、というのだ。

 こう見ていくと、誰も損をしていないように見える。主催、共催者は潤い、美術に触れる人は増える。しかし、落とし穴がある。目の肥えた成熟した見方ができる美術ファンが育たないことだ。成熟した美術ファンが増えることで、海外から一段レベルが低いと見られている日本の美術界が成長し、回り回って美術館も正しく運営できる。

 そのためには、美術を落ち着いて鑑賞できる環境を整える必要がある。本書は、最終章でこれからの日本の美術館がもつべきいくつかのビジョンを示しており、興味深い。

 企画展は完全な悪とは言い切れない。イベントとしては満足感が高い体験だ。しかし、美術は企画展だけではない。新型コロナウイルスは、完全に姿を消したわけではない。この時勢、人が少ない常設展をゆったりと楽しんでみるのも、いいかもしれない。

文=ルートつつみ(@root223