「裸を見せるようなもんじゃない」小説家を目指す熊本くんと確固としたものがないわたし/熊本くんの本棚 ゲイ彼と私とカレーライス⑨
公開日:2020/6/18
顔よし、からだよし、性格よし。そのうえ読書家。なんだか現実味のないイケメン、熊本くん。仲のよい「わたし」は、どうやら熊本くんが、ゲイ向けアダルトビデオに出演している、という噂を聞く…。第4回カクヨムWeb小説コンテストキャラクター文芸部門大賞受賞の小説から、その一部をお届けします。
洗い物を終え、熊本くんは鍋をコンロに置いた。意外と手際が悪いのだ。
「寝てなよ」
わたしを見て、熊本くんはいった。
「うん、ありがと」
そういったまま、わたしは動かなかった。
「変なの」
熊本くんはとくに意に介さず、準備を続けていた。
「背中、大きいね」
わたしはいった。ばかみたいなコメントだ。
「背中はねえ、鍛えてますよ。なかなかうまくいかないけどね」
わたしを見ずに、熊本くんはいった。
「お父さんってかんじがするね」
「なにやってるんだっけ、ご両親」
「父親は会社員だと思う」
「なんだそれ、だと思うって」
「会社の名前も、どんな仕事しているのかもわかんないんだもん」
「そうなんだ」
熊本くんは追及しなかった。
「最近、わたしはなにも知らないんだなあ、と思うんだよね」
「どういうこと?」
「父親の仕事に興味がなかったし、友達がなにを考えていたのかもわからなかった」
「友達?」
「高校の頃の」
熱い鮭がゆが出来上がり、わたしは息をふきかけながら、ゆっくりと食べた。
「高校のとき、面白いことあった?」
まるで、面白くなかった前提で訊かれているみたいではないですか。
「美人な友達がいたなあ。その子とつるんでた」
あんまり覚えてないの。なんだかどんどんぼんやりしていく。数年前のことなのにね。なんだろう、いつのまにか自分と昔の自分が離れてしまった気分なんだよ。大河ドラマで数年後、みたくテロップがでて、いつのまにか年とってるみたいな。
「ああ、わかるよ」
熊本くんは頷いた。同意してくれたことが嬉しくて、顔を伏せた。
「最近さ、小説を書いてるんだ」
なにをいわれたのかわからず、わたしは熊本くんを見た。照れた表情をしていた。
「ぼくさ、小説家になろうと思ってて。なんで、就職活動はしないつもりなんですよ」
わたしはびっくりしてしまい、「小説家?」と素っ頓狂な声をあげた。ご飯粒が飛んだ。熊本くんは、真剣な顔だった。
「アルバイトしながら、小説を書くとか?」
なんて夢見がちなことをこの人はいっているんだろう。
「実はずっと書いてて」
「小説?」
「小説サイトに載せてて。いまいち場違いなんだけど」
本を読み、アルバイトをして、トレーニングをし、大学で友達と笑いあい、そのうえ文章を書いている。なんて忙しい人なんだろう。
「すごいねえ」
「書き終えたら、みのりちゃんも読んでね」
「教えてくれたら、いますぐ読むよ」
「ネットに載せてはいるけど、やっぱり自分のことっていうのは恥ずかしいもんだよ。裸を見せるようなもんじゃない」
裸どころか、あられもない姿をこの人は見せているじゃないか。モザイクは入っていたけど、まるだしだった。
「書きあがったら、教えるね」
熊本くんはそういって、自分が平らげた皿を手にして、台所に向かった。
「あの本棚に、熊本くんが書いた本が並ぶなんて、いいね」
熊本くんの部屋にある本棚は、べつに大きいわけではない。高さはわたしの胸のあたりまでしかない。でも、熊本くんの好きなものが、きちんと並べられている。
「ああいう本棚、欲しいな、わたしも」
「買いなよ。ていうか文学部なんだし、読めよ」
「お金ない。もっといえばなに読んだらいいのかわかんない。だから、熊本くんの本棚にあるのを読むよ、おさがりで」
あの本棚を見ていると、結局はすべてが自己表現なんだなあ、と思えてくる。好きなものを手元に置いておくこと、整理すること。なにもかも自分をあらわしているんだなあ。わたしは、熊本くんの本棚のような、確固としたものをそばに置くことができるんだろうか。雑誌で繰り広げられる素敵なもの、ではなく、自分オリジナルの。